消える部隊長と、引き継ぐルスト ―戦場の優先順位―
オーバスさんが皆に対して真剣な表情で言った。
「撤収するぞ。速やかにこの場から離脱する」
私より年上の一人の女性が意見した。
「依頼任務を放棄するんですか?」
「結果としてそうなるが、依頼そのものに虚偽があるとわかった以上、傭兵としてこれ以上命はかけられん」
そして私は付け加えた。
「適正な依頼があって初めて成り立つのが私たちの仕事ですから」
否定する声はかからなかった。
「分かったわ」
「それでは戻るぞ。隊列を再編成する。ルスト、お前が先頭になれ。俺が
戦闘部隊の隊列には役割がある。正面警戒と誘導役の先頭と、一番後ろで敵の接近を警戒する
即座に1列縦隊の陣形が出来上がる。その数9名。私たちはすぐに動き出した。
「行動開始」
その言葉と共に私たちは歩きだす。一刻も早くこの場から離れなければならない。そうでなければ圧倒的な戦力差で一網打尽にされかねない。
危機意識を持って速やかに移動しようとする私とオーバスさんと、そうでない他の連中との間では動きに違いがあった。どうしても歩みが遅い。
私は彼らに言った。
「急いでください。もたもたしているとさらに状況が悪化します」
すると一人が声を発した。
「なんでお前が命令してんだよ?」
少しガタイのいい筋肉質の体の男性だ。その不満をオーバスさんが封殺する。
「俺が任せた。不満か?」
準1級の彼の言葉は重い。否定の声は出ない。速やかに私たちの移動は再開する。
それから無言で黙々と山を降りる。つづら折れの山道は思いのほか歩きづらい。とにかく急がなければならない。そう思いながら足早にひたすら歩いていた。
ふと視界の片隅に見えた小枝に、野鳥が一羽止まっている。それが私たちが接近するよりも前に飛び去った。
「え?」
その光景に私は戦慄した。私達以外に警戒すべきなにかが迫っているからだ。
「みんな急いで!」
そう言った時だった。
――ダーンッ!――
甲高い破裂音が聞こえた。どこかで〝銃〟が撃たれた。明らかな狙撃だった。
直感的に嫌な予感がした。振り向いた私の視界の中で、今回唯一信頼できるベテランであるオーバスさんがゆっくりと崩れ落ちていった。
彼は脇腹を押さえていた。
撃たれたのは右腰だ。
彼と目線が合った。
――俺のことに構わず行け――
――申し訳ありません。そうさせていただきます――
言葉ではなく視線で瞬間的にやり取りする。
そして私は叫んだ。
「走れ!」
すると一人が言う。
「隊長が!」
負傷者としてオーバスさんを連れて行きたいのだろう。だがそんな余裕はない。
「馬鹿! 死にたいのか!」
こうなったらこんな馬鹿連中にはかまっていられない。私は率先して走り出した。すると後ろの連中も慌ててついてくる。一人、オーバスさんを残して。
2発目、3発目と鉛弾を撃ち込む音がする。幸い撃たれた者はいない。私たちはかろうじて敵襲から逃げ出した。
私たちは山道をひたすら走った。山腹の中ほどくらいまで降りてきた時だ。少し開けた場所にたどり着いた。
一旦ここで小休止を取るしかないだろう。全力で走り続けて体力を使い切ればそこでお終いになる。
私が足を止めれば後続の連中も後続の連中も脚を止める。背後を振り返り目視する。欠けた人間はオーバスさんを除いていない。
「全員揃ってますね? 少し休憩してさらに距離を稼ぎます」
私はそう皆に命じる。ほとんどが頷いてくれたその中で先ほどの筋肉質の体の男性が声を上げた。
「おい、なぜ部隊長を置き去りにした!」
「助ける必要があったのですか?」
「当たり前だろう! 負傷者を回収しなくてどうする!」
こんな時に言い争いをしている場合ではないのに。状況認識能力の無さに私は呆れるより他はない。
「助けることは不可能です。麓まで連れて行く間に死体が一つ増えるだけです。オーバスさんが撃たれたのは右腰、肝臓のある辺りです。意識ははっきりしていても腹腔内で大量出血は避けられません」
「確かめた訳じゃないだろう!」
「だったら、お一人でどうぞ! 部隊全体を危険にさらすわけにはいきません!」
私がなぜ隊長であるオーバスさんを置き去りにしてきたのかその理由を口にした。皆がハッとした表情で頷いてくれたのが幸いだった。
「正規軍の緊急時の対応規定にも『腹部への被弾や怪我は適切な治療が確保できない限りは運搬の必要なし』と明記されています! 数多くの医療所見から策定された規定です! それほど腹部への被弾は生存率が低いんです!」
私の剣幕に飲まれたのか筋肉質の体の彼は一気に黙り込む。私は彼の気持ちを汲むことにした。
「お気持ちはわかります。ですが回収可能な負傷状況と、置き去りにせざるを得ない状況を見極めなければなりません。優先すべきは、一つ一つの負傷者ではなく、部隊全体の安全を確保することです。オーバスさんもそれは分かっているはずです」
そして私は皆の疑問を断ち切るようにこう言った。
「置き去りにしないでくれと〝彼〟は言いましたか?」
その言葉がみんなの表情を一変させた。
若い一人の男性が言葉を漏らす。
「自分の死を覚悟して――」
そういう事なのだ。時には、自ら生存を諦めざるをえない時もあるのだ。そしてそれこそが〝戦場の現実〟だ。
「それに胴体を打たれた場合、下手に動かすよりもその場に放置したほうが生存の可能性は上昇します。敵がとどめを刺したのでなければ救援が間に合えば助けられるでしょう」
そこまで聞かされてやっと溜飲も下がったのだろう。彼は言った。
「大声を出してすまない。俺が甘かった」
「いえ、致し方ありません。仲間を置き去りにするのは誰でも辛い事ですから」
そして彼は言った。
「あんたの名前を聞かせてくれ」
その一言が皆の視線を私の方へと集めた。私は答える。
「エルスト・ターナー2級傭兵です。よろしくお願いいたします」
「わかった。これから先はあんたを暫定の隊長として認める。お前らも異論は無いな?」
彼の呼びかけに否定の声は上がらない。
「異論ありません」
「俺もだ」
「私もです」
「私も」
全員が初めて意思を一つにした瞬間だった。
一人の死をきっかけにして全員の危機意識がひとつにまとまったのだ。
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