ワルアイユ本邸 ―裏方たち集まる―

 それから私たちはワルアイユ家の使用人の方たちと一緒にワルアイユ家の本邸へと移動した。

 閉められていた本邸の扉を開け窓のすべて開け放ち、邸内の空気を全て入れ替える。そして使用人の方たち総出で掃除を始める。

 使用人の方たちの人数も以前とは比べ物にならないくらい大人数になっている。ざっと見ても20人? いや30人は下らないだろうか? 本来はそれほどの規模の邸宅だったのだということを思い知らされずにはいられなかった。


「これが、本来のワルアイユなのね」


 私は館の中を散策しながら彼らの働き様を見守っていた。

 厨房では料理人や協力に駆けつけてくれた料理自慢の村の女性たちが昼食料理を作っている。

 館の周りの庭園や道端では芝生や花壇や生垣の手入れをしている男性たちがいる。その中にはメルゼム村長の姿もあった。

 そして――


「あれは」


 意外な人物の姿を見つけた。


「ダルムさん!」


 1階の窓から外を眺めていると庭の生け垣の手入れをしているダルムさんの姿があった。


「おお? ルストか」


 咥えキセルでハサミを手に無駄に伸びた枝を刈っている。


「ご苦労様です!」

「おお、隊長もな」


 作業の邪魔をしては悪いと思いそれ以上は話しかけなかった。ダルムさんにとってワルアイユは親友の土地。今日は1日休息ということにしてあるが、だからといって何もせずに休んでいられるような性分ではないのだろう。

 今は亡き親友のために少しでも手助けがしたい。そう考えているに違いなかった。


 見守っていると、ワルアイユ家の若い男性使用人にあれこれと指示している。庭木や生垣の手入れの仕方や本来の仕上がりの姿について知っているに違いない。今のうちにそれらを彼らに伝えようとしているのだろう。

 そして邸内を歩いているとさらに意外な人物に出くわした。

 領主の書斎に人の気配を感じて中の様子を覗いこんなところある人に出会った。


「プロア?!」

「よぅ、隊長」


 私の驚く声に軽い口調で答えてくれる。


「なんでここにいるの?」

「なんでって手伝いに決まってるだろ」


 私の問いかけに思わず苦笑いだ。

 彼は手入れの行き届かなかった書斎のテーブルや本棚の整理をしていた。体裁だけでも領主の仕事の場としての装いをしっかりと仕上げようとしている違いない。


「執事のオルデアさんは来賓招待の対応で忙しいし、男性使用人の数は元々そう多くなかったって言うから、アルセラの男性近侍役を申し出たんだ」

「あなたから?」

「ああ」


 候族としての一般的な正装姿であるルタンゴトコート姿のプロアはこともなげにそう言った。彼はある想いを口にした。


「候族ってのは自分自身の努力だけではどうにもならない部分がある」

「それって?」

「〝使用人の見栄え〟だ」


 それは当然の答えだった。高貴であること、豪奢であること、品位に優れていること、それは候族としての格を語る上で決して外すことのできないものだ。


「いかに良い使用人を揃えているか? という点も他家と張り合うためにはとても重要なんだ。女性使用人ってのはいざとなればこの地元の領民たちの手を借りればいいが、男性使用人となれば立ち振舞いや装いや見かけの良さも重要になる。こればっかりは地元の青年連中を借り出してもどうにもならないからな」


 これには非常に申し訳ないが同意せざるを得ない。こう言ってはなんだか田舎の垢抜けない若者たちに正装衣装を着させても、浮いてしまうのは避けられないだろう。

 こればかりは候族のドレスコードやマナーや作法といったものに通じている〝本物〟の手を借りるしかないのだ。


「昨日、オルデアさんと話す機会があって、懇親会での男性近侍役の事を聞かされてな、昔取った杵柄で基本的なことはまだ覚えてたからそれならばと参加させてもらったのさ」


 私はプロアのそばへと歩み寄りながら問いかける。


「あなた一人なの?」

「ああ、軍人組の連中は力仕事をしている。ダルム爺さんは男性使用人連中の指導役を買って出ている。ついでに言うとパックの旦那は先日の戦闘での怪我人の治療や、トルネデアス兵の捕虜の健康状態のチェックなんかをやっている」

「それじゃのんびり休んでる人いないじゃない」

「当たり前だろ?」


 そして彼は私の方を振り向きながらこう言い放ったのだ。


「隊長のお前が、アルセラのお目付け役として出張ってきてるんだ。休息を言い渡されたからといってのんびり休むわけにはいかないさ」


 そんな風に話している間に書斎の方の体裁整えも終わったようだ。


「さて、次は厨房に行かないとな」

「厨房?」

「ああ、昼食の給仕の段取りについて話してくる」

「そう、よろしくお願いね」

「ああ」


 そう答えながらプロアは去っていった。職業傭兵として初めて会った時の彼は近寄ることすらためらわれるような剣呑さがあった。

 だがこの数日間を経て彼の本当の人柄というのが見えてきたような気がする。その凛とした佇まいのむこうに彼の気高さと高貴さが垣間見えている、そんな風に思えるのだ。


 それからのち私は来賓たちの名前と顔を覚えることに力を注いだ。

 昨日の祝勝会とは異なり今回の懇親会は、あくまでもアルセラが近隣領地の領主夫妻の皆様をお招きしてもてなすのが趣旨だ。私はアルセラの補佐として、そして見届け役として同席することに意味がある。

 そうこれは、


――アルセラの独り立ち――


 それを見届けることに私の意味があるのだ。

 今日、この屋敷に来てから私はアルセラに一言も声をかけていない。

 来賓用の控え室の一つに席を設けてもらいそこにじっと待機しているだけだ。傍らにはワルアイユ家の侍女の一人のサーシィさんが、私と同じデイドレス姿で小間使い役としてそばに待機してくれていた。

 私はソファーに腰掛けて本日の来賓名簿に目を通していた。


「ルスト様、冷水お持ちしました」

「ありがとう、そこに置いて」

「はい」


 乾いた喉を潤すために冷やした水を持ってきてもらう。妙に喉が乾くのは心のどこかでアルセラの事が心配でならないからだろう。

 そんな私にサーシィさんが尋ねてくる。


「やはりご心配ですか?」

「えっ?」

「アルセラお嬢様のことが」

「ええ、そうね」


 名簿から視線を離し髪をかきあげながらサーシィさんに視線を向ける。


「今までずっと何かあるたびに助言をしてきたから。例えて言えばそうね――」


 私は少しだけ沈黙する。


「母親か姉の気分、ってところかしら」


 肉親のようにアルセラがたまらなく愛おしくなる。それと同時に胸の中心が痛くなるほどに本当に大丈夫なのかと不安でたまらないのだ。

 誰がそんな私にサーシィさんはにこやかに微笑みながらこう言った。


「大丈夫ですよ。やはりお嬢様はバルワラ様の御息女です。どんなに困難なことがあっても一度覚悟を決めれば必ず前へと進みます」

「そうね」


 そして私はここ数日間の出来事で確信したことを口にした。


「それが、ワルアイユ家の血筋だものね」


 そうだ今ここに至っては全てを信じるより他はない。

 私とサーシィさん、互いに頷きあったときだ。部屋の扉がノックされた。


「どうぞ」


 静かに扉が開いてワルアイユ家の侍女が連絡に現れた。


「申し上げます。ご会食の準備整いましてございます」

「ご苦労様。下がってちょうだい」


 侍女が再び頭を下げて退出していくのを見届けると、自ら立ち上がる。


「行きましょう」

「はい」


 これは儀式、巣立ちの儀式。

 親を亡くし巣から地面に落ちて心細くてピーピーと鳴いていた小さな雛が、つまずきながらも泥だらけになりながらも何度もはばたきを練習して自ら舞い上がろうとしている。

 アルセラは今、自らの意思で自らの翼で舞上がろうとしている。


「ああ、そうか。そういうことか」

「えっ?」


 私の思わぬつぶやきにサーシィさんが不思議そうにする。


「ううん、なんでもないの行きましょう」


 私はやっと気づいた。なぜ昨夜、アルセラは私に何も言わずに本邸へと向かい今日の準備をしていたのかを。

 アルセラは気づいている。


――これからはもう、私には頼れない。全てを一人の才覚で進めなければならない――


 そしてそれを含めて周囲に示してこそ、ワルアイユ領の次期当主として認められるということに。

 あの日、自らの部屋の中で一人で涙していた小さな女の子は私の知らない間に一人のレディーとして巣立とうとしていたのだった。

 私の胸の中を、一抹の寂しさと、あふれる誇らしさがよぎる中で、私は会食の間へと向かった。

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