二度の世界大戦について

佐々木悠

第1話

日本の中学高校の歴史において第二次世界大戦は大きなウェイトを占める。

第一次世界大戦に比べて、日本が大々的に参戦していることもあるだろう。

ただし私は歴史とは流れに沿って学ぶべきだと考えているし、第二次大戦は第一次大戦の後始末といった側面もあるそれ故に先ずは第一次世界大戦前の欧州情勢について解説しようと思う。



◎ビスマルク体制

ドイツ帝国(以後独帝国)成立の立役者であり鉄血宰相としても有名なオットー・フォン・ビスマルクが築いた対仏包囲網の事である。

普仏戦争後独帝国は1878年にオーストリア=ハンガリー帝国(以後墺帝国)、ロシア帝国(以後露帝国)と三帝同盟を結び、墺帝国と露帝国の対立が起こり三帝同盟が崩壊すると、1881年に新たにベルリン会議で、三帝協商が成立。

1882年には独帝国と墺帝国、イタリア王国(以後伊王国)の三国同盟を締結する。

その後再び墺露の対立により三帝協商が崩壊するも1887年に独露再保障条約が締結。他にもスペインとオスマン・トルコと協商関係を結び、栄誉ある孤立の方針をとる英国とは了解関係が出来ていたフランスのみが欧州から孤立する様になっていた外交関係はドイツ3代皇帝にして最後の皇帝ヴィルヘルム二世によって終焉を迎える。


ビスマルク体制崩壊と対立関係の現れ

宰相ビスマルクはヴィルヘルム二世により急に更迭される。

ヴィルヘルム二世は自尊心が高く、母親からもゾッとするほど冷酷と評された人物で、とある臣下のビスマルクの様な臣下が居たらフリードリヒ大王は大王とは呼ばれなかったであろうと言う言葉を至極気にしていたらしくビスマルク解任の理由はそこにあるのかも知れません。

ビスマルク解任からの外交政策の転換により独露再保障条約は破棄、その二年後に露仏同盟が結ばれる事となり、かつての対フランス用の外交網は全て独墺に向くこととなったのである。


ビスマルクの外交政策は勢力均衡を保ちドイツ帝国の影響力を増大させるものであったが

ヴィルヘルム二世は拡大主義へと転換、黄禍論を元に中国分割に参加し、三国干渉などで親独国だった日本はドイツ帝国から離れていくこととなる。

強大なドイツ帝国を望んだヴィルヘルム二世はティルピッツ提督を中心にドイツ帝国海軍を強化英独建艦競争を起こし、連鎖的に各国へと波及、欧州各国の軍事予算は50%増と言う結果になり、更に英国海軍は既存の戦艦全てを旧式化させたドレッドノート級が竣工。

英独建艦競争は結果として英国海軍の優位を拡大する事となってしまった。


◎バルカンの火薬庫

当時のバルカン半島はオーストリア=ハンガリー帝国やロシア帝国、オスマン帝国など様々な国の思惑が交差しバルカン半島はバルカンの火薬庫や欧州の爆弾庫などと呼ばれた。

オーストリアが当時オスマン領のボスニア・ヘルツェゴビナを占領し1908年に正式に併合そこから09年まで続くボスニア危機を巻き起こす。

さらに二度のバルカン戦争でバルカン半島はさらに不安定化する。


◎サラエボ事件

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナント大公、皇太子妃ゾフィー・ホテクは共同統治国ボスニアヘルツェゴビナを訪問中、セルビア民族主義組織セルビア黒手組に暗殺される。

それによりオーストリア=ハンガリー帝国政府はセルビア政府に十ヶ条の最後通牒を送付した。

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