二
歪屋家に入って、雫さんと真君を探していた。大きな日本庭園にある池の淵に腰をかけている二人を発見した。声をかけようとした瞬間に、真君がとんでもないことを口にした。そのお陰で、声をかけるタイミングを失ってしまった。
生まれてくるべきではなかった。とは、どういうことなのだろうか?
僕は、草陰に隠れて、二人の様子を伺っている。雫さんが、理由を尋ねているが、真君は無言で首を振るばかりであった。そんな真君の様子に居た堪れなくなったのか、雫さんは話題を変えた。好きな音楽や本の話など、とりとめのない世間話をしている。次第に、真君の頑なな心が解けて、互いに笑い合っている。あんなにも楽しそうにしている真君を初めて見た。日頃の暴言が嘘のようだ。あんなにも無邪気な姿を晒している。なんだか、複雑な心境だ。僕の方が、少しだけ付き合いが長いのだけど。
この盗み聞きをしている状況に、そろそろ心苦しくなってきた。僕は、意を決して立ち上がり、わざとらしく咳払いをした。その瞬間に、雫さんと真君が、同時に僕の方を見た。そして、膝から崩れ落ちそうになる自分を必死になって堪えた。真君の顔が、瞬間的に冷たくなったのだ。まるで、ゴミでも見るような眼だ。
素早く立ち上がった真君は、無言で立ち去ろうとする。しかし、僕は彼の背中に声をかけることができなかった。小さく声を漏らした雫さんは、心配そうに真君を見送っている。しまった! タイミングを見誤った。
「真君! また、ゆっくり話そうね!」
雫さんが声をかけると、真君は立ち止まり、ゆっくり振り返る。そして、雫さんを見つめ、軽く手を上げると、反転して屋敷の中に姿を消した。生ぬるい風が吹き、立派な樹木の葉がこすれ合う音が聞こえた。
「すいません。雫さん。折角楽しそうにしていたのに、邪魔してしまって」
「私は、良いんだけどね。真君は、何か訳ありっぽいね?」
「何か言ってましたか? 僕も色々気になることがあるんですけど、取りつく島もなくて」
雫さんの隣に立つと、彼女は小さく顔を振った。
「詳しい事情は、なにも。でも・・・ここの人達とは、上手くいっていないの?」
「そんなことはないと思うんですけどね。真君が、エイティーフィールドを張っていて、近づくことすら、困難な状況でして」
真君の頑なな性格は、確かに考え物だ。今までは、さほど気にしてはいなかった。僕に対する暴言くらいなものだと思っていた。しかし、先ほど真君は、響介さんのお願いを断り、祈子さんと喧嘩をしている。歪屋家に世話になっている者同士として、見過ごせない状況だ。
「それにしても、真君は、雫さんには、懐いているように見えましたけど」
「懐いているというか、一番年が近い女性だからでしょ? 接しやすいだけだよ。時君や六角堂君のような男性は、やっぱりちょっと怖いんじゃないかな?」
やはりそうか。同じ屋根の下に暮らす住人が、他人で年上だと気が休まらないのかもしれない。だが、銀将君ならまだしも、僕を怖がっているとは思えない。あの暴言の数々。一番弱そうな僕で、日頃の鬱憤を晴らしているような気さえする。僕が、真君の暴言にもめげずに食い下がれば、状況は好転するのだろうか? 僕に、そんなメンタルが、あるとも思えないけれど。
「あの雫さん? もし、良かったら、真君を気にかけてあげてもらえませんか?」
「うん、勿論、良いよ。でも、時君もちゃんと面倒みてあげてね。一緒に住んでいる仲間なんだからね」
僕は、返事をして顎を引き、雫さんを見た。すると、雫さんは、目を細め優しく微笑みを返してくれた。思わず見とれてしまいそうになったが、誤魔化すように空を仰いだ。空はすっかり黒く染まっており、星々の明かりが点在していた。
「雫さん。送っていきます」
「うん、甘えちゃおうかな?」
雫さんの笑みを見ると、自然と頬が緩んでしまう。僕と雫さんは、出口の方へと向かっていく。
「あ、そうだ! 響介さん、だったよね? 住職さん。きちんと、ご挨拶したいんだけど・・・ああ、でも、お客様が見えているよね? どうしよう」
「ああ、それなら、後で僕が伝えておきますよ」
「そう? そうだね。じゃあ、それもお願いしようかな? 時君には、お世話になりっぱなしだね?」
「いえいえ、そんな」
僕は、懸命に手を振って、先を歩く。恥ずかしさのあまり、歩く速度が上がってしまう。雫さんは、小走りで僕の隣に並び、僕を見上げ微笑むのだ。何故か分からないけど、痒くもないのに、首筋を掻いてしまう。千年階段に差し掛かると、鳥居の下には九十九さんが明かりを灯して立っていた。すると、九十九さんは、明かりを僕に手渡してきた。てっきり九十九さんも、千年階段の下までついてくるものだと、思っていたので驚いた。
「染宮殿、お気をつけ下さい。藍羽殿、またいつでもお越し下さいね」
九十九さんは、丁寧にお辞儀をすると、僕の耳元に仮面を寄せた。
「無粋な真似は、致しません」
囁いた九十九さんが、一歩下がり、お辞儀をした。僕は、笑みを浮かべ、会釈を返した。なるほど、九十九さんにもバレていたようだ。僕は、明かりで雫さんの足元を照らしながら、千年階段を下った。そして、下方の鳥居の下にいた九十九君に、明かりを手渡した。
「やっぱり、お寺さんって、空気が変わるよね? 神聖な場所だからかなあ? 時君、どうしてだと思う?」
鳥居を潜ると、雫さんが息をついた。
「どうしてなんでしょうね? 僕は、住んでいるんで、あまり感じたことがないですけど、確かにそういうのは、良く聞きますよね? もしかしたら、本当に別世界なのかもしれませんよ。この玄常寺も、常世と現世の境界線みたいな意味があったそうですからね」
「え? そうなの? なんだか、怖いね」
別に怖がらせるつもりはなかったけれど、雫さんが不安気な表情を浮かべた為、慌てて冗談っぽく笑って見せた。しかし、状況は、あまり芳しくない。笑い声が、夜空に吸い込まれ、お返しと言わんばかりに、静寂が降ってきたように感じた。
何か話さなければ、と思えば思うほど、思考は空回り、何も思い浮かばない。微かに地面を擦る足音だけが、耳に届いている。と、その時、僕は雫さんの横顔を眺めた。
「雫さんって、静かに歩きますね? 足音がまるでしない」
「え? そう? 意識したことなかったけど」
会話が終了してしまった。何でも良いから、話題はないのか? 脳味噌が擦り切れるほど考え抜いた末、思い浮かんだのは真君のことだ。しかし、こんなある意味暇つぶしのように、気軽な感じで触れて良い話題なのか逡巡する。でも、やはり、考えれば考える程、気になって仕方がない。
「あの、雫さん。さっき二人が話している内容を偶然聞いてしまったんですけど・・・」
あくまでも、偶然であったと、強調した。雫さんは、首を傾けている。
「真君が言った『生まれてこないほうが良かった』って、どういう意味なんですかね? どう思いますか?」
「・・・それが分からないの。普通の会話をしていて、お互いの会話が途切れた隙間に、ボソッと呟いた感じだったから・・・時君は、何か心当たりある?」
「いいえ、僕も分かりません。何故、あんなに小さな子が、玄常寺に住み込みで働いているのか、謎なんです。雫さんは、鳳凰寺家って、知っていますか?」
「ううん、知らない」
「そうですか。真君は、その鳳凰寺家の子供らしいのですけど、鳳凰寺家と言ったら、日本でも指折りの財閥なんです。そんな立派な家の子がって考えると、謎は深まるばかりです」
鳳凰寺真君は、やはりあの有名財閥の子供であった。この情報は、九十九さんにこっそりと聞いたので、間違いないだろう。
「財閥というものが、良く分からないけど、お金持ちってことなのよね? それなら、なんだか色々ありそうね? メンツとか世間体とか、複雑なしがらみとか? 一般人には、分からない複雑な環境みたいね。時君のところみたいに」
雫さんが、僕を見て微笑む。確かに、改めて考えると、僕が身を置く環境も相当変わっている。そもそも、一般社会とはかけ離れているのだから、まさにその通りだ。代々受け継がれている歪屋と鳳凰寺。そう考えると、どちらも浮世離れしているのだろう。まさに、雫さんが言った通り、金持ち特有の一般人には理解できない、価値観があるのだろう。何故だか、ストンと胸に落ちた気がした。何をどう理解できて、解決できた訳ではないけど、妙に納得できた気がした。僕のいる世界も、真君がいた世界も、どちらも変わっている。そして、真君は、『もののけもの』の世界にきた。過去には、辛い出来事もあったのかもしれないし、現在進行形かもしれない。でも、こっち側にきたのなら、未来はさほど悪くないかもしれない。過去は変えられないけど、未来は変えられるのだから。僕に、何ができるか分からないけど、一緒に悩み歩くことはできる。そう考えると、真君の暴言も受けて立とう、という気構えができる。
「さすが、雫さんですね。ありがとうございました」
「え? 何が? 私、何もしてないけど?」
困惑する雫さんを他所に、僕はあの口の悪いチビッ子と仲良くなる方法を考えている。さて、どうしたものか?
「何を考えているの?」
「え? ああ、どうやって、真君と仲良くなろうかなと、思いまして」
雫さんからの問いに答え、腕組みをして夜空を見上げる。輝く星でも流れたら、お祈りをするのだけど、そんな都合良くいかない。
「そんなの簡単じゃない!」
「え? どういうことですか?」
「今度の休みに、デートしましょ?」
「はああああああああああ??」
僕は、思わず、大声を上げてしまい、咄嗟に口を押えた。腰を抜かしそうになりながらも、必死で足腰に力を入れる。
「デ、デ、デートって、雫さんと僕がですか!?」
「うん! それと、真君の三人で!」
そういうことですか・・・ここで、あからさまに落胆した表情を見せる訳にはいかない。しかし、それは名案だ。何事もまずは、自分が楽しまなければならない。そして、真君もきっと、楽しめるはずだ。気晴らしに、出かけるのは、良い気分転換になるだろう。僕は、取り合えず横弾きにしても、真君も雫さんと一緒なら、喜ぶはずだ。
「それは、良い考えですね! そうしましょう! 真君を誘っておきますね!」
「うん、お願いね。じゃあ、私は、どこに遊びに行くのか、考えなくちゃ!」
それから、僕と雫さんは、お互いにデートプランを出し合いながら、夜道を歩いていった。
雫さんを送り届けて、足早に玄常寺へと帰った。しかし、それからが、大変だった。僕としては、早く真君に話したかったのだけど、酔っ払いに捕まってしまったのだ。
大広間では、響介さん、神槍さん、鍵助さん、鏡々さんが、盛大に酒盛りをしていた。銀将君は、一人で帰ったそうだ。主を一人で帰す付喪神もどうかと思うのだが。
それから、根掘り葉掘り、雫さんとのことを聞かれた。いいや、聞かれたなんていう可愛げのあるものではなかった。あれは、尋問だ。いや、拷問といっても過言ではなかった。しかし、デートを台無しにされる訳にはいかないので、その秘密は必死で死守した。そして、守り抜いた僕自身を、褒めてあげたい。
翌朝一番に、真君の部屋を訪れ、次の休みに雫さんと三人で遊びに行く提案をした。
「はあ!? そんなの行く訳ないじゃん! 僕は忙しいんだよ!? お前達で勝手に行ってろ!」
怒鳴りつけられて、部屋を追い出された。カッコをつけて、真君を誘っておくと、言ってしまった手前、非常に情けないのですが・・・。
雫さん、助けて下さい。
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