「おはよう! 銀将君!」

 堤防道路をあくびを噛み殺しながら歩いていると、前に銀将君の後ろ姿を発見した。

「おっす! 時、大変だったみたいだな? 鍵助から聞いたよ」

 立ち止まってくれている銀将君の隣に着き、互いに歩き出す。

「はは、僕は何もしてないけどね」

「まあ、そう言うな。何事も経験だ。でも、今回の案件は、なかなかの大ごとだな。気を付けねえと」

 確かに、大ごとだ。僕なんかが、触れていい案件ではない。でも、こんなチャンスは滅多にないと、響介さんが言っていた。一気に経験値を稼ぐことができるそうだ。正直、この世界に足を踏み入れて、面食らっている。何せ日常生活で、殺意を持った人間に、刀を振り下ろされることなんか、ほとんどないのだから。髪の毛でグルグルに縛られている男を見ることもない。まさに、前途多難だ。そう言えば―――

 髪の毛グルグル男は、無事なのだろうか?

 鍵助さんが、確認しに行ってくれている。また、あの『首狩り夜叉丸』という悪霊に遭遇していないと良いけれど。本当に、昨夜は、鍵助さんに同行してもらって、助かった。もしも、僕一人で行っていて、元町先輩の部屋に吊るされた髪の毛グルグル男を発見したら、どうしていただろう? 僕では、彼を下ろすことは、できなかっただろう。でも、髪の毛が続いていることに気が付き、興味本位で髪の毛を追いかけていたら・・・そう思うと、ゾっとする。間違いなく、確実に殺されていただろう。霊体が人間に直接的な被害を与えることはないけれど、僕のような霊媒体質者は、直接的な被害を受けてしまう。その被害も力の強弱で変わるし、干渉のされ方も変わる。霊体は、自分が見られていると勘づくと、助けを求めたり、ちょっかいをかけてきたりする。その『ちょっかい』の度合いが、まさにピンキリだ。

 僕のような『見えるだけ』の人間は、まさに格好の餌食だ。自分の為にも、そして困っている人を助ける為にも対処法を学び身につけなくてはならない。

「お前、寝てねえの? スゲー顔してんぞ?」

「はは、まあね。昨日、て言うか今日か。帰ってから、響介さんに報告して、それから興奮して、眠れなかったんだよ」

 頭を掻きながら、照れ笑いする。あまりにもショッキングなことが起こり過ぎて、僕のキャパを完全にオーバーしていた。それでも、平然と眠れる肝っ玉を身につけねばならない。これも、経験の内なのだろう。

「あ! そう言えば、鍵助さんに聞き忘れてたんだけど、鍵助さんの能力ってなんなの? 知らない家の玄関の鍵を開けたかと思うと、入ってみたら響介さんの家だったんだけど?」

「ああ、まあ、そのままだよ。ある意味、瞬間移動だな」

「瞬間移動?」

 姿を消すことができて、瞬間移動までできるのか。見かけによらず、ハイスペックな付喪神だ。鍵助さんは、銀将君の補佐役というポジションのようだけど、戦闘面でも高い能力を持っているみたいだった。相手が、あの夜叉丸でなかったら、倒していたような気がする。

「まあ、瞬間移動って言っても、限定的だけどな。あいつは、三本の鍵を持っているんだよ。それで、それぞれマーキングしている場所に飛べる。つまり、扉と扉を繋げることができるんだ」

「へえ、三か所に自由に行けるってことなんだ? その三か所って?」

「今は、二か所だけどな。俺んちと歪屋んちだ。もう一つは、空けてあるみたいだな。とは言っても移動場所は、自在に変えられるみたいだけどな」

「へえ、便利だね?」

「おう! 便利だぞ? なんせ、玄常寺のあのくっそ長い階段を上らなくて済むからな。俺は、上ったことねえぞ」

 マジか!? それは卑怯だ。僕なんか、一日に二回もあの千年階段で、苦しんでいるというのに! しかも、最低で二回だ。たまに嫌がらせのように、響介さんにお使いを頼まれてしまう。なにせ、お使いは、僕の役目なのだから。必死の思いで食材を抱え、辿り着いたら『あ、酒が切れてた。時、頼む』なんてざらだ。今は、男手が僕しかいないから、仕方ないけれど。九十九衆は、玄常寺から出られないし。今後は、タクシー鍵助を利用させてもらおう。

「まあ、鍵助が空いてたら、好きに使っても良いぞ!」

 よし、主人の言質を頂きました。僕がよっぽど羨む顔をしていたのだろうけど、銀将君が心を読んだように言ってくれた。鍵助さんの泣き所は、銀将君であることは分かっているので、おおいに使わせて頂く。

「ああ、そうだ。学校終わったら、玄常寺に集合だったよな? 昨日のクライアントも連れて行くんだろ?」

「・・・うん。一応、元町先輩の話も聞きたいって、響介さんが・・・」

「なんだ? 嫌そうだな? どうかしたのか?」

「いや、別に、嫌って訳じゃないけど・・・」

 僕は、歯切れ悪く言い、銀将君から視線を逸らした。嫌という訳ではないけど、億劫だ。ただでさえ、元町先輩は、あんなにも怖がっていたのだから。出来る事なら、秘密裡に処理したかったのだ。わざわざ、現実を突きつけて、恐怖心を煽らなくてもというのが、僕の見解だ。でも、ことがことだけに、そうも言っていられないようだ。ほんの微細なことでも情報を収集したいそうだ。何よりも、僕の主人でもある響介さんに逆らえない。僕は、何もできないのだから、せめて響介さんのお使いくらいは、しっかり役目を果たさないと。

 寝てないからなのか、昨夜の全力疾走で筋肉痛に襲われているからなのか、元町先輩に真実を語らなければならないからなのか、理由は判然としないけれど、体が異常に怠くて思うように動かない。きっと、全盛増しましなのだろう。僕は、重い体を引きずるようにして、学校へと向かった。

 午前中の記憶がほとんどない。僕は、教室の自分の席に着いた途端、泥のように眠っていた。と、明方さんに、そう告げられた。なんだか、食欲も湧かないので、昼休みは睡眠続行で。

「おーい! 染宮君! お客さんだよ!」

 机に引っ張られるように、突っ伏していると、突然呼ばれた。呼ばれたのは理解したが、体がなかなか起きてくれない。重力に逆らうように、ようやく顔を起こすと、教室内の視線が集まっていることに気が付いた。いつもの喧騒が膨れ上がっているような気がする。緩慢な動きで、視線を彷徨わせていると、無意識で体が動いた。眠っていたことを先生に咎められたように、素早く立ち上がったのだ。僕の視線の先には、藍羽先輩がいた。前方の扉から、教室内の様子を伺っている。それは、騒然とするはずだ。昨日の今日なのだから。僕が、急いで藍羽先輩の元へ駆け寄っていると、すれ違うクラスメイト達に、ヤジを飛ばされ殴られた。

 教室の前方の扉に辿り着くと、藍羽先輩の後ろに元町先輩もいた。

「昨日のあれは、どういうことなの?」

 藍羽先輩の一声に、教室内が色めきだった。誤解を招くようなことは、言わないで頂きたい。そして、皆が想像し求めているような色っぽい話では全くない。僕は二人を促して、人気のない場所へと誘導した。

 元町先輩は、怯えた表情を浮かべ、藍羽先輩は何故か怒っているみたいだ。

「染宮君! 昨日のことをちゃんと説明して!」

 藍羽先輩が、綺麗な顔を僕に接近させてきた。いつもなら、飛び上がるほど嬉しいのだろうけれど、今はとてつもなく居心地が悪い。眉を吊り上げた藍羽先輩から目を逸らし、後ろにいる元町先輩を見た。元町先輩の方が居心地悪そうに、体の前で組んだ指を仕切りに動かしている。落ち着かないように見えた。

「聞いているの? 染宮君?」

 透き通るような声をしている藍羽先輩だが、今は棘が生えているみたいだ。僕は、深呼吸をして、覚悟を決めた。元町先輩のことを慮っていたけれど、僕自身のお使いの命もある。何よりも、問題解決が、元町先輩の安寧の為でもある。そう、自分に言い聞かせた。

「あの、もし良かったら、藍羽先輩は、席を外して頂けませんか?」

 せめて藍羽先輩だけでも蚊帳の外に出てもらった方が、良いと判断したのだ。巻き込む訳には、いかない。

「良くないわよ! 私だって当事者よ! 陽衣子を一人にできる訳ないじゃない!」

 めちゃくちゃ食ってかかられた。藍羽先輩って、想像よりもずっと気が強いみたいだ。普段は、花のように可憐なのだが、薔薇だったのか。綺麗な花には、棘があると誰かが言っていたような気がする。

「わ、分かりました。全てをお話しする前に、元町先輩?」

 元町先輩に声をかけると、彼女は分かり易く動揺し、華奢な体が小刻みに震えていた。元町先輩は、眉を下げた怯えた表情を向ける。

「今日は、何か予定はありますか?」

「・・・と、特には、ないけど」

 弱々しく元町先輩は答え、色の悪い唇に触れた。

「私もないけど、それで?」

 藍羽先輩が、ずいっと顔を寄せて来る。なんだか、とても責められている気持ちになってきた。それも仕方のないことなのだろうけれど。僕は、もう一度深呼吸をして、荒々しく暴れまわる心臓を鎮める。

「実は、昨夜の出来事を僕の主人である玄常寺の住職に伝えました。すると、元町先輩から話を聞きたいとのことで、今日学校が終わってから、僕と一緒に玄常寺に来てもらえませんか?」

「え? 今日? ・・・分かりました」

「その時に何が起こっていたのかを説明します」

「うん、分かった」

 怯えながらではあったものの、元町先輩から了承を得られ、少し肩の荷が下りたような気がした。

「じゃあ、学校が終わったら、下駄箱の前に集合ね?」

「え? やっぱり、藍羽先輩も来るんですか?」

「当たり前じゃないの! 陽衣子を一人で行かせられる訳ないじゃない! 陽衣子が行くんだったら、私も行くわよ!」

 これは、何を言っても聞く耳を持ってくれそうもない。あまり人のことは言えないけれど、元町先輩は物凄く具合が悪そうだ。日を改めた方が良いのかもしれない。でも、だからと言って、先延ばしにするのもどうかと思うし。何よりも、藍羽先輩を連れて行っても良いのだろうか? 本人は、当事者と言っているが、部外者であることには変わりはないのだ。凶悪な悪霊が関係している案件なだけに、あまり関わりを持って欲しくないのだけれど。しかし、藍羽先輩のこの頑なな表情を見る限り、僕に説得するだけの力があるとも思えない。正直、友達思いな熱い正義感が、僕に取っての障害になっている。僕は意を決して、真剣な眼差しで藍羽先輩を見つめた。

「藍羽先輩! 別に脅す訳ではありませんが、この案件は非常に危険です。何が起こるか分かりません。危険な目にも合うかもしれません。それでも関わりますか? できる事なら、藍羽先輩には、身を引いて欲しいと思っています。僕達が必ず、元町先輩を守りますから!」

 意図して、威圧感を出して話した。否定はしたが、実際は脅したも同然だ。それでも藍羽先輩には、これ以上関わって欲しくない。僕の圧力に、少し身を引いた藍羽先輩は、一瞬丸くした瞳を尖らせた。

「嫌よ! 陽衣子が心配だもの! 私も一緒に行く!」

 藍羽先輩は、元町先輩の手を握って、僕を真っすぐ見上げる。何があってもついて行く。何があってもこの手は離さない。そういった意思表示、決意表明のように見えた。僕には、『折れる』の一択しか、選択肢がない。

「それに・・・」

 僕は諦めモードで、頭を抱えていると、藍羽先輩が僕を見つめて、優しく微笑んだ。

「私のことも守ってね」

 ダメ押しだ。

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