四四、明日の希望

 カウンター席と円卓がふたつ置かれただけの狭い店内。

 神棚の隣に置かれたテレビが、県庁襲撃の暗鬱としたニュースを吐きだしつづけている。

 店内に客はおらず、コックと妻、そして娘の三人だけが、テレビを見上げていた。


 また〈クラブラザーズ〉か! あの畜生どもめ……!


 コックはすんでのところで、円卓に振りかぶった拳を止めた。


 いかん……。落ち着くんだ。


 痛くもない拳をさすり、己にそう言い聞かせた。

 妻も娘も不安に押し潰されようとしているはずだ。

 そんな時に、一家の大黒柱がこんな風では、余計に彼女たちを不安にさせてしまうだろう。


「ちょっと店のまえ掃いてくるかね」


 おもむろに箒を手にし、コックは外の風を浴びることにした。


「……んっ」


 一たび戸口を開けば、飲食店街には不釣り合いなサイレンや救援要請の放送が飛びこんできた。

 慌てて外にでて戸を閉め、青々と澄んだ空を見上げた。


「くそ……」


 眩しくて涙がこぼれそうだった。

〈クラブラザーズ〉に店を襲われた恐怖が、悔しさが胸のうちを過ぎった。

 店を失ってからしばらく、腐った生活を送っていたことが思い出された。


 昼間に目を覚まし、酒に入り浸っていた日々のことだ。

 そこには妻と娘の姿もある。

 彼女たちとの間に、軋轢が生じたからではない。彼女たちが、絶望に溺れていたコックを救ってくれたからだ。


 ある日の夕食どきのこと。


 食卓に運ばれてきたのは、オムライスに串カツをのせた変則ボルガライスだった。

 コックは顔もしかめつつも、それを酒で流そうとした。


 スプーンに手を伸ばしたときだった。

 そこに妻の手が重ねられた。

 コックは妻を見た。

 妻は首をふった。そして、おもむろに串カツの串を切るとこう言ったのだった。


『あんた。仲間を殺されて、店もなくなって辛いよね。わかるよ。一緒に働いてきたんだ、あたしだって同じ気持ちさ。でも、過去に囚われるのは、ここまでにしないかい? あんたの串……死と苦しみは、ここで断っちまおうよ』


 そこに娘がやって来た。

 娘は妻に頷くと、コックにも頷いた。


『お父さん。またみんなで一緒にボルガライス作ろうよ』


 コックの手に、妻の手に、娘の手が重ねられた。コックはふたりを交互に見て、真っ二つに断ち切られた串を一瞥した。


 コックの了承を得る前に、妻子は新たな店を探していた。それを聞かされたコックは、大きな溜息をついてから酒瓶を割った。

 ボルガライス店再建の目途が立ち、明日オープンが決まったときは目の腫れが消えなかった。


 だが、〈クラブラザーズ〉がフクイを支配してしまえば、また店を失うことになるかもしれないのだ。

 いや、それどころか妻や娘まで奪われるかもしれない。

 そうはならなかったとしても、あのゲスな連中にボルガライスを振る舞うことを想像しただけで、はらわたの煮えくり返る思いがした。


「なんか大変なことになっちまってるね」


 ふいに声をかけられ、コックは我に返った。

 隣の建物から出てきた、ステテコ姿のオヤジだった。

 コックは軽く頭を下げた。


「あんたは行かねぇのかい?」


 オヤジが吸いかけの煙草を向けてきて言った。

 コックは曖昧に笑った。アーケード街に構えていたボルガライス店での戦いを思い出しながら。


「ま、行かねぇよな。きっと、前のときみたいに誰かがなんとかしてくれるさ」


 そう言うと、オヤジは暢気に煙草を吸いはじめた。

 漂ってくるその味に、においに、胸の奥まで炙られるような気がした。


 本当に、このままでいいのか?

 フクイが助けを求めているのに、いるかどうかもわからない誰かに任せっきりでいいのだろうか。


 立ち止まっていることに抵抗を覚えた。

 けれど、開店を控えた店をふり返ると、その思いも熱を失くす。

 戦えば死ぬかもしれないのだ。

 愛する妻子を置いて。


「そんなこと」


 できるわけがない。

 そう言いかけたとき、オヤジが西の空に目を向けた。


「……なんだ?」


 コックもつられて見てみたが、最初は何も異変を見出せなかった。


「なんか、聞こえないか?」


 オヤジに言われ耳に手をあてると、確かに、とおく地響きのような音が聞こえてきた。


 ……ドド、ドドド、ドドドドドド!


 それは急速に近づいてきていた。

 コックとオヤジは顔を見合わせた。

 それとほぼ同時だった。

 西の空を翼竜の影がきり裂いて、その真下の街並みから砂埃が押し寄せてきたのは。


「なんだなんだ!」


 オヤジが慄いて建物の中に引っこんだ。

 コックは、その場から動けなかった。奇異な光景にそそけ立っていたにもかかわらず。


「ガガァ!」


 翼竜が右へ左へ蛇行しながらやって来る。

 砂埃が、無数の人の形をとり始める。


「誰でもいい! 力を貸してくれェ!」


 やがて翼竜が声を発した。

 いや、違った。

 翼竜――ピンクのプテラノドンの背に跨った男が叫んだのだ。


「フクイを救うには、〈フクイ解放戦線〉だけじゃ力不足だ! みんなの力を貸してくれ! 明日の希望をとり戻すためにッ!」


 プテラノドンは滑空し、低空を飛行しはじめた。

 そして、コックの眼前を通過した。


「あ」


 その一瞬、背中の男と目が合った。

 そして、稲妻に貫かれたような衝撃を味わった。

 彼を知っていたからだ。

 あの異様な身なりを忘れるはずがない。

 彼は、ボルガライス店が襲われた際、身の危険も顧みずともに戦ってくれた客だ。


 コックは思った。


 彼がいなければ、娘はカニ人間に殺されていただろう。

 妻も、自分もそのあとを追っていただろう、と。


 本当に、このままでいいのか?

 コックは拳を握りしめた。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


 目の前を、プテラノドンを追った群衆が駆けぬけていった。

 コックは身を翻し、店のなかに飛び込んだ。


「うわ、なにさ!」

「えっ、お父さん!」


 いきおい両腕で妻子を抱きしめた。


「なあ、ふたりとも聞いてくれ」


 コックはその熱を肌に受けながら言った。


「おれは戦う」


 妻と娘はその腕を押し返した。

 コックの濡れた瞳をまっすぐに覗きこむと、妻が言った。


「どうしてだい?」


 コックはふたりの厳しい眼差しを、真っ向から見返した。


「明日の希望をとり戻したいんだ」

「でも、それってお父さんがやらなくちゃいけないこと……?」


 娘が食い下がった。その気持ちに胸を衝かれた。

 もしも、戦いに参加して自分が帰ってこられなかったら。

 妻子だけが取り残されてしまったとしたら。

 それらを想うのは、自分が死ぬことよりも、ずっと恐ろしく思えた。


 コックはおもむろに新しい店内を見渡した。

 そして、働く自分たち家族の姿を、満足そうにボルガライスをかきこむ客の姿を想像してから、娘に向きなおった。


「……やらなくちゃいけないことだ。父さんにはな、今でも抱き続けてる夢がある。少しでも多くの人たちを幸せにしたい。そんな幼稚で陳腐な夢がな」


 娘は不可解そうに眉をひそめたが、コックは口を噤まなかった。


「フクイへ来て間もない頃、父さんは右も左もわからず困っていた。早く外の世界へ戻りたかったのに、それができないと分かって茫然とした。死にたいと思ったことだって、何度もあった。でもそんな時、ボルガライスに出会ってな。おいしくておいしくて、死にたい気持ちが吹き飛んだ。またこれを食べるために生きようって思えた。この気持ちを他の人にも分けてあげたいって思ったんだ」


 コックはそこで一度言葉を区切り、テレビを一瞥した。番組が切り替わることも、コマーシャルをはさむこともなく、救援要請が吐きだされ続けていた。


「だから、お父さんは……俺は、フクイの危機を誰かに任せっぱなしにすることなんてできない。この気持ちに嘘を吐いたら、自分自身も、これから俺のボルガライスを食べてくれる人たちまで裏切ることになると思うから」

「じゃあ、あたしたちの気持ちはどうなんだい?」


 と、言った妻の声は静かだった。

 ひどく怒っていた。当然だった。

 それでもコックは、自分の気持ちを曲げはしなかった。


「もちろん、申し訳ないと思ってる。どんな言葉だって言い訳になるだろう。でも、あえて言わせて欲しい。俺は、俺を支え続けてくれたお前たちにとっても、相応しい人間でありたいんだ。そのためにも、行きたいんだ」


 コックは深々と頭を下げた。

 重苦しい沈黙が流れた。

 ややあって返されたのは、ふたつの大きなため息だった。


「……仕方ないなぁ」


 と、娘が言った。

 コックはおもむろに頭を上げた。

 娘は呆れた様子で父を見ていた。


「帰ってきたら、もっと料理教えてよね」

「いい、のか?」


 コックは目を見開き、娘と妻を交互に見やった。

 妻は肩をすくめると、またぞろ深い嘆息をこぼした。


「いいも何も、言うこと聞きやしないんでしょ? それに、あんたの死と苦しみは、あの時あたしが切ってんだ。大丈夫に決まってるさ」


 今度は妻のほうから抱き着いてきた。

 娘が両親の肩を優しく抱き寄せた。

 コックも妻子の背に手を回した。ふたりの潤んだ瞳を前にして、ついに涙した。


「ありがとう」


 ふたりの肩を叩くと、コックは立ちあがった。

 カウンターの奥から護身用のショットガンを引っぱりだして玄関を出た。

 去り際、愛する妻と娘をふり返った。


「店を頼む」

「「わかってるよ」」


 重なり合った頼もしい声を最後に、コックは今度こそ店をあとにした。東の空に舞うプテラノドンを追って地を蹴ったのだ。

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