四二、特異個体

 マスナガとナカネが駆けつける頃には、銃声はまばらになっていた。


「ひでぇ……」


 ナカネの眼下には、生垣迷路だったものが広がっていた。

 不自然な一本道が築かれていた。ドミノのごとく壁を薙ぎ倒された痕だ。地面は赤に染めあげられていた。無論、カーペットなどではなく、防衛にあたったメガネイターたちの血のりだった。


 しかし、これだけの虐殺が起こった道の上に、大軍勢の姿はない。


「バカな……」


 一本道の先頭を歩いているのは、たった一体のカニ人間だ。

 やや離れたところに、別な二体のカニ人間と、幾つかの人影が歩いてはいるものの、すべて合わせても十にすら満たなかった。


 あのマズルフラッシュの明かり。一本道の血のり。

 守りが脆弱だったはずはない。なのに、何故?


 不可解に思いつつも、動かないわけにはいかなかった。

 ナカネを一瞥し、それを攻撃の合図とした。

 カニ人間はナカネに任せ、マスナガは生身の人間のほうに狙いを定めた。

 その瞬間、胸を射られた。


「ッ!」


 たまらず胸を見下ろしたものの、


「なんだ……?」


 そこに傷はなかった。

 ナカネに目をやると、同じものにあてられたようだった。地上を見下ろしたまま固まっていた。


 殺気……!


 気付いて地上に目を戻すと、先頭のカニ人間がこちらを見ていた。

 身体の半分が茹でガニのように赤く染まった奇異な個体だった。触覚のようにとび出た複眼は一方が欠けている。

 だが、残ったもう一方に見られているのではない。

 甲羅の中でぎょろぎょろと蠢く人に似た眼球が、こちらを見ているのだ。


「なんだ、あいつは」


 マスナガは柄にもなく声を震わせた。


「上だァ!」


 すると、地上から叫び声があがった。

 後ろのカニ人間が即座に動き出すと、ナカネが我に返って引金をひいた。


 ダダダダダダダダダ!


 銃弾の雨は当初の予定とは違い、動きだしたカニ人間たちに降り注いだ。


「ブジュジュジュ!」


 しかしカニ人間たちの横歩きが速い!

 生身の人間たちを抱え、遠ざかっていく!


「……」


 マスナガは、そこに加勢しようとはせず、先頭のカニ人間を注視していた。

 悠然とふり返る、その余裕。

 ただならぬものを感じた。

 マスナガはプテラノドンの首を叩いた。


「ガガアアアアア!」


 その意思を汲みとり、プテラノドンが急旋回した!


「ブジュウウウウウウウウウ!」


 とほぼ同時、奇怪なカニ人間が泡を吐き出した!

 それも一本ではない!

 三本の泡が放射状に放たれたのだ!


「ガギャアア!」


 翼の先端が斬り飛ばされ血を噴いた!

 バランスが崩れ、プテラノドンの身体が斜めに傾ぐ!


「うおあ! なんだッ!」

「墜落する」


 プテラノドンは足掻いたが、もはやその身体が浮き上がることはなかった。

 奇怪なカニ人間の姿が遠ざかり、破壊された壁の向こう、メガネイターたちの立ち往生する迷路が、猛烈な勢いで迫ってくる!


「や、やばいぞ! どうすれば」

「跳べ」

「またか!」

「生垣に着地できなければ死ぬだけだ」

「くそ……ッ!」

「生きろ」


 ふたりに選択の余地はなかった。

 プテラノドンの背中を蹴り、宙に躍り出た!


「お前も生きてくれ」


 マスナガはプテラノドンにそう言い残すと、重力の網に身を任せた。

 氷の壁のような風圧が押し寄せてきた。

 反転した視野に、空が映った。

 薄く雲がかかって白かった。

 それもまた氷のようで。

 押し寄せる冷気は、避けがたい死を予感させた。


 なのに。


 ……まだだ。


 マスナガはいつの間にか、往生際の悪い人間になってしまっていた。

 薄氷のような雲の向こうに黒い塊を見つけると、ますます死を受け入れる気にはなれなかった。


「……〈オオノ〉」


 いつか三人で目指した、安息の地だった。

 心があの場所に引き寄せられるような気がした。

 そして、マスナガは考えるのだ。

 三人であの場所にたどり着く約束は、もう無効だろうか、と。


「いや」


 結論はすぐに出た。

 やはり、死ぬ気になどなれなかったから。

 無効になっていたなら、また約束すればいい。

 そのためにまだ生きるのだと、とっさに両腕で頭を守った。

 衝突の瞬間は、間もなく訪れた。



――



 稲妻に放り込まれた気分だった。

 ナカネは音の鞭でいたぶられ、全身を烈しい熱に焼かれた。

 目の前は真っ白に染まっていた。


 音の鞭が途絶えたのは、それからどれくらいあとのことだったか。


 いつの間にか、感覚という感覚がぼやけて感じられた。

 まるで夢から覚める寸前のように、目も鼻も耳も、自分という存在としっかり結びついていない感じがした。

 ただ熱だけが鮮烈に疼いていた。

 次の瞬間、痛みが爆発した。


「うあ、っが……ァ!」


 それは激しい苦しみをもたらしたが、同時に曖昧だった感覚のスイッチをバチンとオンにした。だから、激痛が背中にはしったのだとわかったし、意思に準じて目を閉じることができた。


 視界の白が闇に変わると、少しだけ身体が軽くなったような気がした。

 それは死にとてもよく似ていた。死んだことはないが、なんとなくわかった。

 欄干から身をのり出そうとしたあの時も、ほんの少し身体が軽くなったのを覚えている。


 まだだ……。


 ナカネは、その薄布のような感覚を脱ぎ捨てた。

 目を見開き、つよく瞬いた。

 白んだ視野に、陽炎じみた輪郭が戻ってくる。


「……どこだ、ここ」


 とはいえ、辺りはほとんどが闇だった。方々からとび出した枝が視界を埋めていた。

 顎を上げると、うすく雲に覆われた丸い空が見えた。

 さながら井戸の底だ。

 どうやら生垣の真上から突っこんで、そのまま埋まってしまったようだった。


「プッ!」


 ナカネは血の唾を吐き捨てると、順序良く急所に触れていった。

 当然ながら、全身ボロボロだった。

 タクティカルベストは破れ、そこら中血に濡れていた。


「ぐあ……ッ!」


 背中には木の枝が刺さっていた。

 幸い、痛みのわりに深くはなかった。

 ナカネは枝をへし折って、無理やり引き抜いた。


「いってぇ……ッ、くそ」


 痛みが鈍るまで待ってから、身を起こそうと腹に力をこめた。


 ダダダダダダダダダ!


 そこに銃声が聞こえてきた。

 かなり近かった。


「……」


 だが、それもすぐ途絶えた。


 敵を倒したのか?

 わからない。


 ナカネは警戒した。

 息を殺し、アサルトライフルを構えた。


「ブジュ!」


 すると、眼前の生垣が割れた。

 カニ人間が現れた。


 なんだ、こいつ……。


 普通のカニ人間ではなかった。

 半分が茹でられたような赤で、もう半分は磨かれた銅のように輝いていた。赤いほうには複眼がなく、銅のほうにだけ複眼があった。甲羅に、人に似た眼球が蠢いていた。


 ナカネは疑問も恐れもふり払い、ただ一人の戦士として振る舞った。跳弾の危険さえ顧みず、引金をひいていたのだ!


「ブジュジュジュジュ、ジュッ!」


 カニ人間は無様に踊った!


 ダダダダダダダダダ!


 ナカネは撃ち続けた!

 銃がホールドオープンする、その時まで!


「……」


 最後の薬莢がキリンと音をたてたのを最後に、静寂が訪れた。

 カニ人間がよろめき項垂れた。

 いきなり撃たれるとは思っていなかったのだろう。

 甲羅の眼球が愕然と目を見開いていた。


「……あ?」


 だがその時、ナカネは気付いた。

 何故、眼球が残っているのだと。

 あれだけの銃弾をばら撒いたのに。


 ……こいつ。

 


「ジュ、ジュジュ……」


 ナカネが目を見開くと、カニ人間は項垂れたまま肩を揺すり始めた。甲羅の眼球がほくそ笑んだように細まった。


「ジュ……ハハ、ハッハァ!」


 そして笑った。

 人の声で、笑ったのだった。



――



 プテラノドンに合図し、ハシモトは高度を上げた。

 視野が拡がると、城址水堀のあちらこちらから這いあがってくる無数の粒が窺えた。


 エチゼンクラゲを乗り捨て押し寄せるその数、さながらエチゼンクラゲを喰らい大量発生したウマヅラハギの如し。

 あの中に相応のカニ人間が含まれていることを勘定すれば、〈クラブラザーズ〉戦力は、ハシモトたち空兵を含めてもなお防衛側の戦力を上回っている恐れがある。


 でも、ぼくたちだって、無策でカツヤマから駆けつけたわけじゃない。


 ハシモトは東西南北に目を走らせた。


「……いた」


 そして目当てのものを見出した。

 それは西、南、北に舞う三つの影だった。

 すなわち、市民を先導すべく街に散ったアサクラ、ハツ、バンダナの三人であった。


「全速力でたのむよ」


 ハシモトは、ふたたびプテラノドンに合図した。

 システムの所在を伝え、戦力を集結させるために。


「ガガア!」


 プテラノドンは快く応えてくれた。

 翼をたたみ加速し、西へ飛翔した!

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