四十、城址北西部
フクイ城址北西部。
いま、泡によってメガネイターが撃墜された。その亡骸は、石垣のうえにそびえ立つ景観樹の枝から水堀へと転落していった。
「ブ、ジュ」
それと入れ違うように、欠けた甲羅からカニみそを垂れ流したカニ人間が、石垣を這いあがってきた。
「ジュア!」
その隣に、もう一体。負傷したカニ人間が上がってくる。
二体が地を踏むと、最後に鉄製の爪が石垣のふちを噛んだ。
「よっ、と……ォ」
やがて上がってきたのは生身の男だった。いびつな笑みを浮かべた顔は、半分が焼け爛れていた。
〈クラブラザーズ〉の残忍な頭領――モリヤマは、首をゴキゴキ鳴らすと西の方角に目をやった。
「あっちは、まだ崩れてなさそうだなァ」
生垣防壁の向こうからは、絶えることない銃声が聞こえていた。
あちらからチンピラが駆けつけてくる気配がないのも、断末魔さえ聞こえてこないのも、一方的に迎撃されている所為だろう。
「ま、無理もねェか」
モリヤマは目を細める。
西のオロウカ橋の守りは堅い。
生垣ではない本物の狭間や袋小路が、効率的に配置されているからだ。
さらに以前の抗争の後、狭間には手が加えられた。現在は鋼鉄の天井まで設けられており、その姿は、トーチカさながらだ。あれを攻略するのは、カニ人間であろうと容易いことではない。
「……ハハァ」
そして、その過剰にも思われる守りが、県知事システムの狙いだとモリヤマは踏んでいた。
だからこそ、庁舎近くの南北方面は他のものに任せ、モリヤマはここ北西部に上陸したのだ。
〈クラブラザーズ〉は一度、県知事システム収奪に成功した。
これは裏を返せば、システムが失敗を経験し、学習したことを意味する。
人間ならば、事なかれ主義で問題を先送りにしたかもしれない。
だが、相手は機械だ。
ポンコツであることには違いないが、いらぬ感情やしがらみに囚われることはない。
対策を打たないはずがないのだ。
とすれば、堅固な北西部を利用しない手はない――。
「おい、早く上がってこい。クズが」
モリヤマは石垣をふり返り、唾を吐き捨てた。
唾は石垣をよじのぼる若者の額を叩いた。
「は、はい……」
若者の目許をおおったメガネフレームの間を、唾が流れた。それはこめかみから流れ落ち、若者の下にいた別のメガネ移植者の顔を汚した。
メガネ移植者は全部で五人いた。
さらにその下から、二体のカニ人間が這いあがってくる。
「ハァ……ハァ……ッ!」
やがて全員が石垣をのぼり終えると、一体のカニ人間の甲羅がメキメキと変質し、人の姿へと戻った。身体中に風穴があき、血が滴っていた。
モリヤマは舌打ちした。
「鍛錬が足りねぇから活動時間が短くなんだよ、このザコが」
丸太のような足が、満身創痍の男を蹴り飛ばした。男は白目をむいて血を吐きだした。
モリヤマはアンプルを取り出すと、男の首筋に無理矢理エキスを注入し、カニ人間に変身させた。
カニ人間になると、その身体はぶくぶくと泡をたてながら再生した。
それでも、すべての傷が癒えたわけではなかったが、モリヤマはそんなことに構わなかった。
起きろ、と腹を蹴りつけ、失われたカニ人間の意識を強引に覚醒させた。
「ウがっ……ッ!」
突然、ふり返ったモリヤマは、次いでメガネ移植者の頭を鷲掴んだ。メキメキといたぶりながら吊り上げ、他のメガネ移植者たちを
「てめぇらも、そこのカニ野郎みたいにヘタレんなよ?」
そして、爛れた唇をぺちゃぺちゃ鳴らしながら笑った。
「ま、安心しろよ、お前らァ。もうすぐ平等な世界がやって来るんだからよ。俺がフクイを支配すれば、〈クラブラザーズ〉以外の連中は全員クズに成り下がるんだからな。お前らに仲間ができるってことだぜ。嬉しいだろ。嬉しいよなァ?」
メガネ移植者たちは俯きがちに頷くしかなかった。
彼らの中には、怒りも憎しみもありはしなかった。
若くしてメガネを埋めこまれ、暴力と絶望のなかで調教されてきたから。
「それに事が成った暁には、お前らはこの上ない栄誉を与えられるんだぜ。お前らは英雄になれるんだァ」
そう言うと、モリヤマは興味を失くしたように若者を放した。
「……ぅッ!」
若者は悲鳴を堪え立ちあがった。その顔は赤く濡れていた。歪んだメガネフレームが皮膚を裂き、目の周りを鮮血が染めあげていた。
「よし、行くぞ」
モリヤマはそれを顧みることなく、カニ人間たちに周囲を守らせ歩きだした。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
生垣はカニ人間に割らせた。木っ端が飛散し、あえなく生垣は崩れ落ちた。もうもうと立ち込める土煙の中、モリヤマたちは形ばかりの迷路に踏み入った。
ガチャ!
その瞬間、生垣の隙間から無数の銃口がとび出した!
それらが一斉に歓迎の声を上げた!
「「ブジュウウウウウウウウウ!」」
先鋒のカニ人間たちは、とっさに泡を吐きだした!
ところが、二丁のアサルトライフルがこぼれ落ちても、なお生垣は鉄の色に濃かった。夥しい弾雨の中、二体は断末魔もそこそこにその場に崩れ落ちた!
「いっでェ!」
カニ人間の背後にありながら、モリヤマも銃弾を受けた。
肩に、脇腹に、太腿に、赤いものが滲んだ。
「ハッ、ハァ……!」
にもかかわらず、モリヤマは
この守りの堅さが、己の推理の正しさを証明してくれたようなものだったからだ。
「みな、ごろしだ……ァ!」
モリヤマは懐からアンプルを引き抜いた。
しかし、それは部下に与えたものとは明らかに異なっていた。
薬液の緑はいっそう濃く、鮮やかだった。輝いているようにすら見えた。
そして、アンプルの表面には恐るべきラベルが貼られていた。
〈
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