十、恐竜跋扈
駅舎をでるなり、ハシモトたちは恐竜と遭遇した。
「うわっ!」
長い首に丸いクチバシを併せ持った、六メートルほどの恐竜である。
「心配すんな。ただのイグアノドンだ」
そう言われても、イグアノドンの脅威度がいまいちピンとこず、ハシモトは固まった。
「お、大人しいんですか?」
「ここらの草食はな。もちろん肉食は襲ってくるぞ」
「なるほど……」
イグアノドンは、正面のロータリーをのびのびと歩いている。人に慣れているのか、こちらを気にかける様子もなかった。
安全なのかどうかは甚だ疑問だが、フクイ駅のフクイティタンやトリケラトプスのように獰猛でないのは確かなようだった。
「まあ、尻尾には気をつけろ。うっかり当たったら最悪死ぬ」
「き、気をつけます」
心配するなと言ったわりに危険な存在ではないか。
「お、おい!」
ハシモトは、アサクラの腕を無理やり引っぱった。ふたりに両脇を挟まれて、やっと歩きだすことできた。
ロータリーをでると、すぐに大きな通りだった。歩道には街灯のあえかな明かりが落ちていて、それが道端の影をいっそう濃くしていた。どこから恐竜が現れても不思議ではなかった。
「わざわざ引っ張っといてビクビクすんなよ。装備だって整えてきただろうが」
ショットガンを掲げてアサクラが言った。
ハシモトだけは銃器を持っていなかったが、代わりに幾つものフラッシュバンをベルトにぶら下げていた。
「恐竜は相手の
と、言ったのはマスナガ。
その態度は、実に毅然として説得力があった。
自分が恐竜だったとしたら、マスナガを真っ先に襲おうとはしないだろうと、ハシモトは思った。
ぶんぶんと頷き、早速マスナガを真似ることにした。
まずは何より姿勢からだ。
強いて胸を張ると、自然と目線があがった。
目線が上がると視野も広がった。
すると、やや上りになった道の先から、一際つよい明かりが零れ落ちてくるのが見てとれた。
「あれって」
「カツヤマ橋。あれさえ渡れば、パチンコ屋はすぐだ」
「いいッ……もうですか」
思わずハシモトは、踵を鳴らした。早くも正した姿勢は元に戻ってしまっていた。
駅を出る直前、アサクラから聞かされた言葉が脳裏を過ぎったのだ。
『最大の難所はカツヤマ橋だ。あそこは夜中でもバカみてぇに明るい。誘蛾灯みてぇに、恐竜を引き寄せる』
ハシモトは吊るされたフラッシュバンに触れた。小刻みに震える指先が、トトトと音を鳴らした。それが歩調を狂わせてしまったのか、我に返り足を止めたとき、そこはもう坂の終わりだった。
ひらけた視界に、橋の明かりが充ち満ちていた。ハシモトは眩しさに目を細めた。
「こ、これがカツヤマ橋……」
橋上に灯った明かりの束が、闇を一直線に貫いていた。
その様を、夜の真ん中に深々と突きたった光の刀と形容するなら、橋の両端にそびえたつアーチの曲線は、刃そのもの、あるいは刃に波打つ
一方、アーチからこぼれ落ちた光の一部は、どす黒いクズリュウ川の川面にあわい白の濁りとなって揺蕩っている。
そこに巨大な始祖鳥が顔をつっこむと、バタバタ喧しい羽音をたてて、アーチの上にまでぐんと舞い上がった。
それを橋上の歩道、車道を問わずひしめく、大小さまざまなシルエットが見上げた。すべて、恐竜だった。
「うじゃうじゃいやがるな」
「切り抜けられますか……?」
「やるしかない」
三人は短く言葉を交わした。
そして、マスナガがまず拳銃のスライドを引いた。
次いで、アサクラが手首をぷらぷらと振った。
最後、ハシモトは呼吸を整えることしかできなかったが。
恐竜、チンピラ、カニ人間――。
すでに切り抜けてきた苦難を脳裏に思い描き、
「いいか。お前ら死ぬんじゃねぇぞ」
ハシモトは頷き、橋の恐竜たちに向きなおる。アサクラがくれたあの言葉を、いま一度、胸の内に反芻しながら。
足跡を数えろ。歩んできたことを誇れ。そうすれば、必ずまた前に進める――!
「いくぞ! 肺が燃え尽きても走れェ!」
そして、迷いも恐れも背後に捨ておき、タンと地を蹴った!
橋上の小さなシルエットたちが、びくりと首を伸ばしこちらを振り仰いだ。明かりを弾いた双眸が白く光った。
周囲の光量がいや増し、無数の光がつき刺さる。
三人は早くも橋の上につっこみ、恐竜たちのテリトリーに侵入した!
「ギュロオオオック!」
獲物を前にした恐竜が、甲高い雄叫びを上げた!
小型が動きだす。
どこからか新たな影がまろび出、集まり、押し寄せる。ヴェロキラプトルの群れだった。
「うおおおおおおおおおおおお!」
そこに
ドム!
銃口が火を噴いた。
吐きだされた弾が鳳仙花のごとく弾ける! 駅で補充したバックショットである!
「ギャロォ……ッス!」
拡散した弾は、鱗を、眼を抉り、小型恐竜の壁を割る!
「ギュロオオオック!」
しかしその穴を、たちまち後続のヴェロキラプトルが埋めた!
「……ッ」
ハシモトは、とっさにマスナガを見た。
マスナガはかぶりを振った。
今はあいつを信じろ、とその虚ろな目は語った。
「ギュロオオオック!」
とはいえ、衝突まで三度と息をつく暇もない。
恐竜の爪が鋭い光を放ち、アサクラがショットガンをポンプする。
と同時に、一匹のヴェロキラプトルが跳ぶ!
ドム!
アサクラは焦ることなく正面に弾をばら撒く!
「ギャオ……ン!」
空中敵もろとも、有象無象を転倒させる!
転がるドミノに後続も巻きこまれる!
群れの中心に活路がひらく!
「ギャロロッ!」
ところがその時、跳躍したヴェロキラプトルの真後ろから、風を裂いて新手がとび出した!
その目がハシモトを睥睨する。ギリと爪をこすらせれば、凶悪な前足を振りあげた!
「ゲエエエエンッ!」
マスナガが引金をひくのと、頭上に影が過ぎったのは、ほぼ同時だった。
「チッ!」
とっさに身を伏せ、マスナガは飛来した始祖鳥の攻撃を躱した。
しかし、それが大きく狙いを狂わせた。
弾丸は橋の上で火花を散らした!
「わああああああああああああッ!」
にもかかわらずハシモトの声に、怯えはない!
「ギギ、ギャ……!」
ヴェロキラプトルの爪は、その額を割る寸前で止まった。
……パリパリ。
ハシモトの眼前に、青白い電流が閃いた。手に握った黒い鉄の棒から、それは発せられていた。『ボルガ』での戦いの後、チンピラから回収したスタンガンだった。
「はぁ……! はぁ……!」
三人はヴェロキラプトルたちの間を突き進む!
無論、ヴェロキラプトルたちは三人を
「ギャ、ァ! シャアアア、ッグ!」
しかし急遽、方向転換したことが災いした。互いに衝突し、たたらを踏み、後続を巻きこんで転び、ついには仲間割れまで始めたのだ!
「ツイてるぜ!」
アサクラが快哉を叫んだ。
「これからだ」
それをマスナガが諫めた。
実際、彼らの進路上からは巨大なあぎとが迫りつつあった。
その巨躯はまさに恐るべき竜であった。
体躯に反して前足こそ短いが、幅広な頭部はすべてを砕く破壊の王にこそ相応しい――ティラノサウルスのそれである!
「ギャオオォオオオオオオォォオオン!」
所詮、ヴェロキラプトルは、カツヤマ橋を越える上での第一関門に過ぎなかったのだ!
ハシモトはその巨体を仰ぎ見て、ついにフラッシュバンを手にとった。が、そこにアサクラの矢のような一声が飛び来る!
「まだだ! まだ投げるなッ!」
「ッ!」
ピンに指をかけたところで、ハシモトはとっさに手を止めた。
理由は訊ねるまでもなかった。
「ギィイイイリャアアアァァアアァァアア!」
「オオブロオオオオオオォオォォォオオン!」
ティラノサウルス後ろから、双角のカルノタウルス、剛爪のバリオニクスが先を競うように迫ってきていたのだ!
浪費しちゃダメなんだ。効率を重視して、できる限り敵を引きつけないと……!
己にそう言い聞かせたハシモトは、生唾を呑みこみ、二本あるピンのうち一方だけを引き抜いて、その時を待った。
「さん……」
恐竜の
「に……」
巨大なあぎとが、太い牙の並んだ死のとば口を開いた。
「いち……」
恐竜の鼻息が前髪を揺らした。
「ゼロォ!」
次の瞬間、ハシモトは残るピンを抜き、思い切りフラッシュバンを投げつけた!
それはティラノサウルスの鼻先へ吸い込まれるように飛んだ!
「伏せろぉ!」
三人は一斉に耳をふさぎ、地面に突っ伏した!
橋上に閃光がほとばしる!
耳を塞いでなお脳を揺るがすような甲高い音がけたたましく鳴り響く!
思いの外近くで爆発したフラッシュバンの熱波で、ハシモトの毛先は炙られた。恐竜の牙に、うなじを裂かれた。
……そんな、失敗したのか?
ハシモトは死を覚悟した。
長いながい一瞬の中に、放り出された。
「立て、ハシモトッ!」
そこにアサクラの声が轟いた。
ハシモトを我に返り、まぶたを跳ね上げた。
白く焼き付いた視野にティラノサウルスの足が浮かび上がってきた。
べちゃりと生ぬるい感触が首筋を這った。見上げれば、そこにティラノサウルスの舌があった。
だが、その動きはぴたりと止まっていた。
「急げ」
真横からマスナガの手が差し伸べられた。
ハシモトはその手をとって、巨大な顎の下から這い出した。
「……」
辺りはまるで時が止まったかのように静まり返っていた。
ヴェロキラプトルは一様に瞬膜をしろく濁らせて倒れ、始祖鳥はアーチに激突したのか頭部が砕けて力尽きていた。大型恐竜は滝のように涎を流しながら硬直しているが、どれも呼吸だけはしていた。
三人は彫像のような恐竜たちの間を駆けぬける。
大型恐竜の意識が戻るまで、できるだけ長い距離をかせがなければならなかった。
ところが三人の足は、見えない壁にぶち当たったように、間もなく止まった。
「……おい」
下から揺れが突きあげてきて、三人の足が僅かに浮き上がった。
ゴォン……。
またすぐに揺れが襲った。
その元凶は、橋の向こうにあった。
寝静まった市街地から、先のティラノサウルスより一回り巨大な影が近づいてきたのだ。
「ウソだろ……」
橋の明かりの中に、その鼻先がぬっと姿をあらわした。
鋭利な牙の隙間から蒸気が溢れでた。
瞳孔が刃のごとく細まり、ビキビキと血走った。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッガ!」
次の瞬間、ギガノトサウルスの咆哮が、束の間の静寂を引き裂いた。
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