30話 一触即発

 騒がしかった夕食も終わり、その後は再び勉強に取り掛かった後。

 時刻はもう八時を過ぎている。


 全員帰り支度をし、一同はクロエ宅のマンション入口にいた。


「気を付けて帰ってくださいね」


 オートロックの玄関の手前でクロエが言う。


「クロエちゃん、今日はありがとうね。料理美味しかったよ」

「いえ、遥香の教え方がいいんです。また教えてください」

「もちろんっ」


 遥香とクロエの振舞った料理は非常に美味だった。

 どうやら遥香はコンロの前にはほとんど立たず、味付けや焼きの作業は遥香が教えながらクロエがやっていたらしい。


「今度はお泊まり会しようね〜」

「そうですね、依織も他のみんなも是非来てください」


 クロエ宅は今回利用させてもらったリビングとキッチン以外にも二つほど部屋がある。

 一つはクロエの寝室で、もう一つは何に使ってるかはまでは話をしなかったが、何人か泊まるのはわけないだろう。


「俺もそのお泊まり会に参加するぜ!」

「ボーイズはダメです」

「なんでだよ!」

「いや当たり前だよ。何言ってんの赤司君」


 女子の家で、女子が複数人参加するお泊まり会とやらに男が混じっていいわけがない。

 そんなことは佐助ですら分かる。


「あ、佐助は歓迎ですよ?むしろ一人で泊まりに来てもいいくらいです」

「断る」


 クロエは爽やかな笑顔を向けるが、その言葉の中身はとんでもない内容だ。

 虎子を得たいと思っていないのに虎穴に入るつもりも毛頭ない。


「グイグイ行くねぇ……」

「あははは……」


 そのクロエを見て依織も遥香も顔を苦くしている。


「お陰で俺は酷い目にあったけどな」

「私は面白かったけどね」

「見せもんじゃねぇぞ!」


 赤司は辟易とした様子だ。

 まぁ、あれは流石の佐助も同情する。


「んじゃ、そろそろ行こうぜ」


 一瞬会話が途切れた所で赤司が号令を出す。

 実際こうしてマンションの入口に何人も居座っているというのもよろしくない。


「はい、また明日」


 クロエが皆に向けて手を小さく振る。

 他の面々も改めて一言挨拶し帰路を進んだ。


 道中。


「いやー、久々にこんな勉強したわ」

「赤司さんが一番頑張ってましたね」

「おお、流石北条! よく見てるぜ!」


 佐助が途中、買い物に出掛けている時にもずっと勉強をしていたと聞いている。

 もう一人の居残り組である依織は途中で休憩を挟んだらしいし、事実赤司の勉強量が一番だろう。


「にしても、みんな結構勉強できるのねー。私なんて教えてもらうしかなかったよ」

「クロエの歴史もバッチリだったしな」


 漫画で知識を得ていたというクロエだが、日本史も世界史もかなり点数が良かった。

 間違えたのは高難易度の問題と漢字を間違えるというケアレスミスくらいで、得意だと言っていたその言葉に嘘はなかった。

 苦手なのは本当に国語のみだったようだ。


 遥香と由宇は非常に優秀だったし、分からないと手を挙げたことは一度もない。

 佐助と和泉は何度か教えてもらったが基本的に自走して勉強していたし、赤司と依織の質問頻度が相対的に高かったのは間違いない。


「でも、依織ちゃんも赤司くんも今日ので結構いい点数取れそうじゃない? 中間テストはまだ範囲も狭いしね」

「うん、今日ですごく賢くなった気がする!」


 依織には佐助からも教えることがいくつかあったが基本的なことは押さえてあるようだった。

 過去問の結果を踏まえても苦手科目でも平均点以上は出すだろう。


 こうして雑談を交えながら駅へと向かっている途中。

 もう駅も近いという所で不意に依織が声を上げる。


「……あれ?」


 何かを見つけたように依織は遠方を見る。


 依織の視線の先には大の男が三人並んで歩いているのが見える。

 一人は身だしなみが整った外国人で、他二人は端的に言って柄の悪い日本人だ。

 友人三人で仲良く歩いているようにはあまり見えない。


「あー! 思い出した! 私この近くで買いたい物があったんだった!」

「……いや、最寄りの方が栄えてるだろ。そっちじゃダメなのか?」


 急な依織の大きな声に、同じ駅を利用している赤司が驚きながらも指摘を入れる。


「ここにしか売ってないのよ。あんたは私がいなくて寂しいでしょうけど、先に帰ってて」

「別に寂しかねーよ。それならそうさせてもらうわ」


 依織は小悪魔のような笑顔で赤司を流し見るも、赤司は白けたような顔で返す。


「もう夜だし私も一緒に行こうか?この辺のことならよく知ってるし」

「えっ!?」


 次に遥香がこう提案する。

 遥香はこの駅の最寄りに住んでいるので、案内役をするのに不足はないだろう。


 が、依織はこの提案を予想していなかったようで目を剥いて驚いている。


「そうだ! 遥香は料理で疲れてるでしょ! さっさと帰って休みなさい!」

「う、うーん……そうした方がいいのかな……?」

「そうした方がいい! 間違いない!」


 依織は明らかに今考えついたのだろう言い訳をまくし立てると、遥香もたじたじといった様子で後ずさる。


「んじゃ! また明日ねー!」


 他に止める者もいなくなると依織は身体半身だけこちらを向けて挨拶し、そこから全速力で離脱した。


 走った先はあの男三人がいた方向である。


「……千浪さん、どうしちゃったんだろうね」

「ついてこないで欲しそうだったね」


 和泉の疑問に遥香が重ねる。


「あっちって何もないんだけど……」


 依織が進んだ方向。

 それは商店があるような区画ではないのは同じくこの駅近辺に住む佐助は知っている。


「前からたまにこういうことあるんだよな、あいつ。気にしなくていいと思うぞ」

「え、本当に?」

「むしろ行かない方がいい。俺は昔それで痛い目を見たことがある」


 赤司は苦虫を噛んだような顔をする。

 過去によほど嫌な思いでもしたのだろう。


「うーん、それなら僕からは何も言わないけど」

「そうしとけ。ほら、行こうぜ」


 赤司の言葉に遥香と和泉は不承不承といった様子で駅の改札へと向かう。

 しかし、由宇はその場から動かなかった。


「朧さん」


 由宇がまっすぐに佐助を見ている。


「……なんだ」

「依織さんは、遥香の大切なご友人です」


 それだけ言われれば佐助も由宇が言わんとすることは分かる。

 つまり、後を追えということだろう。


 佐助の任務は遥香の護衛であって、それ以上は本来含まれない。

 含まれないのだが。


「……仕方ない」


 佐助は頭を掻きながら溜息を吐く。


 確かに佐助の任務の範疇ではない。

 が、本心では佐助も心配していた。


 依織は迂闊に物事に関わろうとする悪癖がある。

 逢坂の件がいい例だ。


 それに、依織が向かった先にいた男達。

 その男達に依織の用があるだとしたら。


 はっきり言って、何も起こらないとは思えない。


「後は頼んだ」

「はい、お任せください」


 佐助の言葉に由宇は淡々と応えるだけだったが、それがむしろ頼もしい。


 そうと決まれば話は早い。


「各務達には適当に何か言っておいてくれ」


 佐助は前を行く三人に挨拶もすることなく、依織が走っていった方向へ音もなく向かう。


 依織が走り去ってからそれなりに時間は経ってしまった。

 追跡は時間が経てば経つほど難易度が上がる。

 できるだけ急がなければ。


「……いつもの服にすれば良かったか」


 走りながら独り言ちる。


 今日の佐助の服は先日遥香に選んでもらったお洒落な服で、いつものジャージとパーカーを羽織った潜伏スタイルではない。

 こうして身体を動かしてみると動きやすさに微差がある。

 暗器の数も減っているので身体は軽いのだがそれがまた気持ち悪い。


 ともあれ、今更着替えに戻っている時間もない。

 このまま行くしかない。


「…………」


 しばらく走ると分かれ道まできた。


 駅前やそこから伸びる通りの一部は栄えてるが、こちらは真逆の方面だ。

 見える範囲に依織の姿はおろか通行人の一人すらいない。


 しかし、それが今は都合がいい。


「ふっ!」


 佐助は近くにあった電柱を一気に登り、高い位置から周辺を確認する。

 まばらに設置されている電灯の灯を頼りに派手な頭の女子がいないか探した。


「……見つけた」


 上から見下ろして探してみればすぐに依織、そして先ほどの男三人組の両方を見つけた。


 依織と男達との距離は離れている。

 しかし、依織はその男達を追うように移動している。

 やはり依織の用件はあの男三人にあるようだ。


「さて……」


 どうしたものか。


 ひとまず目の届く範囲にまで来たものの、ここからの行動指針はまったく立てていなかった。

 由宇から具体的に何か言われているわけでもない。


 依織の安全を確保するだけならさっさと合流するだけでいいのだが、男達のことがどうにも気になる。


 三人の内の一人、スーツを着た外国人に見覚えがある。

 彼はクロエの護衛だ。

 コードネームは確か……ガンマだったか。


 ここはクロエ宅の近辺でもあるので彼がいることに違和感はない。

 柄の悪い日本人二人を引き連れている理由は分からないが。


 そんな変な組み合わせの男達に対する依織の用件とは何なのか。

 依織は彼がクロエの護衛だということも知らないはずだ。


「……公園?」


 やがて男三人は誰もいない小さな公園へと入っていく。

 依織は相変わらず少し遠くから三人の様子を伺っているようだ。


 男達は公園で何か会話している様子だ。

 この距離と暗さでは声を聞き取るのも口を読むのも難しい。


 もう少し近寄ろう。

 佐助がそう思ったその時。


「……まずいな」


 ガンマと、日本人二人のやり取りが喧嘩に発展しそうになっている。

 日本人側の一人がガンマの肩を押し、口論しているようだ。

 一触即発の雰囲気。


 依織の方はその公園が見える陰に隠れて様子を伺っているようだが出方によっては巻き込まれる可能性も高い。


「まずは千浪と合流するか……!」


 佐助は登った電柱の頂上から一度下に降り、全速力で男達のいる公園の方向へと向かう。


 直接公園には向かわずにその手前の依織がいた所へ。

 しかし、佐助が到着した頃にはそこに依織の姿はなかった。


「ちぃっ!」


 依織の不在という事実に佐助の舌が鳴る。


 そして公園の方を見れば、人影が増えている。

 増えた人影の正体は依織だ。


「あー、ストップストップ! アイムソーリー! ハ、ハウアーユー!?」


 依織はクロエの護衛に向けて何か話しかけている。

 今日は何の勉強をしていたんだと小言を言いたくなるような内容だが、今それを言っている暇はない。


 一方の男達は既に交戦中で、ガンマが優勢のようだ。

 既に日本人の一人は地面に伏している。

 依織はその倒れた男を介助するようにしていた。


「何をしているんだあいつは……!」


 依織は自らを暴力嫌いだと言う程には荒事を好まないはず。

 大人の暴力を跳ね除けるほどの力も技術も持っているようには思えない。

 飛んで火に入るようなものだ。


 佐助は公園に飛び込んだ。

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