29話 練習の成果

 佐助達が帰ってきて調味料も整った。

 あとは味付けをして煮込むだけだ。


 クロエは遥香に匙加減を教えてもらいながら鍋に調味料を足していく。

 しばらく待つと中の野菜達に徐々に色が染まっていくのが分かる。


「そろそろ味見してみようか」

「はい」


 クロエはお玉で鍋の煮汁をすくい、小皿に移して口へと運ぶ。

 緊張の一瞬。


「……おいしいです!」

「よかったぁ」


 クロエの感想に先生役の遥香も安心したような表情を浮かべる。


「遥香も味見してみてください」

「そうだね、ちょっともらうよ」


 遥香はクロエと同じように小皿に移した煮汁をその小ぶりな口へと運ぶ。

 こんな何気ない仕草ひとつにも上品さがある。


「うん、ばっちり!」


 遥香は手でピースサインを作ると同時に、満開の笑顔で味を保証した。


 遥香はかわいいし、料理もできるし、勉強の教え方も上手い。

 こんな子にアプローチされたら世の中のほとんどの男がイチコロだろう。

 幸か不幸か佐助はその例外側の人間なので、同じ人を好きになってしまったクロエとしてはある意味で助かったと言える。


 先ほどは遥香のことをフレンドと言ったクロエだが同時に立ちはだかる壁でもあるのだ。

 どこかで遥香に勝たねばならない。


「あとはもう少し煮て、味が染みるのを待つだけだね。その間に食べる準備しよっか」

「っと、そうですね」


 どうにかしなければと方策を考えようとしていた所でクロエは現実に引き戻された。


 遥香に促され食器棚から食事の準備を始める。

 中にはシンプルながら今日作った料理を食べるには足りる程度の食器が整っている。

 箸は足りないものの、そこは遥香と由宇が気を使って割箸を用意してくれていた。


「お待たせ〜。もうすぐご飯できるからよういするね」

「おっ! 待ってました!」

「すごくいい匂いしてたもんねー」


 遥香が料理が盛り付けられた皿を持ちリビングへと運ぶ。

 赤司を始め、みんな歓迎の様子でテーブルの周辺を片付け始める。


 クロエも遥香に倣ってできている料理を運ぶ。

 食事はリビング側のテーブルを全員で囲むことにした。

 少し狭いが食事まで班分けしてしまうのは寂しいだろう。


 やがて準備していた料理や取り皿を出し終えた。

 この間に火にかけていた鍋の中身も盛り付けてテーブルに配膳しクロエと遥香も席につく。


 佐助の隣がちょうど片方空いていたのでそこはクロエが確保した。

 もう片方の隣は赤司が陣取っている。

 少し空気を読んで両脇を空けておいてくれてもいいんじゃないかとも思ったが、あまり表立って言うことでもない。


 ともあれ、遥香には少し悪いが今日の所は家主特権でクロエが佐助の隣を頂いた。

 遥香には佐助の前の席を渡しているので許してほしい。


「んじゃ、頂きまーす!」


 用意が終わってすぐに食事が開始された。


「うーん、おいしい!」

「うめぇ! うめぇ!」

「そうだね。ありがとう各務さん、クロエさん」


 依織と赤司はかきこむように料理を口へと運び、和泉もおいしそうに食べてくれている。

 どうやら口に合ったようだ。

 佐助と由宇は黙々と食べているが、嫌そうな顔はしていないので及第点以上ではあるのだろう。

 そのことにクロエは素直に安堵する。


「えへへ、味付けは全部クロエちゃんだよ」


 遥香は自分のことのように嬉しがっており、そのことが少しむず痒い。


「全部遥香に教えてもらいながらですけどね。でも、ほんとおいしいです」


 手を動かしたのは確かにクロエ自身ではあるのだが細かい味の調整は遥香に教えてもらいながらだった。

 あまり自分の手柄にする気にもなれず思わず客観的な評価が口から出る。


「それにしても、クロエは箸の使い方も上手だねー」


 不意に依織がそんなことを口にする。

 何気なく使っていたが確かに外国人に取って箸の扱いは難しい。

 クロエも最初は苦労したものだ。


「向こうでも日本食は何度か食べたことはありましたから。本格的に練習したのはこっちに来てからですけど」


 クロエが日本に来てから約二ヶ月。

 最低でも三年は日本に滞在することになる。

 その期間ずっと箸を使わずに済ませるという選択肢はクロエになく、練習をして使えるようにしていた。

 特にこの一週間ほどは家でしっかりと練習していた。


 というのも、とある目的があったからである。

 クロエはその目的を思い出し黙々と食べている佐助の横顔を見た。


 相変わらず仏頂面だが、大きな口を開けてご飯を口に詰め込んでいる。

 そのことが素直に嬉しい。

 あと、頬がハムスターみたいに膨らんでいてちょっとかわいい。


「……どうした」

「味はどうです?おいしいですか?」

「うむ、うまい」


 佐助は器用にも口を閉じて咀嚼をしながら喋っている。

 腹話術師にでもなれそうだ。


「たくさんあるから、ゆっくり食べてね。お代わりいる?」

「かたじけない」


 どうやら佐助は食事を急ぐように食べる悪癖があるようだ。

 そのことを遥香がやんわりと指摘する。

 そういえば、先日学校でみんなでお昼を食べた時も一人だけ佐助は先に食べ終えていた。


 遥香は優しい笑みを浮かべながら佐助の取り皿へと手を伸ばす。

 早食いの指摘の仕方といい、細かい気配りができる淑女である。


 だが、クロエも負けてはいられない。

 現時点でクロエが遥香に勝っている点。

 いや、正確には優位を取れる点はひとつだけだ。


 それは既に気持ちを公言している点で、そのため遥香よりも大胆にアクションを取ることができるということだ。


 今日のために箸の使い方も練習した。

 佐助の隣の席も確保した。

 ならばやることはひとつしかない。


「――――」


 クロエは自分の箸の持ち方を改めて確認する。


 そう、日本における伝家の宝刀、お箸で「あーん」をこれから佐助に実行しようというのだ。


 やり方は既にリサーチ済みだ。

 その方法は簡単で、自分の箸で料理を取ってそれを差し出すだけ。

 別にスプーンでもフォークでも問題ないらしいが、みんなが箸をメインで使っている中で一人だけ別の道具を使うつもりはない。

 郷に入りては郷に従えである。


 その際に気配りも忘れてはいけない。

 佐助は煮物を中心に食べているようだからバランスを考えて生野菜にするべきだろう。

 佐助もまだ自分のサラダに手を付けていないし、ちょうどいい。


 ここは色鮮やかなプチトマトでも食べさせてあげよう。

 大きくて丸くて箸では掴みにくいが、クロエならやれる。

 練習の成果を信じよう。


 クロエは遥香がお代わりをよそっている隙を狙う。

 慎重にプチトマトを箸で掴み取り、佐助に差し出した。


「佐助、生の野菜も食べた方がいいですよ。はい、あーん」

「……結構だ。自分で食べられる」


 佐助がこんな反応になるのはある程度予想はできていた。

 それを気にしても仕方がない。

 攻めるのみである。


「たまには人に食べさせてもらうのもいいと思いますよ」


 というか、是非食べてほしい。

 それは単に佐助のことを思ってだけではなくクロエ自身の状況を踏まえてのことだった。


 というのも、今にもプチトマトがすっぽ抜けてどこかに飛んで行きそうだ。

 ちょっと辛い。

 無理をしすぎたかもしれない。

 少しでも動かそうものならその瞬間に均衡が崩れそうで、クロエは進むことも退くこともできずにいた。


 とはいえ、動かないままでも結局はダメで。


「あっ!」


 とうとうプチトマトは箸圧に飛ばされる形でクロエの元を離れていった。

 それも、佐助の顔面に目掛けて。


「むっ!」


 しかしそこは佐助。

 クロエは最近あまり意識しないようにしていたが彼は忍者である。


 佐助は瞬時に自身に迫る弾道を見切り、それを避けてみせた。


「何をす――」

「あぎゃああああ!!」


 佐助がクロエへの文句を口にしようとした所でその後ろ――正確には横から叫び声が聞こえる。

 声の主は空気を読まずに佐助の隣に陣取っていた男、赤司だった。


「目がああああ! 目がああぁぁぁああ!!」


 どうやら飛んでいったプチトマトは赤司の目の辺りに当たってしまったらしい。

 ドレッシングも多少なりかかっていたので、それも目に入ったのかもしれない。


「あ、赤司くん大丈夫!?」

「おしぼり作ってきますね」


 遥香と由宇が赤司を心配して動きだす。

 実行犯のクロエもただ呆けてはいられない。


「す、すみません斗真!」


 とりあえず手近にあったティッシュを何枚か抜いて赤司に渡す。


「おう、ありがとよ……ほどほどにな」

「そ、そうですね……」


 確かにプチトマトは箸で掴むには難易度がちょっと高すぎた。

 失敗したにしても、あんなに勢いよく飛んでいくとも思っていなかった。


「私もまさかバルスしてしまうとは」

「ああ、俺も少し大佐の気持ちが分かった――ってコラ。反省してねぇだろ」

「すみません、してますしてます! 気をつけます!」


 ともあれ、赤司に悪いことをしたのは間違いない。

 そのことは素直に反省だ。


 やがて由宇が自前のハンドタオルを濡らした物を持ってくる。


「サンキュー北条」

「いえ、ご愁傷様です」


 赤司の様子も落ち着いた所で仕切り直しだ。

 改めてみんなで箸を動かし始める。


「――――」


 一方のクロエは次の策を考えていた。

 丸くて大きいものは箸では掴みづらい。

 プチトマトはまだクロエには早い。


 ならば、掴みやすい物ならどうだろう。

 例えば、テーブルの真ん中に大きく陣取っている熱々のおでん。

 この中の糸こんにゃくであれば、かなり箸で掴みやすい。


 クロエは糸こんにゃくを箸で持ち上げ、佐助に再び差し出した。


「佐助、今度こそです」

「おいコラちょっと待て!」

「えっ?」


 クロエの行動を止めるのは佐助ではなく、赤司だった。

 佐助も何か言いたげにクロエを見ているが、口をもぐもぐしているのみだった。


 クロエは予想していなかった赤司からの指摘に驚き、そして――


「あっ」


 糸こんにゃくがつるりとクロエの箸から飛んでいく。


「あぎゃああああ!!」


 こうして、再び食卓が騒然となるのだった。


「あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」


 ちなみに依織は腹を抱え、最初の一撃目からずっと変な声で爆笑していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る