27話 忍者は勉強する
外見が豪勢なクロエが一人暮らししているマンションは、中身も豪勢なものだった。
七人が悠々と乗れるエレベーターに乗り、吹き抜けになっている廊下を少し進むとすぐにクロエの部屋まで辿り着く。
濃い灰色の重厚な大きなドアに空いた二ヵ所の鍵穴にクロエが鍵を差し込みゆっくりとドアを開ける。
「どうぞ」
クロエに招き入れられ順番に中に入っていく。
流石に玄関に七人全員が入れるということはなかったがそれでも十分に広い。
家の中の廊下を少し進めばリビングらしき部屋まで出た。
「うへー、こりゃ確かに広いわ」
赤司が部屋を見回しながら感嘆する。
十畳は下らない広さの部屋には三人は悠に座れるソファーと大きなテレビが置かれている。
他は食事の際に利用されているだろう脚の長いテーブルと椅子のセット、テレビとソファーの間にある脚の短いテーブルくらいだ。
寝具の類は置いておらず寝室はこことはまた別の部屋なのだろう。
この部屋には装飾らしい装飾もなく、そのシンプルさがより部屋の広さを際立たせている。
「あまり人を招くつもりがなかったのでくつろげないとは思いますけど、適当に座ってください」
クロエにそう言われ赤司達は荷物を部屋の隅に置いてソファーに深く座る。
佐助も一瞬座ろうかと考えたが、手に下げている食材達がいるのでそうもいかなかった。
「佐助、洋輔。キッチンはそこです」
「ああ」
「了解」
「あ、私もお邪魔するね」
所在なさげにしていた佐助、そして和泉に気付いたクロエがリビングに面したカウンター式の台所へと案内する。
クロエに料理を教える予定の遥香も一緒に来るようだ。
キッチンは綺麗であまり生活感はない。
「この冷蔵庫、一人で使ってるの?」
遥香が後ろから驚きの声と共に顔を出す。
キッチンの端に構えているのは観音開きの大きい型の冷蔵庫で佐助の実家のそれよりも大きい。
「週に一度ハウスキーパーが来てくれるんですけど、冷蔵庫を使ってるのは私一人です。使いこなせていませんけど」
クロエが「ほら」と言いながら冷蔵庫のドアを開くと、そこにはほとんど食材は入っていない。
入っている多くの物が飲み物だ。
「ちゃんとしてないので、ちょっと恥ずかしいです」
「んーん、一人だと料理って逆に大変だもの。ちょっと中見させてもらうね」
遥香はそう言いながら前に出ると冷蔵庫の中を物色していく。
「佐助くん、和泉くん。食材そこに置いておいてもらえる? あとはやっておくよ」
「ありがとう、各務さん」
佐助と和泉は遥香の言葉に従い、荷物を置いてリビングへと出た。
後ろの方では遥香がテキパキと作業している音が聞こえる。
リビングの方では依織と由宇がソファーで赤司が涼しげな絨毯の上でくつろいでいる姿があった。
佐助達も赤司に倣い床へと座ると、赤司が自分の鞄を取り出して中から何か探し始める。
「これ、ゲットしてきた過去問な」
赤司が取り出したのは分厚い紙束だ。
七人分、しかも全科目となればかなりの量だろう。
「うわー、今からでも頭痛くなる量だねこれは……」
「言うな。頭痛が移る」
言葉は比喩だろうが、赤司は本当に頭痛がしているように顔をしかめる。
その表情のままプリントを選り分けると、それらはやがて七つの紙束になった。
赤司の作業を待つ間に遥香とクロエの方も終わったようで台所からリビングへと戻ってくる。
「これが過去問というやつですか?」
「そうだ。今日は全部やってる時間ないし、それぞれがやりたいやつやる感じでいいんじゃないか」
「なるほど」
クロエの質問に赤司が答える。
定期考査は複数日に渡って実施されるため今日一日でやりきれる量ではないのは間違いない。
「ってことで、班分けでもするか。ひとつのテーブルに全員は収まらないしな。組み合わせ決めるために得意科目と苦手科目教えてくれ」
赤司の言う通り、部屋に二つあるテーブルは座るならそれぞれ四人ほどが適正だろう。
「クロエは現文と古文やりたいんだったよな。で、得意科目は当然英語と」
「はい、そうですね」
「で、千浪の苦手が英語で、得意は……なしだな」
「うっさいわね。間違ってないけど。あと数学も苦手」
赤司はノートに聞いた内容をメモしていく。
「朧はどうだ?」
「俺の苦手は歴史系だろうか。国語と英語は比較的得意だと思う」
佐助も英語である程度の会話ならでき成績も悪くない。
仕事上、外国人と関わることもあるからだ。
直近では敵対した相手ではあるがクロエの護衛達と会話をしている。
逆に、歴史系は人の名前が覚えられなくて苦手な部類になる。
暗記が苦手なわけではなく、例えば任務で関係する要人リスト等を覚えるのは問題ない。
しかし仕事に関わりがないからか死んだ人間に興味が持てないのか、歴史上の人物や出来事を覚えるのはどうにも苦手だった。
「斗真、私の得意に歴史を追加してください!」
佐助の回答の後、クロエが勢いよく手を上げる。
「世界史が得意なのか?」
「世界史も苦手じゃないですけど、日本史の方が得意です」
「マジかよ」
赤司は驚き半分、疑い半分という顔をしている。
確かに外国人のクロエから日本史が得意だという言葉が出るのは意外だ。
「漫画で覚えました!」
クロエは腕を組み、得意気な顔で理由を述べる。
が、それを見た赤司の表情は塩っぱい。
「……クロエは歴史も苦手、と」
「なんでですか!」
要望とは真逆のメモを取る赤司に、クロエは頬を膨らませて抗議する。
とはいえ、赤司の言わんとすることは理解できる。
漫画で得た知識が勉強に使えるとは限らない。
創作物は得てして脚色されているのだから、その知識が間違っている可能性は大いにあるだろう。
「いいです、結果で証明してみせます!」
クロエの抗議は続いたが、赤司が納得することはなかった。
しばらくするとクロエも説得を諦めたのか鼻息を荒くして後ろに下がる。
「ほい、北条」
「私は理数系が得意ですね。他は苦手というわけではないと思います」
「和泉は?」
「僕も理数系が得意かな。文系は苦手」
由宇と和泉は理系らしい。
偏見が混じっているかもしれないが比較的物静かな二人の印象と合っているように思う。
「次、各務」
「私は得意も苦手もないかな? あんまり点数バラけたことないと思う」
「おっけ。どっちの班でも大丈夫そうだな」
遥香は人差し指を顎に置いて過去の記憶を遡っているようだ。
佐助の調べによれば遥香は過去の模試で全国上位にも入ったことがある。
むしろ全て得意と言ってもいいくらいのはずだ。
「最後に俺。苦手が数学、得意は無し」
「むしろ全部苦手でいいんじゃないの」
「うっせ! ほっとけ!」
依織が口端を上げて茶々を入れるが悲しいかな赤司に反論する材料はないらしい。
こうして話を纏めようとしたり事前準備がしっかりしている所を見ると要領が良さそうに見えるのだが、勉強はそうもいかないようだ。
「これで全員。時間毎に文系やる班と理系やる班で分けるか。苦手と得意セットにして」
赤司はメモを見ながら次々と班を決めていった。
「とりあえずこんなもんか。ここに書いてないのでやりたい科目があれば言ってくれ」
赤司が作った時間割を全員で確認する。
佐助は主に文系の科目をやっていくコマ割のようだ。
理系の時間は少ないが誰かの手を借りたい教科というわけでもなく、佐助に特に異論はない。
何人かが追加の要望を挙げ赤司がそれらを捌いていく。
やがて最終稿が出来上がった。
「そんじゃ、これでやってくか」
赤司の号令で勉強会が始まった。
$
勉強会が始まれば皆静かに勉強をし始めた。
普段は賑やかな赤司と依織でさえも集中している。
時たま躓いた所を誰かが質問があったが、それ以外の発言はほとんどない。
やがて部屋の大きな窓から差し込む日が傾きかけた頃。
赤司の席に置いてあったスマートフォンがアラームを鳴らした。
二回目となる班替えの時間だ。
「ごあー! 流石に疲れたな」
赤司は手元のスマートフォンのアラームを切ると、変なうめき声を上げながら床に身体を投げ出した。
「私も疲れたー!」
「休憩なしでしたからね。何か飲み物でも持ってきます」
依織も手を高く突き上げて伸びをする。
そんな二人の様子を見て、家主のクロエが立ち上がった。
「あ、私手伝うよ」
「遥香は座っててください。私がお手伝いしてきます」
立ち上がろうとした遥香を由宇が制止する。
「でも、そろそろ料理も始めようと思ってたし」
「なら尚更一度休憩してください。私はそちら方面だとあまりお役に立てないので」
「んー、ならお願いしちゃおうかな」
由宇は遥香の侍女も兼ねているが、その口振りから料理の方面は得意ではないようだ。
そのことに意外に思いつつも佐助も長い時間動かさずにいた筋肉をゆっくりと解す。
そうして待っていると由宇がすぐに盆にグラスとジュースを何本か持ってやってくる。
「取り急ぎ冷たい物をお持ちました。今クロエさんコーヒーも用意してくれていますが、こちらを飲まれたい方は?」
「俺はジュース貰うわ」
「私もー」
真っ先に手を挙げたのは赤司と依織だ。
由宇は二人からリクエストされ飲み物をグラスに注ぎ、音もなく二人の前に置く。
「私はコーヒーもらおうかな」
「僕も」
遥香と和泉はコーヒーを待つらしい。
「朧さんは?」
「俺は……水でいい」
由宇が持ってきた飲み物の中に茶の類があればそれを頼んだのだが、それがない。
佐助がジュースはあまり好まず決まって茶類か水を飲んでいた。
「ミネラルウォーターならこっちにありますよ」
佐助の言葉を聞いていたのかクロエがカウンター越しに声を掛ける。
それを聞いた由宇が動き出そうとするが、佐助だけの為にまた動いてもらうのも気が引ける。
「大丈夫だ、自分でやろう」
由宇の足が一歩を踏む前に佐助は立ち上がって動き出す。
途中で由宇が持ってきたグラスを取り、クロエのいる台所へと向かった。
「いいんですか? 水で」
「ジュースはあまり好まなくてな」
クロエは冷蔵庫から水が満タンに入った二リットルの大きなペットボトルを抱えるようにして取り出した。
佐助はそれに手を差し出し受け取ろうとするも、クロエはそれを渡そうとしない。
「このくらいは私がやります」
「む、そうか」
佐助は手に持っていたグラスを台に置きクロエが水を注いでくれるのを待つ。
クロエは両手でペットボトルを持ち、やや慎重に水を入れるとグラスを佐助の手へと戻す。
渡された水をその場でぐいと飲む。
冷たい水が胃に流れ込むのを感じながらグラスを下に戻すと、目を細めて佐助を見るクロエと目があった。
「おいしいですか?」
「そうだな」
ただの水といっても、長い時間勉強して火照った脳にはちょうどいい。
運動した後に飲む水とはまた違う美味しさがある。
「ふふ、佐助はやっぱり面白いですね」
「どの辺がだ」
素直に感想を述べただけなので笑われるのも心外だ。
佐助は眉間に皺を寄せてクロエを見るが、そのクロエは笑顔を崩さない。
「全部です」
「俺はそんな特別なものではない」
「いいえ、佐助は特別ですよ。私にとっては」
クロエは首を少し傾けながら、甘い微笑みで佐助を正面で捉えようとする。
佐助といえど、その特別の意味が分からないわけではない。
しかし、他の面々もいるこの場でどう答えればいいのか分からず沈黙する以外のことができずにいた。
「これからその水よりもおいしい料理、作りますからね! 期待して待っててください」
「……ああ、そうさせてもらう」
そして急に湧いて出た料理の話に戸惑うも、実際に料理には期待はしていたので素直に答えるのみであった。
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