26話 忍者は勉強会に参加する
依織の発案で勉強会とやらを開くことになった次の日曜日の昼下がり。
佐助はゴールデンウィークに買った私服で自宅の最寄り駅に向かっていた。
千城高校の最寄り駅から五駅ほど離れているが、駅前には商店が立ち並び人通りもある。
今日はこの駅で皆と待ち合わせをし、そして勉強会を行なう予定だ。
勉強会の開催場所はクロエが一人暮らししている自宅である。
そのクロエ宅もこの駅が最寄り駅だ。
参加者がクロエも含めて七人と多いがこの人数でも十分に入るほど広いらしい。
留学生とはいえ高校生の一人暮らしには相当な広さの部屋だろうとは思うが、クロエは某国大統領の娘である。
それを踏まえればこの程度の広さは順当だろうか。
むしろ一人暮らしをしていることの方が驚きだ。
当初はファミリーレストランで開催することも検討されていたが、大人数で席を占拠するのも褒められた話ではない。
こうしてクロエが自宅を開放してくれたことで大人数でも気兼ねなく集まることができるに至った。
依織の提案時、佐助は断ろうかとも思ったのだが遥香がいることもあり参加することにした。
その場で由宇がアイコンタクトで参加するよう促したことのも理由のひとつだ。
毎日の登下校で慣れた道を歩いていくとすぐに駅が見えてくる。
まだ待ち合わせの十五分前だ。
取り決められた場所にも誰もいない。
所定の場所まで辿り着き、佐助が駅の壁にもたれかかり待つことしばし。
「朧君、早いね」
「和泉か」
最初にやってきたのは改札から出てきた和泉だった。
佐助が着いてからまだ五分も経っていないので和泉も十分に早い到着だ。
「電車一本早く乗ったから僕が一番乗りかと思ってた」
「そうか」
佐助が早く現場に来るのは癖のようなものだ。
待ち伏せをするならもっと早く到着せねばならない。
今日はこれでもゆっくり家を出た方だ。
間もなくすると、佐助が通ってきた道から二人の影が見える。
「佐助くん、和泉くん。こんにちは」
「お二人とも早いですね」
やってきたのは遥香と由宇だ。
二人とも勉強道具が入っているだろう鞄とは別に野菜などが入ったエコバッグをそれぞれ片手に下げている。
「結構な量だね。持とうか」
「和泉くんありがとうー。七人分ともなると結構重くって」
ずっしりと重そうなバッグを見かねて和泉が女子二人に手を差し出す。
この野菜達は今日の夕食に振る舞われる予定らしい。
クロエ宅で勉強会をするとなった際に、それならついでにとクロエ宅の台所を使って遥香が料理を教えることになったのだ。
参加人数全員分となるので七食分。
男から見てもかなりの量で今は和泉の両手に下がっているバッグ達は未だ重そうに見える。
「和泉、俺もひとつ持とう」
「ありがとう。格好つけてみたけど、これはちょっとキツいや」
バッグを和泉からひとつ受け取ると改めてその重さを実感する。
和泉は男にしては腕が細い。
これを二つ持つのは中々大変だろう。
「佐助くんもありがとう」
「気にするな」
佐助の行動を見た遥香が笑顔で礼を述べる。
一方、隣の由宇は相変わらず涼しい顔を浮かべたままだ。
「次からは買物から付き合ってくれてもいいんですよ。ご自宅もこの駅が最寄りのようですし」
由宇の言うとおり、佐助の自宅はこの駅を最寄りとしているので当然それは可能だ。
待ち合わせよりも早めに自宅を出るのも特に抵抗はない。
「そうだね。次はお願いしちゃおっかな」
「次があるならそうしよう」
遥香は首を傾げながら佐助を見上げ、悪戯めいた笑みを浮かべて言った。
佐助の自宅がこの駅の最寄りであることは任務上関係がある由宇はもちろん、遥香も知っていることだ。
ゴールデンウィークで一緒に買い物した際にそのまま一緒に電車で帰ったのだ。
駅に着いてからは用があると言って別々の道に別れたのだが。
「そういえば、佐助くんの家ってどの辺なの?」
「西口から五分ほどだ」
「うちから近いかも! 中学はどこだったの?」
遥香の自宅の位置は佐助も知っているが、実際近い。
しかし、佐助が通った中学校はこの近辺ではない。
「今は親元を離れている。地元はここではない」
「そうなんだ。もしかして佐助くんも一人暮らし?」
「ああ」
佐助はワンルームのマンションを借りて必要最低限の簡素な部屋で暮らしていた。
というのも、偏に遥香の護衛のためだ。
部屋の賃料も依頼主から支払われている。
「クロエちゃんも佐助くんもすごいなぁ。私、一人暮らししようって発想が今までなかったよ」
「俺が言うのもなんだが、高校生で一人暮らしというのも一般的ではないだろう」
遥香が感心したように言う。
クロエのような留学は他校でもなくはないだろうが佐助の場合は例外中の例外に違いない。
他の例としては部活動のためであったり実家が人里離された位置にあったりだろうが、少なくとも千城高校でこれらの例を佐助は知らなかった。
「料理とかってどうしてるの?」
「一応、簡単な自炊をするくらいはしている。出来合いの物で済ませることも多いが」
男の一人暮らしなどこんなものだろう。
特に佐助は任務や修練もあるため家事に使える時間も多くなく、料理をする時間もあまり取れないでいた。
「ふむふむ、なるほど……」
佐助の食生活に思う所があるのか、遥香は顎に手を置いて思案している。
確かに実家に住んでいる時と比べて不健康な暮らしだとは佐助も思うが最低限の栄養は採っている。
「それなりにはやっているつもりだ」
「あ、変な意味じゃないの! でも色々大変だろうなって思って」
確かに料理等の家事をするなら他のことに時間を使いたいというのが佐助の本音だ。
遥香の祖父である虎太郎の計らいもあり、生活費にはそこまで苦心していないので大変というわけでもないのだが。
「佐助くんさえよければ、もしお弁当作りすぎちゃったらまた持ってきてもいい? 私が作ったお弁当の余り、お母さんくらいしか食べる人がいなくって」
遥香は父と母、三人で暮らしている。
父君は日本を支える大企業の社長であるからして、家で食事をする時間が限られているのは想像に難くない。
母君の方は主婦だったはずだ。
「身内っていっても余り物ばかり食べさせるのは悪いなって思ってたの。だから、もし佐助くんがよければ……なんだけど」
先日もらった遥香の弁当は佐助の舌を唸らせた。
佐助の舌は肥えているわけでもないが、最低限の味覚くらいはある。
遥香の料理を食べた時、その魅力をどう表現すればいいのか分からず「うまい」と言うので精一杯だったが、あれが時たまでも食べられるなら歓迎だ。
「そうだな。もし余るようなら、頼む」
「ほんと!? やったぁ!」
「喜ぶのは俺の方だと思うのだが」
なにせ余り物とはいえタダ飯にありつけるのだ。
食事に時間を掛けすぎるのも頂けないが、先日もらった分程度なら支障はないだろう。
遥香から差し入れを受けるならばその遥香と食事を共にすることも増えるだろうし、護衛はむしろより強固にできると言える。
「朧君、赤司君がここにいなくて良かったね」
「何故だ」
「……僕の口からは言わないでおくよ」
「む、そうか」
遥香との会話を聞いてか和泉が遠い目をしながら呟く。
発言の真意を隠される理由も分からないのだが深く追求するべき内容にも思えず佐助はそのまま流すことにした。
こうして会話をしていると、今度は遥香達が来た方とは逆の方向から声が掛かった。
「ハロー。お待たせしました」
片手を上げてやってきたのはクロエだ。
今日の勉強会を貸す家主であるクロエは肩掛けの小さな鞄ひとつで身軽な格好をしている。
クロエは今いる面々とそれぞれ挨拶を交わすと、佐助と和泉が手から下げてるエコバッグを見て目を丸くした。
「これ、今日使う食材ですか? すごい量ですね」
「男の子もいるからね。このくらいの量はいるかなって」
「なるほど。頑張らないとです。遥香、今日はよろしくお願いします」
「うん、私も頑張っちゃうよっ」
本日の主旨は勉強会なのだがクロエにとっては料理教室も兼ねている。
クロエは握った両拳を胸の前に持ってきて意気込んだ。
その時、ちょうど駅のホームから電車の発車音が佐助達のいる所にも届いた。
「そろそろ千浪さんと赤司君も来る頃かな?」
和泉が空いた手でスマートフォンを見ながら呟く。
おそらく赤司からの連絡がないか確認しているのだろう。
待ち合わせ場所から見える電光掲示板を見れば次に発車する電車は待ち合わせ時刻を過ぎている。
遅刻でなければ、電車で来るはずの依織も赤司もそろそろ降りてくる頃だ。
「おっまたせー!」
「おっす」
思っていた通り、依織と赤司が改札口からやってくる。
依織はいつも通りの元気さで、赤司はやや憂鬱げな様子だ。
「赤司君、体調でも悪いの? 念願の勉強会なのに」
「千浪と一緒の電車で疲れた」
「二人は同じ駅だもんね」
「ああ、駅のホームで鉢合わせちまった」
赤司の言わんとすることは何となくだが佐助にも理解できる。
依織は元気すぎるのだ。
佐助から見れば赤司も十二分に元気な部類に入るのだが、依織は底抜けと言ってもいい。
「二人の会話は楽しそうだけどね」
「俺が求めてるのはこういうのじゃない」
「そういうもの?」
「そういうもんだ」
指示語の多い会話に佐助はついていけないが赤司と和泉の間では会話が成り立っているようだ。
最低限、赤司も「楽しそう」という言葉を否定しないあたり依織のことは憎からず思ってはいるのだろうことは分かる。
「あーん! 遥香もクロエも由宇も可愛いー! 私服サイコー!」
一方の依織は到着するや否や女子達の方へと走り寄って各人へ抱きついている。
遥香は苦笑いを浮かべながら、クロエは慣れたようにハグを返し、由宇は表情を変えずにと反応も三者三様だ。
確かに皆の私服姿は普段から見ている制服姿とは趣が異なり新鮮さがある。
女子達はスカートではなくズボンだし、気温も高くなってきているから上半身も軽装だ。
つまり、お洒落である。
「それじゃあ行きましょうか。こっちです」
こうして全員揃った所でクロエから号令がかかる。
皆それに従いクロエの横や後ろを雑談しながら進んでいった。
十分も歩かない内にクロエが周辺でも一際大きいマンションの前で止まった。
「ここです」
「おおう……デカいとは聞いてたけど、これはすげーな」
赤司が丸くした目でマンションを見上げながら呟いた。
それもそうだろう。
二十階はありそうな高さの建物が、高級感のある外装でそびえ立っている。
玄関口は一面ガラスで中には応接用だろうかテーブルとソファーがいくつか並んだ空間が見える。
その玄関口の脇には小さな噴水が設置されており、奥の方には高級そうな車が止められている駐車場もあるようだ。
少なくとも一人暮らしで使うようなマンションには見えないし、世帯で使うにしてもかなり上級なマンションに見える。
「クロエの国だとこれが普通なのか?」
「いいえ、向こうでもかなりリッチだと思います。でも家のことはパパが全部決めてしまって」
赤司の不躾とも言える質問に、苦笑いしながらも答える。
どちらかと言えば苦笑いは赤司にというより、父に対してのもののようだ。
クロエは慣れた足取りでマンションの玄関へと進みながら「父は少し過保護なんです」と補足する。
とはいえ、クロエの父は実業家で大統領だ。
ここまでの家を用意するのは造作もないだろう。
「でも、こうしてみんなを招待できるのですから、そこはパパに感謝ですね」
クロエは固い笑顔を綻ばせて皆の方を振り向いた。
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