第11話 親子の絆


―――


「母さん!」

 病室の扉を勢いよく開けて中に入る。

「母さん、あのさ俺……」

 弾む息を整えながらベッドに近づいて思わず目を見開いた。


「どうした?」

「優……」

 すがるような目で優を見る。優は空っぽになっているベッドを見て茫然とした。

「と、とにかく探そう!」

「うん……」

 優に腕を引かれて廊下に出る。

 母さんの行方を探しながら、俺は込み上げる不安を抑えるのに必死だった。




――二年前


 母さんが精神的におかしくなり始めた頃の事だった。

 ある日俺は、いつものように花と果物を持って病室に入っていった。


「母さん、来たよ。具合はどう?」

「……あら、誰?」

「え?……お、俺だよ、涼だよ。やだな~、冗談やめてよ。」

「りょ…う…?」


 母さんは虚ろな瞳で俺を見つめて、そして微笑わらったんだ。

 その笑顔は今までの母さんの笑顔と何ら変わりがなくて、俺はホッとした。


 それから俺は毎日病院に通った。母さんのあの笑顔を見る為に。母さんは俺の事を覚えている時もあれば忘れている時もあった。それでも俺は通い続けた。


 いつもいつも願っていたよ。また今日も母さんが笑顔で『涼、お帰り。』って言ってくれるのを。忘れていたとしてもすぐに思い出してくれる事を。


 それでも帰る時にはつい涙が出てしまうんだ。生きている母さんを見るのはこれが最後かも知れないって思ってしまうから。


 明日来たら母さんはあの笑顔でここにいないかも知れないって思うから……


 だけど日に日に母さんの様子はおかしくなって、俺の事を思い出す事も少なくなった。そして俺が病院に行く回数も減った。


 でもこれからはちゃんと毎日会いに行くから。

 母さんの好きな花を持って会いに行くから。


 だから――




「おい!涼!」

「……え?」

「何ボーッとしてんだよ!お袋さんいたぞ。」

「え?どこ!」

「ほら、あそこ……」

 優の指差した方向に顔を巡らせる。


「母さん!」

 いつの間に外に出ていたのか、そこは病院の裏にあるちょっとした崖の上だった。

 その淵のギリギリの所に母さんは立っている。その姿は何処か頼りなく、今にも消えてしまいそうだった。

 そんな母さんを見て、俺はハッとする。


「まさか母さん!」

「涼!お前はここにいろ。俺が行く。」

「いや、俺が……」

「何言ってんだよ!危ねぇだろうが!」

「これは……俺と母さんの問題だ。優に万が一の事があったら大変だし、ここは俺が行って何とか母さんと話をしてくる。」

「……わかった。必ずお袋さんを連れてこいよ。」

「あぁ。」

 俺は優をその場に置いて、足場の悪い道を歩いて母さんのいる場所へと向かった。


「母さん……」

 俺の声に母さんがゆっくりとこちらを振り向く。

「……いや……来ないで……私はあの人の所に行くの。邪魔しないで!」

(母さん……父さんの事思い出したんだ。)


「母さん……俺だよ。わからないの?」

「誰?わからない……わからないの……」

 何処か苦しげにそう言って、一歩後ずさる。


「……じゃあ俺も一緒に行くよ。父さんの所に。いいだろ?母さん……」

 俺は一歩踏み出してそう言う。途端母さんは怯えだした。


「な、何言ってるの?あなたは関係ないっ……!」

「あるんだ!!」

 ビクッと母さんの体が震えた。俺は慌てて駆け寄って謝る。


「あ……ごめん。でも一緒にいたいんだ。母さんと。」

「…………」

 俺はチラッと後ろの優を見た。心配そうな顔でこっちを見てる。


(ごめん、優……。)


「今更母さんが何言っても無駄だからね。もう……決めたんだから。俺は母さんと……」

「…りょ…う……」

「恐くなんかない……恐くなんか……」

 震える手を握りしめる。そして意を決して母さんの前に立った。


「りょう……?涼、なの?」

「え?母さん?」

「涼!」

 母さんの瞳に正気が戻ってきた。俺は思わずその手を握って顔を覗き込む。


「母さん、思い出してくれたのか?」

「えぇ……ごめんね。ずっと辛い思いさせて、一人にしちゃって……。でももう心配しなくても平気よ。涼。」

「……母さん!」

 俺は母さんの胸に飛び込もうとした。


「母さっ……――――!」

「涼―――――――!!」

 グラリと地面が崩れる音がする。母さんへと伸ばした自分の手が視界に映ったのを最後に、俺の意識は途絶えた……




 恐い……本当はまだ死にたくない……


 生きて…母さんと二人で生きて……――――!



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