異常な世界に恋したわたし達

馳怜

 この世界は異常だ。

 どれだけ高い場所から飛び降りても、どれだけ身体を切り刻んでも死にはしない。皆の原動力は「目的」だ。皆、それを作って生きている。目的が達成されると、わたし達は死んでしまう。そうして死者は星になるらしい。

 真っ黒な空に小さく仄かに光る点。それが、共に生きてきた、「人間だったもの」だ。

 此処、「星の街」ではそんな話が信じられている。わたしは星を見守る展望台で、手すりに寄り掛かりながら今日も誰かが星になる瞬間を待ちわびていた。

「おぉーい」

 後ろから声を掛けられた。振り返ると、パーカーのフードを深く被った青年がこちらにやって来た。

「なんだ、シェイドか」

「やっぱり此処にいたっすね。今日は風が冷たいっすから、風邪引いちゃいますよ」

 そう言って、シェイドは湯気が漂うカップを差し出してきた。チョコレートの甘い香りが鼻をくすぐる。

「……ホットチョコレートか?これ」

「そっすよ、あんた好きでしょ」

 差し出されたそれを両手で受け取り、一口飲んでみる。チョコレートの甘さと苦味がちょうど良い。完全にわたしの好みを把握した絶妙なバランスだ。

「あーあと。これ、マフラー。女の子の天敵は冷えなんすよ、知らないんすか?」

「うるさいなぁ。甲斐甲斐しいけどうざい」

「褒め言葉っすね、ありがとうございます」

 わたしはやれやれとため息を吐き、再び街を見下ろした。夜空は静かで穏やかだというのに、街は騒々しい光に溢れている。赤や青、黄色といった人工の光が眩しい。

「あ、あれあれ」

 シェイドがわたしの肩を軽く叩く。彼の指差す先には、一つの光の粒が空に浮かび上がっていた。

 ふわふわと漂いながら夜空へ向かう。街が名残惜しいのか、たまに忙しくクルクルと回ったかと思えば、諦めたようにまたゆっくりと上昇する。

 そんな光を愛おしく思う。

「いや~、人が死ぬ瞬間をニヤニヤしちゃってぇ。悪趣味っすね~」

「なんだよお前。喧嘩売ってるの?今なら買うけど」

「俺の喧嘩は非売品なんで買えませーん」

 シェイドはケラケラと笑い、空に向かう光を見つめた。

 わたし達はすぐ沈黙に包まれた。二人で光の行く末を見守る。光はもう空に触れそうなほど高く上っていた。そしてそれは、爆発したように淡い光を放ちながら弾けた。

 こうして光は星になるのだ。

「はー、いつか俺たちもあんな風に星になるんすかね」

「さぁ、どうだろう?」

「あー、そういやあんたは星になるなんて信じない人だったっすね」

「だってさ、異常じゃない?人が星になるって」

「長いこと星になる瞬間見といて、それはないっす」

 彼の言うとおりでもある。わたしは目的のために、長い間この展望台で人が星になる瞬間を見続けてきた。光が弾けて消えると、夜空に星が増える。その様を何十回、何百回も見てきた。

「むかーしむかしのことなんだけどさぁ、人って死んだら星じゃなくて、別の人間として生まれ変わるって話があったんだよ」

「ふーん。人間が人間に?なるんすか?」

「そういうことじゃない?だから、光がちゃんと星になってるところを見ると、なんでこんな話が出来たんだろって思うんだよね」

 わたしは空の星を見る。それはまばたきのように、時にちかちかと弱々しく光る。

「もし星になったら、ずっとこの変な世界を見続けないといけないのかな」

 わたしが呟くと、シェイドは思い出したように「あっ」と声を上げた。

「俺が聞いた昔話はっすね、昔は夜だけじゃなく『ヒル』っていうのがあったんす」

「ヒル?血を吸うあれ?」

「頭が物騒っすね。違うっすよ。今俺たちが見てるのは夜。ヒルって言うのは、明るい空のことっす」

「んー。よくわかんないわ」

「『タイヨウ』っていう、でっかい星が空にどーんとあったみたいっす。それが、この街を照らしてたんすよ。人工の光がなくても出歩けるんですって!」

「それすんごい眩しいじゃん。わたしには無理だな」

 いつになくテンションが上がっているシェイドに、わたしは全く付いていけなかった。

「うわぁ、あんたには好奇心ってのがないんすか?星になるまでそんなんじゃ、つまんないっすよ!」

「うるさいなぁ」

 そう言ったわたしに、シェイドは小さく笑った。街の光に照らされたその笑顔は、本当に楽しそうだった。

「俺はね、いつかあんたと一緒に見てみたいんすよ。タイヨウってどんなんすかね?でっかいってどのくらいでっかいんかな?いつもより明るい街ってどんな感じなんだろ?」

 楽しそうなシェイドに、わたしは疑問をぶつける。

「そのでっかいタイヨウがあるんならさ、今あるあの星達は何処に行くのさ?」

「さぁ?何処に行くんすかね?」

 シェイドは笑顔のままきょとんと首を傾げる。

「気にならないの?」

「俺はただの物語として楽しんでるだけっすから、気にならないっす」

「へぇ、わたしは凄く気になる」

「………なぁんか嫌な予感がするっす」

「まだ何も言ってないじゃん?」

「俺のよく当たる勘っすね」

 わたしはため息を吐き、冷めてぬるくなったホットチョコレートを一気に飲み干した。

「お前の生きる目的って、さっき言ってたやつ?」

「まぁ、そっすよ」

「へぇー、物好きな」

「それも褒め言葉として受け取っとくっす」

 調子の良いシェイドの言葉に、ついつい笑ってしまう。わたしは立ち上がり、展望台の中に戻ろうとした。

「あんたの目的は?」

 急にシェイドが問い掛けた。振り向き彼を見る。彼はこちらをまっすぐ見つめていた。困惑したような、焦ったような、そんな表情だった。なぜそんな顔をするのだろう。そう思ったわたしは、つい笑ってしまった。

「はは、気になる?」

「そりゃあ、まぁ……」

 目的を人に話すということは、他人に自分の死に方を教えるようなものだ。少なくともわたしは、誰であれ自分の目的を話そうなどとは思えない。

「今日は言わないでおく。また今度ね」

「なんすかその言い方!めっちゃ気になるんすけど!!」

 本当に変な奴だと思いながら、わたしは展望台の下にある自室へと向かった。


 寝て起きたら、まず空を確認する。今日の空も変わらず、星が輝いている。今日、また星になる光が現れたら。

 わたしの目的も達成するだろう。

 わたしは展望台へ向かった。するとそこには、もう既にシェイドが空を見ていた。

「……シェイド?珍しいな、わたしより早く此処に来るなんてさ」

 シェイドが振り返る。ここからだと、街からの逆光であまり表情がわからない。

「またあんたって人は……。此所は冷えるんすから、マフラーしないと駄目っすよ」

「うるさいなぁ。良いんだよ、今日は」

「駄目っすよ、マフラーしてきてください。あと暖かい飲み物も!」

 ぐいぐいと背中を押され、わたしは仕方なく部屋に戻りマフラーを雑に首に巻く。適当にお湯をマグカップに注ぎ、早足で展望台に戻った。

 全く、星になる瞬間を逃してしまったらどうしてくれよう。

「ほら、これで良いでしょ」

 わたしが不満げにそう言うと、シェイドは呆れたように大きなため息を吐いた。

「はぁあ~、本当に女の子っすか?あーもう、マフラーは包帯じゃないんすよ」

 シェイドはわたしのマフラーをほどき、丁寧に巻き直した。

「それで、俺の飲み物は?」

「えっ、お前もいるの?しょうがないな、これあげるよ」

「ありが、……これなんすか?」

「お湯だけど」

「お湯って」

 シェイドはわざとらしく頭を抱えて見せた。その様子に少しイラッとくる。

「せめてお茶持ってきてほしかったっす。淹れ方教えてあげますから……」

「もー、なんなのさ……。早く星見たいんだけど」

「今日は星見れないかもっすよ?」

「毎日見れてるじゃん。昨日も一昨日もその前も!一体なんなんだよ!!」

 わたしがそう叫ぶと、シェイドは小さな声で言った。

「今日だけ……」

「はぁ?」

「今日だけ、星を見るのやめないっすか?」

「やめないよ、なんだよ突然」

「なんか、今日見たらあんたが星になる気がして………」

 わたしはギクリと肩を震わせた。

「はは、驚いた……」

 どうやら、本当に「よく当たる勘」らしい。

「……わたしの目的を話したら、星を見せてくれるか?」

「え………?」

 わたしはシェイドの返事も待たず、勝手に話し出した。

「わたしはね、本当に星になるのか知りたいんだよ。死んだら光は本当に星になるのか?星になったらどうなるんだ?星になったわたしはどうなるんだ?ずっとずっと、そんなことを考えてた」

「ま、待って!聞きたくない!!」

 両手で耳を塞ごうとするシェイドの腕を、わたしは引っ掴んだ。ガシャンと大きな音を立てて、マグカップが割れる。

「でもね、どれだけ眺めてもわからない。何度眺めても答えに近づけない。そうだ、わかるわけがなかったんだ。所詮他人の光だから。だけどわたしは知りたい……!なぁ、どうすればいい?お前ならどう思う?一番明快に答えがわかる、その方法は?なんだと思う?」

 嫌がる彼の頭をがっしりと両手で掴み、顔を近づける。怯えた彼の瞳を、穴が開きそうなほど見つめた。

 しっかりと聞かせるように。

「わたしが星になれば良いのさ」

 シェイドの目から、涙が流れた。

「わたしは決めたんだ。あと百回。星になる瞬間を見て、わからなかったら、わたしが星になると。星になって、その先を知ってみせる。どうだ、簡単だろう?」

 シェイドは力なく首を横に振る。

「それは……違う」

 わたしは彼の頭から手を離した。展望台の手すりに近寄り、街を見渡す。

「何が違うのさ。この方法が思い浮かんだ瞬間、自分が天才だと思ったよ。こうすれば、お前の言っていた『タイヨウ』とか『ヒル』とか、星の行き先がわかるんだよ。一石三鳥だ」

「俺は……。違う、違うんだ……」

 シェイドは膝をつき、両手で顔を覆った。その様子を見たわたしもしゃがみこみ、彼の肩に手を置く。

「だから、お前には話したくなかったんだけどね」

「俺は……俺は、どうしたらいい?」

 彼の涙で濡れた顔を見て、わたしは笑ってみせた。

「もうひとつ、あったろ。人間が人間に生まれ変わるって話。わたしがもし生まれ変わったら、また此処に来るよ。お前のもとに」

「いつ来る?いつまで待てば良い?俺は……そんなの求めてなんか………っ」

 嗚咽で喉をつまらせるシェイドを、わたしは優しく抱き締めた。

 わたしの好奇心を押し付けているのだ。それがどうしようもなく申し訳無い。

 だがそれでも。わたしは知りたいのだ。

 腕の中で、嗚咽に混じりながら彼の小さな声が聞こえた。

「あんたは……卑怯っすね。卑怯で、変」

「そうかも。わたしもこの世界と一緒で、異常なのかもね。でも、生まれ変わりって言うのがあるなら……。ちゃんと戻ってくるよ。こんなわたしも、この世界が大好きだから」

 わたしは腕をほどき、手すりに両手をついた。街を見渡し、星になる光を探す。

 街の騒がしい光に紛れた、淡く優しい光。

「…………あった」

 それは、激しいカラフルな街の光から逃れるようにまっすぐ上空へ向かった。そして街を見渡すかのようにゆっくり大きな円を描く。そのまま回りながら空へ向かい、やがて光は弾ける。今まで見た中で、一番綺麗な輝きを放っていた。

 また、わたしはわからなかった。

 わたしはシェイドに向き直り、笑いながら言う。

「やっぱ微塵もわかんないや」

 鼻をすすりながら、シェイドがこちらを見ていた。

「あんたが此処に戻ってくるまでに、展望台がまだあるかわかんないっすよ」

「あっはは、多分あると思うよ」

 笑いながら、わたしはじわじわと眠気がやって来たのを感じた。フィルターが掛かったように、視界が白く霞む。

「なんであると思うんすか?」

「そうだな、『よく当たる勘』ってヤツかな……」

 まぶたが重い。ふわふわと心地の良い眠気だ。シェイドの声も聞こえづらくなってきた。

「ああ、そうだ」

「……?」

 最後に、これだけ。彼に言わなくては。

「わたしの後、追ってくるなよ」

 これも、よく当たる勘というヤツだ。

 そしてわたしは、遂に眠りに落ちた。

 最後の言葉は、ちゃんと彼に届いただろうか。



 その日。

 展望台からふたつの光が空へ上った。

 ひとつは、なんの迷いもないほどまっすぐに空に向かって行った。それからしばらくたった後、もうひとつの光が空へ向かった。展望台の周りをぐるぐる回りながら、ひとつ目の光を追い掛けるように。





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異常な世界に恋したわたし達 馳怜 @018activate

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