第9話 視線

 その日は休日だったが、部活の合宿にOBとして参加することになっていた。幸にとって、久々にボールに触れられることは嬉しい。

 あの写真のことは結局母に聞けずにいた。それからというもの日常の片隅にあの少女が幸の頭に棲みつき、どこかで思ってしまう。明日、合宿が終わって家に帰ったら聞いてみようと思う。あれが母だと分かれば、あの少女の呪縛から逃れることができるような気がする。

 合宿中も、そんなことをたまに考えながら一方では現役の選抜メンバーに激を飛ばしていた。

 夏が近いせいかもしれない。薄手のTシャツの内側、首筋から伝う汗が雫になって流れているのを感じる。衣服が濡れると心許ない気持ちになるのはなぜだろう。それから、背中をちくちくと柔らかに刺してくるもの。幸はその正体が何なのかを知っていた。

 視線だ。

 女子の視線。

 振り返っても目が合うでもなく、それは一つではなく複数であることもわかっている。自分は何もしていないはずなのになぜか羞恥に似た感情を覚える。そのことが、気に障る。好意なのか好奇なのか、わからない。一度気にし出すともう駄目なのだ。

 急にやってきた遅めの成長期に伴って急変した身体に、自分ですら戸惑っているというのに、益々うんざりだ。

 チビだった去年は、こんなことはなかった。あのままでいられたらよかったのに、と幸は思った。

 寄宿舎に戻ると、同室の後輩から、伝言を聞かされた。

「相馬さん、僕と同じクラスの奴からちょっと頼まれたんですけど、聞いてくれますか、俺からは言いにくいことなんですけど。」

「なんだよ。」

「あの、相馬さん、鈴木絵美って知ってますか。」

「誰だよ。」

「だから、俺のクラスの女子です。その子が相馬さんのことを好きとかなんとかで、彼女がいないか聞いてほしいって頼まれたんです。」

「――お前も知っていると思うけど、いねぇよ。」

「ですよね。では、次の質問です。まずこれ、見てほしいんすけど。」

 差し出されたのは写真だった。制服姿の女子数人が写っている何の変哲もない写真であった。

「この子、どう思います。」

「どうって。」

「可愛いとか、可愛くないとか、好みとかそうじゃないとか。」

「別に、わかんねえよ、そんなの。」

「すいません。でも、うちのクラスでは結構人気あるんです。最初、俺に話があるっていうから、もしかして告白か、って思って舞い上がっちゃったんですけど、俺じゃなかった残念、みたいな。」

 後輩は、頭をへこへこしながら笑って言った。

「先輩と付き合いたいっていうんです。月曜、昼休み時間とれませんか。可愛い後輩のためと思って、話聞くだけでもいいんで、お願いします。」

「……うん、わかったよ。」

「ありがとうございます。鈴木にそう伝えます。よかったぁ。」

 そう言って後輩は練習に戻っていった。そして、こいつはなんてお人好しなんだと幸は思った。自分ならこんな面倒な役を引き受けたりしない。


 部活を引退してからというもの、最近になってその手の話がやけに多くなり、幸の心を乱している。未だ恋を知らない自分はどの女子も同じように見えて、一人の人を見定めることなどできやしない。そのため、告白されても適切な返事が思い当たらない。そうして、いつも受験に専念したいから、と断ってしまうのだった。それも女子にとっては的を射ていない答えのため、女子たちはきょとんとした表情を見せながらも、そっか、わかったと答えざるを得ない。受験、頑張ろうね、受験終わったら望みはあるのかな――という風に。

――俺は君のことが好きでも嫌いでもないのに。

 そう言ってしまえば、どうなるだろう。それが本心。面倒くさいと思ってしまうのだ。自分に想い人がいればどんなに心が楽だろう。彼女達の気持ちも少しは理解できるのだろうか。そうすれば、自分がどうしたらよいのか分かるのだろうか。

 寄宿舎の布団は意外にもふかふかで寝心地が良い。

 幸は天を仰いだまま、今は考えても仕方のないことだと、久々に部活で得た疲労感を身体で味わいながら目を閉じた。

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