第32話
「温泉に行きたい」
悠斗作(文字は現地文字に書き直した)の宣伝ポスターを周辺の町に配り回っている時のことだ。
「温泉に行きたい。今すぐ温泉に行きたい。どうしても行きたい」
遂にルティが駄々をこね始めた。
「だから大空洞の温泉に――」
「嫌だ! バフォメットが浸かった温泉なんて、薄汚いぼろ雑巾で体を拭くのと同じだ!」
二日前。迷宮の穴を塞いで一仕事を終えた後、せっかくだから一番風呂をルティに譲ってやると言ってからずっとこの調子だ。
尚、彼女の気持ちも分からなくはない。大空洞にあるあの湯舟にはあちこち泥が付いていたし、何より湯の色が変色していた。さすがのドワーフたちもあれには入ろうとせず、一度湯を全部捨てて再び湧き溜まるのを待ったぐらいだ。
その時の変色したお湯はタブレットの中にある。湯の名前が【バフォメット汁が凝縮された温泉水】とあったのは誰にも話していない。
大丈夫。お湯を全部抜いた後、しっかり掃除したから!
「ユウト殿。この前の温泉でもいい。これを配り終わったら行こう? ね?」
町への転移にルティは欠かせない。
手作りポスターはタブレットにダウンロードし、ファイルをコピーすることで簡単に量産できた。そのせいであっちにもこっちにも配り回れるようになったのだ。
尚、ポスター以外で今のところ量産に成功した物は無い。金儲け出来ない物はコピーできるのだろうか?
「ふぅ……分かったよ。あと15枚配り終えたら温泉に行こう。どうせなら新しい温泉探しをしないか? 昨日調べてみたら、海の傍に湧く温泉を見つけたんだ」
「海の傍? 海水の温泉じゃないのか?」
「いや、大丈夫らしい。海岸の名前で検索して調べたんだけど、海に流れ込んでいる温泉じゃなくて、岩場から湧き出ている温泉だった。お肌つるつるすべすべ効果もあったよ」
「行くっ! さぁ配ろう。今すぐ配ろう!」
町にあるいくつかの酒場に僅かな金銭を払ってポスターを張らせてもらう。
別の町でも同じようにポスターを張り終え、二人はその町で食材を大量購入する。
鉱山の村に置いた屋敷へと戻って、食材をバスチャンへと届けて弁当作りの依頼。それが終わるまでタブレットの地図でルティと移動を話し合う。
「この町は行ったことある?」
「んー、あると思うけど……ぁ、そうだ。寒くてすぐ引き返した所だ」
悠斗が指差したのは、大陸でも比較的北にあった町だ。冬の季節には、平野部でも150センチほど積もると検索にもあった。
「雪かぁ……雪を眺めながらの露天風呂もおつだよなぁ」
「寒くないか?」
「温泉に浸かってれば平気さ。まぁ……」
上がると寒いけどね。
苦笑いを浮かべそう話す悠斗だったが、現在季節は春。それも終わり掛けだ。
残念ながら雪は既に溶けてしまっているだろう。山間部はもちろん万年雪もあるが。
荷支度の間、キャロルやその姉フィリネ、他メイドのリリアン、ラーナの四人が、入れ替わり立ち代わりやってきては「二人だけズルい」と言って部屋を出ていく。
彼女らは今、屋敷の掃除に忙しい。
壊れて修繕が必要な家に住んで居たドワーフたちは、この屋敷を仮の住まいにしている。
修繕には一か月は掛かるだろうといい、それが終わればこの屋敷も無償で修理してやる。そうドワーフたちと約束を取り付けたのだ。
ドワーフたちは鉱山に入っている者もいて、靴裏には泥ががっつり付いていた。屋敷へと入る前に落としても、完全には綺麗にならない。
こうして屋敷が毎日泥まみれになって、彼女たちは大忙しなのだ。
幸いな事に彼女らがゴーストで、疲れを知らない。24時間働けるので、なんとか屋敷の維持が出来ている。
だが彼女らの仕事量はまだまだ増えることになるだろう。
冒険者――これまで荒くれ者、ならず者、狩人探検家と呼ばれた者たちが、あのポスターを目にしてここへやってくれば、屋敷は暫くの間宿屋として機能することになる。
人手が足りない。
そうキャロルらもバスチャンも、そしてアーディンまで口を揃えて言う。
「どこかで人を雇わないとなぁ……」
「だがそのうち屋敷は移動させるだろう。ドワーフの家の修繕が済み、屋敷の修繕も終われば……その間に新しく宿の建設をドワーフらにやらせればい」
「その予定だよ。だけど結局その宿で働いて貰う人手は必要になるじゃないか。それにね――」
ここは町から遠い。
迷宮で稼いだ素材や宝を持って、また山を下りるのは大変だろう。それを持って町まで行って換金して、また迷宮へ。
移動コストが馬鹿にならない。
だから悠斗は考えた。
やっぱり冒険者ギルドって必要だよね♪
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
バスチャンの弁当五日分を貰っていざ出発!
ルティの記憶にあるずっと手前の町からの移動となる。ここから海沿いの港町まで乗合馬車も出ているのだが、ルティは歩く方がいいという。
乗合馬車の中は狭く、そして汗臭い。エルフだからと遠巻きに見られるのは良いが、目の前でじろじろ見られるのは流石に嫌だ――という主張だが、要は悠斗と二人っきりでのんびり歩きたいという乙女心なのだ。
そんな乙女心に気づかない悠斗は、ルティが嫌がるならと徒歩での移動を承諾。
弁当を節約するために町で昼食を取り、さぁ出発するかという所で――。
どんっ。
「おっとごめんよ」
人ごみの中、小柄な少女が悠斗へとぶつかって来て、そしてすぐに走り去った。
「ユウト殿。盗まれてるぞ」
「え?」
「お約束だぞ」
「あ……巾着が無くなってる」
未だビジネススーツを愛用している悠斗は、ジャケットのポケットに入っていたハズの物を探して手を出し入れしている。
直ぐに使えるようにと、少ない金額を入れて持ち歩いていたのだが、それが無い。
「えっと……どうしようか?」
「いや私に聞かれても……取り返したいのなら追いかけるが」
「でももう逃げちゃってるもんなぁ」
「大丈夫だ。精霊が直ぐに探してくれる」
そう言うとルティは、精霊語で
言葉の意味は悠斗にも分かったが、なんせシルフの姿が見えない。そして言葉の意味は「悠斗の財布を持った獣人の少女を探してくれ」というものだった。
「獣人だったのかい?」
「帽子をかぶって耳を隠していたからな、気づかなかったのだろうが、尻尾があったぞ」
悠斗が覚えているのは、灰色のベレー坊を被ったこげ茶色の髪の女の子――ぐらいだ。
巾着に入っていたのは小銭と言っても差支えが無い金額だが、それでも泥棒は泥棒だ。説教をして、こんな事辞めさせなければならない。
という謎の使命を帯び、悠斗はルティに先導され泥棒少女の下へ向かった。
シルフの案内でやってきたのは、まぁド定番な路地裏だったりする。
どこかの店の裏口なのだろうか。大きな酒樽の上にちょこんと座った少女が、今まさに悠斗の巾着の中身を確認しているところだった。
「っち。なんだよこれっぽっちかよ。しけた男だぜ」
「しけてて悪かったね」
「きゃうっ!?」
ビクンと体を跳ねさせた少女は、その勢いのまま樽から落ちてしまう。
「なっなんでここに!? アタイの鼻じゃ匂いを嗅げなかったってのに」
「ふむ。もちろんその対策もしてあるさ」
「んげっ。エルフじゃん。ってことはシルフ?」
「ご名答。さ、ユウト殿」
樽から転げ落ちた時に少女の帽子もぽろり。そこにあった耳は、猫というより犬っぽい? 後ろの尻尾もふさふさで、くるんと巻いてるあたりは柴犬か秋田犬っぽくある。
犬の獣人は鼻が利く。
だが精霊によって風の通りを調節されてしまえば、いかに獣人族とて匂いを嗅げない。そして風は音も遮断できる。完全にお手上げ状態だ。
「お金と袋を返してくれるかな? それと、人の物を盗むなんてのは止めるんだ」
「はぁ? お前、馬鹿なのかよ。ぼーっとして盗まれる奴が悪いんだよ」
そう言い、獣人の少女は巾着だけを悠斗へと投げて寄越す。
「ありがとう。だけどお金がまだだよ」
「けっ。誰が返すかよ!」
「いいやダメだ。人から物を盗むなんてやっちゃいけない。君みたいな子供がそんな事するもんじゃない」
良くも悪くも悠斗の頭は未だ日本人脳だ。生きていくために物を盗む――というのは、到底理解しがたい行為なのだ。
大人として(見た目は十六歳でも)それを見過ごすことは出来ない。
獣人少女は苛立っていた。さっさとこのぼんくら人族を巻いて、行かなければならない所があったのだ。
はした金でも、これはどうしても必要なお金だ。返す気などない。
だが人族はいいとしても、後ろのエルフが厄介だ。精霊魔法の使い手なのは分かっている。さて、どう逃げるか。
エルフは人族の連れのようだし、まずは人族に痛い目にでも遭ってもらうか。
少女は先ほどまで腰を下ろしていた樽に手を掛けた。
中身は満タンで、当たり前だが持ち上げることなど出来ない。だが倒すことなら出来る。
これを狭い路地に転がせば――
「ううぅぅぅっ」
唸り声をあげ樽を全体重を掛けて押す。
ごとり――やった。倒れる!
少女がそう思ったのもつかの間。
全体重を掛けていた樽がふわりと持ち上がり、彼女は前のめりに倒れてしまった。
「ぎゃんっ」
小さく悲鳴を上げた獣人の少女は、軽々と樽を持ち上げる人族を見た。
(え、嘘だろ? だって中身は満タンなんだぜ? なんでこんな細腕の男が持ち上げてんだよっ)
思わず怯えた少女は耳を伏せ、尻尾を足の股に挟むようにして震えた。
そんな少女へ悠斗は――
「お金、もう盗むんじゃないぞ」
と、最高の営業スマイルを浮かべて言った。
持ち上げた樽越しに。
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