第12話

「あっちの方かな。見えますか?」

「んー……いや、何も見えないな」


 もう歩くの無理。そう訴えたルティは今、悠斗に肩車されている。

 身長は150を少し超えた程度で小柄だからこそ出来るのだが、幼い子供ではないので恥ずかしがるだろう。そう思ったのだが、ルティは思いのほか喜んだ。

 幼かったあの日を思い出すようだと。


 おんぶではなく肩車なのは、悠斗がタブレットを確認する必要があるからだ。

 片手はルティの足を、もう片方でタブレットを持つ。故にルティは落ちないよう、悠斗の頭にしがみついた。

 だから――彼女のお胸さまが時折悠斗の頭にあたる。彼はちょっと嬉しいようだ。


 肩車が有効なのはそれだけではない。(決しておっぱい云々の事ではない)

 ルティの目線は悠斗より高くなり、僅かでも先が見えるようになる。

 悠斗が地図を確認しつつ方角を示し、その方角が歩きやすそうかどうかをルティが見る。こうして二人は少しずつだが先に進んで行った。

 魔物が出ようと悠斗の『俺の剣』で瞬殺していく。手を使う必要も無い。

 肩車のままでは進めないような所ではルティも下り、二人で協力して山を登って行く。


 そうして四日、登って下ってまた登ってを繰り返し、ようやく湯煙が立ち上る場所までやって来た。


「もう少しで温泉だ」

「……臭い」

「仕方ないですよ。温泉ですし」


 相変わらず営業口調が抜けきれない悠斗だったが、その事をルティは気にしていた。

 他人行儀過ぎて嫌だ……と。

 だから言った。


「ユウト殿。そのデスマス口調はどうにかならないのか? 私と貴殿の仲ではないか。もうそろそろ他人行儀な喋り方ではなく、もっと……もっとこう、心を許してくれたって!」

「え、あ……すみません。以前暮らしてた世界で、こういう口調じゃないとダメな仕事をしていたもので」

「仕事?」

「えぇ。人に頭を下げて、商品を買って貰ったり、何かあれば謝りに行ったり」


 ただし『何か』はほとんど上司のミスの尻ぬぐいだった。

 勤務時間が長かったせいもあって、人と関わっている時間=勤務時間。自然と今の喋りが普通になってしまったのだ。

 ルティが気を悪くしてはいけないと、悠斗は素直にその事を伝える。

 それでルティはほんの少し救われた気がしたが、


「そのうち慣れてくると、普通になるかもしれません」


 と悠斗が言ったものだから、再びルティは不安に陥った。

 自分は悠斗と打ち解けていなかったのか。どうすればもっと親密な仲になれる?


「どうしたんですか? 眉間に皺なんか浮かべて」


 怪訝な顔をする悠斗に、ルティは唇を尖らせ尋ねる。


「誰かと打ち解けるには、どうすればいい? 検索してくれないな」

「人と? あぁ、それならいい方法があります。温泉に浸かる事です。温泉は凍った人の心も溶かしてくれますよ」


 にっこり微笑んだ悠斗は、その誰かが自分だとは思いもしなかったのだろうか。






 悠斗とルティの前に温泉がある。

 ぼこぼこと煮えたぎることも無く、周囲は岩が転がるまさに岩風呂だ。

 ただ浸かっても大丈夫なものか。そこは分からない。分からないので悠斗は温泉をコップに汲んでタブレットに突っ込んだ。

 プロパティを確認し、成分を確認する。だが確認してその成分が体に良いのか悪いのか、そこを再び検索しなければならない。面倒くさい。


 温泉水のファイル名は『ロコスカの温泉水』とある。なら――『ロコスカの温泉が人体に与える影響』で検索してみた。

 すると、【疲労回復・冷え性解消・お肌すべすべ】と出て来た。つまり、入れるのだ!


「ルティ! この温泉は入っても大丈夫だ。温度も丁度良さそうですよ」


 言いながら悠斗は温泉に手を入れ温度の確認もした。

 

 さて、ここは天然の露天風呂だ。そして見る限り一つしかない。遠くに湯煙が見えるが、そこまで行くのは面倒だ。

 悠斗、人生初の嬉し恥ずかし混浴だ。

 とはいえ人生とは意地悪なもので、この岩風呂の形が実に都合のいい形をしていた。


 くの字。


 その中央の角には岩がいくつか転がっており、目隠しの役目も担っている。ここならお互い、裸を見せ合う事もないだろう。


「お、俺はあっちで入るので、ルティはこっちに」


 お互いテントを張り、そこで服を脱いで浸かろう。そう悠斗は言うと、まずはルティの為のテントを張り出した。

 その間ルティはずっと黙ったまま。

 よっぽど臭いのか、鼻を押さえて湯煙立つ温泉を見つめている。

 やがて彼女の為のテントが完成すると、悠斗はひとり奥へと歩いて行き、岩の影でもう一つのテントへと着手する。

 この数日間でテントの組み立てにも慣れて来た。

 さくさくっと張り終えたテントで服を脱ぎ、タオルで大事な部分を隠していざ出陣!


 ちらりと先ほどの場所を見て見ると、やはり不安なのか、ルティは服を着たまま温泉を睨んでいるのが見える。

 安心させるためにはまずは自分が入ろう。そう思って悠斗は躊躇うことなく温泉に足を突っ込む。


「くぅ〜」


 暖かい。懐かしいお湯の感触に全身が喜ぶ。

 だがルティは彼の声に心配したようで、


「ユ、ユウト殿!? 大丈夫かっ」


 と、声を上げ駆けてきた。そして悠斗を見た。タオル一枚の悠斗を。


「……きゃあぁぁぁぁっ」

「わぁーっ」


 顔を覆って悲鳴を上げるルティと、体をくの字に曲げて叫ぶ悠斗。

 悠斗は慌てて大事な所を確認する。うん、ちゃんと隠せているようだ。

 自分は悲鳴を上げる必要はないと分かると、悠斗は彼女にも入るよう勧めた。大丈夫だ、と。


「ほ、本当に? 体が溶けてなくなったりしない?」

「してたら今頃俺はここに居ません」

「毒に犯されたり」

「しません」

「ゾンビに」

「なったりしません」


 どうやらゾンビがこの世界には居るようだ。

 その後も何かと尋ねられ、その全てに悠斗は答えていく。

 やがて諦めが付いたのか、ルティは頷いて衣服を脱ぎ始めた。その場で。


「わーっ。テント! テントの中で!」

「……はっ。わ、私としたことが。ふえぇーっ」


 脱ぎかけたコートを抱きかかえるようにに、ルティはテントへと潜って行った。

 その間に悠斗も岩の影に隠れる。隠れると言うか、彼女を見ないようにするためだ。


 耳をそばだて音でルティがテントから出てきたことを察知。


「ユ、ユウト殿? 居るのか?」

「大丈夫。岩陰に居るよ」

「そ、そう」


 ぽちゃ……悠斗の耳に小さな音が聞こえたが、彼女が中に入った――とは思えない小さな音だ。恐らく躊躇っているのだろう。


「ほんと、大丈夫だから」


 姿は見せず、悠斗はそう彼女に伝えた。


「う、うん……あ、温かいのだな」

「そりゃあ温泉だからね」


 ちゃぷん。

 聞こえて来た音は、今度こそルティが温泉に全身で浸かった音だった。


「はふぅ……」

「はぁー……」


 二人、岩を挟んでそれぞれ吐息を吐く。

 山の上の方だというのもあって、気温はやや低い。だからこそ、温泉の温もりは身に染みる。

 

「あぁ、そうだ。この温泉の効能に、お肌すべすべってありましたよ」

「お肌すべすべ?」


 ぱしゃぱしゃと湯の音がする。どうやらルティが確かめているのだろう。

 そして「あっ」と小さな声が聞こえる。


「本当だ。すべすべする」


 弾むようなルティの声に、思わず悠斗の顔に笑みが浮かんだ。


(やっぱり女の子なんだなぁ)


 肌がすべすべして喜ぶなんて、やっぱりそうなんだなと改めて思う。

 それから暫く、ルティの鼻歌を聞きながらのんびりした時間を過ごすことになった。


「あぁ、やっぱり温泉は良い」

「ユウト殿は元の世界でも、よく温泉に?」

「あー、いえ。子供の頃に家族と行ったぐらいで、大人になってからはそんな時間も無かったですから……」


 と、遠い目になる悠斗。

 思えば最後に温泉に入ったのは、中学校の修学旅行だっただろうか。


「そう。では随分と入ってなかったのだな」

「うん。そうなりますね。はぁー、極楽極楽」

「ご、極楽!?」


 ざばぁっと音がして、思わず見上げた悠斗の目に――立ち上がったルティの姿が見えた。

 もちろん全裸。


 運命の神様は優しかったようだ。


 目隠し程度の岩は大きくはなく、座っていれば向こう側は見えないが、立っていては話は別。


「お……おおぉ……」

「ユウト殿! 死んじゃダメーっ!」

「おっぱ――」


 ――い、という言葉は出て来なかった。

 死んじゃダメーと叫ぶルティが、悠斗へと飛びついて来たから。


 彼は人生の中で母親以外の女性のおっぱいを、初めて触った。

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