第5話

 ファンタジーな世界の夜は真っ暗だった。

 車のヘッドライトも無ければ街灯も無い。住宅の明かりも、ネオンも、ここには無い。その分夜空の星は美しいだろうが、森の中ではそれすら見えなかった。

 大木の根本で悠斗は蹲り、朝になるのを待った。

 空腹は桃で凌いだし、どうやらモンスターは近づいてこない様子。

 それでもやはり恐ろしくはあった。突然襲ってこないとも限らないのだから。


 暗闇に怯え、何とかそれでも眠ろうと努力する悠斗の耳に、天の助けにも聞こえる人の声が入って来た。

 思わず声に向かって彼は叫ぶ――


「だ、誰か……誰かーっ!」


 立ち上がって声のする方へと駆け出す。足場は悪く、何度も倒れたが大したダメージも無い。構わず走ると、なんてことはない。森を抜け出せたではないか。

 先ほど聞こえた声の正体も直ぐに分かった。

 森を抜けた先では十数人の男たちが焚火を囲んでいるのが見えた。その男たちの近くには檻が備え付けられた馬車がある。中からは女のすすり泣く声が聞こえてきた。


「〇×♯∀」

「△%∀$£*」


 笑顔で談笑しているであろう男たちの言葉を、悠斗は理解できない。


「あぁぁあぁ……しまった……言語スキル貰い忘れたままだったぁ」


 膝を突き項垂れ涙目になる悠斗は、何か解決策は無いかとタブレットを取り出した。


「キーワード……えぇっと……異世界言語翻訳? いや、この世界から見れば異世界言語じゃないか。じゃあ――とにかく全部翻訳だ!」


 ちかちかとタブレットが点滅し、浮かび上がったのは【世界言語アプリ】。

 アプリ? それ以外には何も書かれていないし、アプリはどうやらインストールしなければ使えないようだ。

 つまり――。


「これを俺にインストールしろってことですね女神さま!」


 嬉々としてインストール先を自分に設定すると、タブレットからキラキラと漏れ出た光が悠斗を包む。

 その瞬間、


「しかしあの奴隷商人、金をケチったのかロクな護衛もつけていやがらなかったな」

「あぁ。あんな簡単に皆殺し出来るとはなぁ。がーっはっはっは」

「げひひ。あの奴隷女ども、やってもいいんだよなぁ?」

「やるどころか、しっかり調教してやれ。初々しいのもいいが、調教済みの雌を好む貴族も居るって言うからな」

「ぐひひ。金が手に入って女は抱き放題。奴隷商人はほんと神様だぜ」


 聞こえてきたのは耳を塞ぎたくなるような内容だった。

 例えるなら、今月の営業ノルマの発表のような、もしくは今月の個別社員営業成績発表のような。

 こんな事ならインストールしなきゃよかったとすら思えたが、だがそうも言っていられない状況が発生する。


 卑下た笑みを浮かべた男がひとり、馬車へと近づいて行ったのだ。

 それに呼応するかのように、馬車の中から女の悲鳴が上がった。

 悠斗からは見えないが、数人の女が檻に入れられているようだ。


「ひっひ。なぁに怖がるこたぁない。すぐ気持ちよくなるからよぉ」

「い、嫌っ。こないでっ」


 状況から察するに、この男たちは悪党なのだろう。このまま放っておけば、あの馬車の中に捕らえられている女性たちは、男たちの欲望のまま、乱暴に犯される事になるだろう。

 それを見過ごしていいのか?

 いや、多勢に無勢。勝てる訳が……だが――と悠斗は男たちをじっと見つめる。


(スライムよりは少ないよな)


 スライムではなくオークだ!


 悠斗が相手にしていたオークの軍勢は、いったいどのくらい居たのか把握できない程の数である。

 それを思えば十数人程度、ゴミみたいなものだ。

 手にする剣は無いが、ラジコン操作出来る『俺の剣』ならいくらでもある。

 だが操作にいまいち自信が無い。

 檻から女性たちが下ろされる前に、男たちだけを狙いやすい状態で倒しておきたい。

 となると、やるなら今でしょ!


「うおおぉぉっ!」


 雄叫びをあげ森から出た悠斗が、まっすぐ男たちに向かって駆け出す。


「な、なんだ!?」

「傭兵か?」


 一瞬驚いた男たちだったが、こういった場面にも慣れているのだろう。すぐさま脇に置いてあった剣を手にして立ち上がると、躊躇うことなく鞘から引き抜き身構えた。

 突っ込んでくる悠斗が丸腰だと分かれば鼻で笑い、嘲笑を浮かべて何人かはやる気無さそうに構えを解いた。


「"俺の剣"!」


 叫んだ悠斗の手から剣がにょきっと顔を出す。それを見た男が間抜けな声を上げ悠斗を凝視した。

 仲間の声に気づいた他の男たちの目の前で、それは生み出され続けた。


「"俺の剣""俺の剣""俺の剣""俺の剣"!」


 全部で5本の剣が悠斗を囲むようにして宙に浮き、彼と共に男たちへと迫って来る。


「ちっ。魔術師か!?」

「詠唱される前に殺せ!」


 だが既に時遅しだ。悠斗の詠唱はある意味終わっているのだから。

 バババっと両手を動かすと、それに合わせて剣が踊る。

 それぞれ独立した動きをしているようで、実は似た動きを繰り返しているだけだ。それでも13本の剣が、誰の手にも握られていないのに、勝手に動くのだ。

 男たちからしてみればこの上ない恐怖だろう。


「ひ、ひぃ!?」

「来んなっ。こっち来んな!」

「ぎゃあぁあぁぁっ」


 ひとり、またひとりと地に倒れていく。もちろん悠斗は相手を殺さぬよう、気をつけて狙っていた。

 そうして倒れた男たちに駆け寄り、タブレットを押し当てて行く。

 にゅるっとタブレットに吸い込まれた仲間を見て、更に男たちは悲鳴を上げた。


 なんだあれは。何故仲間があの小さな銀色の板に吸い込まれているのか。

 きっとあれは悪魔か邪神がこの世に残したアイテムに違いない! あれに吸い込まれたら永遠に続く苦痛を味わわされるかもしれない!


 と、勝手に勘違いした男たちは、ある者は失禁し、ある者はその場で気を失い、ある者は自分ひとり助かろうと逃げ出す。


「ひ、ひぃーっ。母ちゃん助けてぇーっ」

「ま、待て!」


 タブレットに男たちを詰め込みながら手を伸ばすが、逃げた男は暗闇へと消えた。だが――


「げはっ」


 暗闇から男が転がり戻って来たではないか。

 すぐさま悠斗は男をタブレットに収納するべく駆け寄った。他の男たちは全員タブレットの中に捕まえてある。

 男をダウンロードし終えると、奴が転がって来た暗闇へと目を向けた。


「誰か……居ますか?」


 尋ねると、暗闇は返事した。


「うむ」


 ――と。

 そして闇の中で赤紫色の二つの光がギラリと輝く。

 一歩、そしてまた一歩と、暗闇からひとりの人物が現れる。


 暗闇と同化するかのような漆黒の衣装を纏い、それはどこかビジネススーツにも似ていた。だがジャケットというよりはコートと言ったところだろうか。

 髪は暗くて分かりにくいが、焚火の火に照らされ赤くも、そして黄金色に輝いても見える。その双眸は赤紫色に輝き、長い睫毛に守られていた。


 一見すると男にも見間違えそうな服装だが、はち切れんばかりのお胸さまが女であることを主張する。 そして特徴的なのはその耳だ。

 笹の葉の形をした長い耳は、ファンタジーでもお馴染みのエルフ族のもの。

 この耳に悠斗は見覚えがあった。


 数時間前、スライム改めオークから助けたあの幼子や、保護者と思わしき大人たちの耳と同じなのだ。


(そういえばあの子の瞳も――)


 紫水晶のような、美しい赤紫色だったはず。

 偶然の一致だろうが、無事逃げ伸びていればいいなぁと、目の前のエルフを見ながら彼はそう思った。


「ふふふふふふ」


 暗闇から出てきたエルフの口元が僅かに歪む。その歪みは次第に大きくなり、同時に声も大きくなっていった。

 凛とした、ややトーン低めの音色からは想像できないほど……


「ふははははははは。はーっはっはっはっはっはっ」


 悪役が登場する時のような笑い声に、悠斗は思わずドン引きしてしまった。


「見つけた。随分と若返っているようだが、ようやく見つけたぞ勇者殿」

「ゆ、ゆうしゃ!?」

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