2-69 聞き慣れた名前





――おでん





今までであれば何の違和感もない、よくある料理の名前だった。

銀座にも専門店があったし、コンビニにもあるし、自分で作って家族で食べたこともある。


地域によっては、その具材や味付けなどに多少なりとも違いや独自性はあるが、そういったものも含めてもハルナにとってはメジャーな食べ物だった。



この世界に来るまでは。



老婆の話しを聞いて、ハルナの中に生まれた可能性がやや強い確証へと変化していく。

もう少しその確証の精度を上げるには、まだまだ確認しなければならないことがある。





一体誰がこの老婆に教えたのか?





ハルナは、老婆の機嫌を損なわない様に慎重に尋ねた。





「この料理……おでん、誰に教わったのですか?私もその方に作り方を教わりたいです!」



「うーん……おでんの作り方は教えることはできるんだけどねぇ。その人が今……うん。今、どこにいるかは知らないんだよ。随分と前のことだからねぇ」





ハルナは、その言葉に引っ掛かる。





――随分前?






ハルナがこの世界に来て、まだ一年も経っていない。

ならば、その人物はその前にこの世界に転生されたハルナの知らない人物か?

だが、”おでん”と名乗っているからには、日本人である可能性は高い。




(せめて、その人の名前でもわかれば……)






「え?それは、どのくらい前のことですか?その方は何というお方なのですか?お願いです、教えてください!?」




「ちょっ……ちょっと。ハルナさん、どうしたんですか?」





ハルナの慌てぶりに、クリエは驚いた。

クリエの声で、ハルナは自分が少し大きな声を出していたことに気付く。





「ゴ……ゴメンナサイ」



「ん、あぁ。いいよ、いいさね。そんなに必死になるってことは、よっぽど何かあるんだろうからねぇ」






そういって、老婆はまた手に持っていたワインを一口含む。

そして、息を吐いて目を閉じ、過去の記憶を掘り起こし始めた。





「あれは……そう。二十年くらい前かねぇ、ケガをしてボロボロの服を身に着けた女がうちに助けを求めに来たのさ。何か事件に巻き込まれた様子だったねぇ」




「二十年……前」




ハルナは思わず繰り返した、それは自分の予想していたものとはかけ離れた答えだった。





「確か、その位だったと思うがね……なにせ、歳を取ったもんだから細かなことなんて覚えちゃいられないんだよ」




「い、いえ!そんなつもりじゃ」






申し訳なさそうにした老婆に対して、ハルナは無理をお願いしていることを思い出し、自身を責めている老婆に詫びた。





「ふん!いずれはあんたたちも、こんな婆さんになるんだからね!……っと、話しの続きだったね」





申し訳なさそうにするハルナに老婆は気を使って、憎まれ口をたたく。

ハルナは、その様子に当初抱いた老婆の怖いイメージが塗り替えられていった。







「話しを聞くと、どうやら昔のことを忘れて思い出せなかったようだね……記憶喪失さ。とにかく行くところがないって言うもんだから、当分の間うちにいることを勧めたのさ」






まず、その女性の傷を癒し体力を回復させた。

ある程度身体が動かせるようになると、女性はここで働きたいと申し出た。


丁度人手が足りなかったため、老婆は喜んでその申し出を受け入れた。





そこから二年間、女性はこの宿で働いた。

以前の記憶はないが、料理などの動作は感覚で覚えていた。



その料理はこの宿を利用する客にとっても楽しみの一つとなっていた。

それにどこかでやっていたのか、客の扱い方がとても上手だった。


中には自分の店への引き抜きや、求婚するものまでいた。

しかも、東西問わず大きな店を運営するものまでもいた。





だが、女性は全て断っていた。


その理由は、ここで働くことが気に入っていたし、自分の過去も同じようなことをしていたに違いないと思っていたから。

それによって忘れていた記憶を思い出すことが出来るのだと信じていた。





ある日突然、状況は変化を見せる。




女性の記憶は蘇った。

その代わりに、体調が急激に悪化していった。



西の町の医者に診せても、全く原因が判らないという。





日に日に衰弱していく女性は、ある日老婆を呼んだ。


その時に女性は、自分の記憶を全て老婆に話した。



なぜ、あんなに傷ついていたのか

どうして、この場所にいたのか。




全てを、この老婆に告げた。





「そして、あの子はワシにお願いしたのだ。『――この”おでん”を知る者が来たら、自分のことを伝えてほしい』……とな」





老婆は、ハルナにまっすぐ向き合って目を見る。

その視線は真剣だった。




「あんた……あんたは、この食べ物を知っていたのじゃろ?もしかして、あんたも……」




クリエはその老婆の言葉の意味が、全く分かっていなかった。

だが、隣にいるハルナはその言葉に対して、無言で頷いて返答した。




「やっぱり……これでようやくわしの役目が終わった気がするわ。この約束も、いつ果たせるか分からなくってな、正直焦っていたのさ」




老婆は笑顔で、涙をこぼした。





「それでお婆さん。その人の名前をお伺いしてもいいですか?」





老婆は、鼻をすすりながらハルナに向き合った。




「おぉ、そうじゃったな……歳をとると、涙もろくてしょうがないわ」






鼻と涙を布で拭い、呼吸と気持ちを落ち着かせる。




「その者の名前は”フユミ”と言っておった。にわかに信じがたいが、他の世界から来たとも言っておったわ」






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