2-70 家族
ハルナは、この世界で再びその名前を聞くことになるとは、夢にも思わなかった。
「冬美さんが……ここに!?それで、今はどこにいるのですか?」
目をキラキラさせて尋ねるハルナに、老婆は申し訳なさそうにその問いに答える。
「……もう、いないよ。この世には」
その答えに、ハルナの表情は固まったままになる。
老婆の言葉の意味はわかっていたが、頭の中で処理できない。
クリエがハルナの表情から、心配している。
顔は笑っていたが、その瞳からは涙が流れ落ちていた。
「冬美さんが……そ……そんな、冬美さんが……そんなっ!?」
ハルナの悲痛な叫び声が、食堂内に響きわたる。
そして叫び声は、鳴き声に変わっていく。
誰も、そんなハルナに声をかけることはできない。
一通り泣き尽くして、気持ちが落ち着く。
まだ信じられないが、この場面で嘘をついても誰も得をすることはない。
ゆっくりと事実を飲み込む努力をした。
「ハルナさん……」
クリエが心配そうに、ハルナの名を呼ぶ。
「……ご、ごめんなさい。も……もう、大丈夫です。すみませんでした」
ハルナは、ようやく話ができる状態になった。
それを待っていた老婆が、次の情報を告げる。
「結局は、記憶を取り戻してから二週間くらいで息を引き取ったのさ。毎晩うなされている時に、あんたの名前を呼んでいたよ。ハルナさん」
老婆は、ハルナにこの場で待つように言って席を立ち、そのまま自分の部屋に入っていった。
しばらくして戻ってくると、手には小さな木の箱がある。
その箱をハルナの前に置いて、また自分の飲みかけのグラスが置いてある席に腰掛ける。
「その箱を開けてみな」
老婆は、ハルナに目の前の箱を開けるように促す。
その指示のままに、箱を手に取り蓋をあける。
「これは……」
「あの子……フユミがうちに来た時に、身に付けていたものだよ。もし、この世界に一緒に来たものがいた時に渡して欲しいと最期に頼まれたんだよ」
そこには、あの夜に身に付けいた装飾品が入っていた。ピアスとネックレスとブレスレットだった。
「あんたが、持っていた方がいいじゃろ?」
老婆は、寂しそうに告げる。
その気配を感じたハルナは、一つ気になることを質問した。
「どうして……どうしてお婆さんは、冬美さんにそこまで……」
「そこまで見ず知らずの女に親切にしたかって?」
ハルナが言い終える前に、老婆は言葉を割り込ませてきた。
その言葉はハルナが伝えようとしていた内容、そのままだった。
「私にもね、娘がいたのさ。病気で亡くなってしまったがね」
この宿屋は、親子三人で始めたものだった。
老婆の夫は、元々は西の国で警備兵をしていた。
だが、結婚するにあたって、危険な仕事からは距離を置きたいと二人で宿屋を始めることにした。
準備が整い、開店直前に娘を授かった。
随分と時間はかかったが宿の運営も起動に乗り、何度も使ってくれるリピーターも増えてきた。
ここから幸せな日々が始まると思っていた。
しかし、突然夫を失ってしまうことになる。
客から頼まれて森の道案内をしていた時に、落石事故で命を落としてしまった。
悲しむ暇はないと、当時十五歳になったばかりの娘とこの宿を守る決意をした。
利用客も、協力的に利用してくれるようになった。
忙しさと利用客の優しさと娘の存在が、心に開いた穴を埋めてくれた。
だが、不幸はまた、老婆に襲いかかる。
今度は娘が原因不明の病に倒れる。
店と母親のためにと恋愛や結婚もせず、ずっと母親と一緒に働いていた。
そして、発症してわずか二カ月で永遠に眠ることになった。
娘の亡骸を夫の隣に埋葬し、悲しみに明け暮れていた。
このまま店を畳んで、自分も二人の後を追うことも考えた。
だが、この店は家族の証。
無くしてしまうことに強い抵抗感があった。
そんな時だった。
冬美がこの宿に助けを求めてきたのは。
今度は、悲しみを紛らわすように面倒ごとがやってきた。
(こういう運命なのかね?)
老婆は、冬美を宿の中に入れた。
町から高い名医を紹介して診てもらったりもした。
その医者が言うには、衰弱しておりその生存率は半々とのことだった。
「……死なせやしないよ、絶対に!」
老婆は、必死になって世話をした。
大精霊にも、毎日祈り助けを乞いもした。
その甲斐もあり、冬美は再び身体を動かせるまでに回復した。
その記憶は失われてしまっていたが、そんなことはどうでも良かった。
一つの命が助かったことに、老婆は安堵した。
今度は、心労と看病疲れで老婆が倒れてしまった。
しかし、客は来る。
冬美は、何か手伝えることがあればと言ってくれたので、宿について冬美に指示を出し手伝ってもらうことになった。
とはいえ、右も左もわからない場所で、知らない人間ばかり。
だが、ほとんど客が自ら進んでやってくれていた。
しかも、新規の客の対応まで既存の客がやってくれるというおかしな状況になっていた。
食事の提供は、冬美が行なった。
記憶を失っても、調理はできた。
元々なんでもできていたので、食材や調味料を確認し、それにあった料理を提供していた。
その時、最初に作ったのがおでんだった。
調理も簡単で、減っていく具材だけ管理すれば良かった。
客は勝手に取っていって、伝票に記入する。
消費したものだけ支払う。
客を信用しての提案だったが思いの外、利用者からもウケが良かった。
そこで手の空いた時間で、冬美は老婆を看病した。
症状もそんなに重くなく、次第に老婆の症状が寛解する。
職場に戻ると、冬美の客からの人気は凄かった。
こんな短期間で、客の心を掴むのは何か特殊な力があるのかとも感じさせる。
そこから数日経ち、冬美が話しがあると言った。
『記憶もないし、行くあてもない。できれば、ここで働かせて欲しい』
と。
老婆はこの血の繋がっていない女性を、わずか一ヶ月弱でこんなにも受け入れてしまった。
娘の代わりにはならない。
そんなことは、充分わかっている。
(でも、この子と一緒にこの先も過ごせたら……)
そんな希望が生きる糧になる。
「フン。仕事は厳しいよ、ちゃんとやれるんだろうね!」
老婆は、新しい家族を迎え入れることを決めた。
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