第72話 渡辺と星雲

 二人は死にかけの渡辺を盾にして「うおおおおお!」と犬達の中を走り抜けた。


「よもぎだああ、はやくうう」と空から渡辺の声がしたが、蓬田は聞こえないフリで一目散で駆け抜けた。それが良かったのだろう。

蓬田と竜二はめでたく、エリザベスちゃんのウンコが無いエリア外へと辿り着くことに成功したのだ。犬達もテリトリーの外ならば襲って来ない。


 安堵する二人。

すると竜二の携帯に幼稚園の手下から電話が入った。


「もしもしだぜ!」

「竜二さん、あの! 今、空に巨大な渡辺さんがお線香のCMみたいな笑顔で映ってるんですけど! テレビですか!」


 蓬田が、あり得ない方向に曲がった渡辺の首をグキッと元の角度に戻すと、空の渡辺は煙の様に消えて行った。

「あ、消えました!」と電話の手下が言ったところで竜二は携帯を切った。


 渡辺は息を吹き返し、瀕死の状態から、全裸の変態へと戻ったのだ。


「ここはどこだ?」


 意識を取り戻した渡辺は、お空に浮かんでいた時の記憶を無くしているようであった。「良かった」と二重の意味でホッとする蓬田であった。悪い男である。


「渡辺! 無事でよかったぜ!」


 竜二は喜び、生き返った渡辺に抱き付いた。蓬田は、竜二が余計な事を言わないか言動一つ一つに注意を払っていた。渡辺は復活したが、蓬田にとってはまだ予断を許さない状況なのだ。


「俺は、味噌を塗っていたんじゃ?」

「渡辺……」


 蓬田は、渡辺に現状を説明した。後ろから竜二が「蓬田、渡辺が電柱から落下したくだりが抜け……」と訳の解らない事を言い出したので「嘘を付くな!」と怒鳴ってやった。


「で、味噌は?」


 状況を聞き終えた渡辺が心配そうに聞いて来たので、竜二が「ほら、壺とヘラだ」と差し出す。道具は電柱を登る前に、竜二の四次元リーゼントの中に入れていたので安全だったのだ。


「おぉ! 俺の味噌とヘラ! 無事だったか!」


 凄い嬉しそうに渡辺は壺に頬ずりしだした。愛着がわいて、もはや戦友である。


「渡辺! あそこに電柱があるぜ!」


 蓬田が己の過ちを隠滅するために、とてもワザとらしく言った。悪い男である。


「おお! よし、塗るか!」


 渡辺は、休憩を終えた左官屋の様に、手前にあった電柱に味噌を塗った。これにより、その電柱からさっき渡辺が味噌を塗った電柱までの三ブロックの範囲にあるエリザベスちゃんのウンコを取り除く事が可能となった。


「よっしゃ! これで逆転の希望が出たぜ!」


 竜二はハシャギながらリーゼントからビニール袋を取り出し、エリザベスちゃんのウンコを回収して行った。確かに良い匂いがした。「家の玄関に置こうか」と三人は口にはしなかったが、全員思っていた。

 竜二の後ろから、渡辺はウンコをどかした電柱に味噌を塗り、蓬田は渡辺の後ろから勝ち誇った顔で見張りの犬を睨み付け、渡辺の首輪の紐を引っ張った。傍から見ると蓬田が一番偉い人の様だった。実際に偉い人は全裸で味噌を塗っている変態なのに。

 三ブロック全ての電柱に味噌を塗った渡辺達。これは大きかった。これで、テリトリーの範囲外からかなりの数のエリザベスちゃんのウンコを挟む事が可能になったのだ。


「よっしゃ! これで、この道は俺達の領土だぜ!」


 竜二の言う事は正しく、親分のエリザベスちゃんのウンコを失った犬達は、まさに負け犬の遠吠えと「ううううう」と何もできずにいた。


 が、その時。遠くから聞き覚えのある毒ボイスが聞こえてきた。


「貴様らぁぁぁ! 俺のシャバで何してんだぁぁ!」


 さっきまで歯の隙間からヨダレを垂らしていた犬達が、その声を聞いた途端、道の隅に跪いた。そして道の隅でヨダレを垂らした。


 エリザベスちゃんだ!

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