第69話 渡辺と水を差す人々


 そして翌日の朝。

気合い充分の渡辺は電撃町へとやって来た。その凛々しい顔つきが、一縷の油断も無い事を示していた。

 蓬田と竜二も、壺を片手に朝日を浴びているリーダーの姿に惚れ惚れした。この男が負けるところを想像する事は難しい。今回の渡辺は本気だ。


が、敵とはオルガンのように予想のしないところから現れる。


「渡辺、逮捕だ」

「いや。ちょっと待って下さいよ! 警察さん」


男が人生をかけて挑む戦いに、心無く足を引っ張る奴は何処にでもいる。渡辺ほどの男になれば、敵は目の前だけではないのだ。


 今、確かにエリザベスちゃんとの戦いの火蓋が切って落とされた。それは間違いなかった。

渡辺が、まだエリザベスちゃんがいない間に、数本の電柱を自分の縄張りにして好スタートを切った矢先、パトカーのサイレンを鳴らして警察という名の悪魔がやって来たのだ。

 そして、車を降りて渡辺と目が合うや、開口一番に「渡辺、逮捕だ」である。「おはよう」の一言も「良い天気だね」の挨拶も無いのである。


「おい、警察! 渡辺のどこが犯罪だ! 警察だろうが、やっていい事と悪い事があるぜ!」


 竜二が渡辺の前で盾になった。


 渡辺に悪意はない。今の渡辺にはエリザベスと言う男しか目に入っていない。メスだけど。

『相手と同じ土俵に上がって倒す』


 これはブックオフ金田のときから通して来た、渡辺という男の醍醐味だ。地元の漁師の人しか知らない、渡辺の美味しい部分の一つがこのバカ正直なところだ。

 エリザベスという犬に合わせ、渡辺はあえて身に纏っていた甚平を駐輪場のプレハブで脱いだ。アフリカから届いた風が渡辺の陰毛を揺らす。この風はきっとライオンの鬣を揺らしてマッドセガール市に辿り着いたのだろうと、渡辺は思った。

 しかし、相手のウンコに渡辺の在庫が間に合わない。さすがに街の平和を守るほどのウンコをする訳にはいかなかった。そんな事をしたら、渡辺の肛門は脱いだ靴下みたいにひっくり返ってしまう。

朝、検便を行っているマッドセガール市内の小学校に「ウンコを貸してくれ」と甚平姿の不審者が来たという情報がマッドセガール市警に届いたらしいが、それは今は関係ない。

 ちゃんと首には首輪とリードをつけ、蓬田に引っ張られながら四つん馬で歩く渡辺。小学校にウンコを断られたので、蓬田と竜二にコンビニで味噌を買って来て貰った。エリザベスには悪いが、ここは我慢していただき、渡辺はヘラで味噌を電柱に塗って行く事にしたのだ。


「酒粕はないのか、酒粕は!」


 渡辺は電柱に味噌を塗りながら、蓬田と竜二に文句を言った。その姿が左官職人そのもの。酒粕用意しとけ!

 まるで、最愛の娘に作るクリスマスケーキのデコレーションのように、渡辺は電柱に味噌という名のウンコを塗って行ったのだ。


「これの何が犯罪なのかね!」


 渡辺は、竜二の後ろから、スライディングをしたら審判にイエローカードをもらった欧米のサッカー選手並のオーバーリアクションで警察へ訴えた。


「近所の人から通報が来たんだよ。『全裸で文句を言いながら電柱に味噌を塗っている変態がいる』って通報があって来たら、お前らが全裸で味噌を電柱に塗ってたんだよ!」


 警官からそう言われ、「凄い変態がいたものだ」と渡辺は驚いた。


「全裸で文句を言いながら電柱に味噌を塗る。だと!」


渡辺は目を見開いた。なんだ、そいつ! 正気の沙汰とは思えない!


「蓬田、見た?」

「いや、そんな変態いたら気付くだろ?」


 渡辺は「見てないって」と警官に返事した。「つーか、とっとと捕まえろ! 運命の女みたく!」


「お前だよ、ド変態! 鏡見ろよ! 全裸で電柱に味噌を塗って何してるんだよ!」

「え、俺!」


渡辺は改めて自分の姿を見下ろした。

ああ、俺だ! 男と男の対決に夢中で変型をしてたので、渡辺には、それが自分がたどり着いた境地の変態だと気付かなかったのだ。

エリザベスちゃんとの戦いの準備を整えるはずが、一歩一歩、変態への道を歩んでいたとは。いやはや。


警官は呆れた顔で手錠を取り出した。


「落ちるところまで落ちたな、渡辺。こんなのは本望じゃないが逮捕だ」

「ちょっと警官さん、用事が終わったら渡辺にはちゃんと服を着せるから、少しだけ勘弁してくれ」

「……頼む。渡辺も本気なんだ。俺が責任を持って服を着せるから」


 警官は頭を下げられるという以外な行動に驚いた。


「一時間後にまた来る。その時に何にも変わって無かったら逮捕だ。いいな」

「ああ、わかった」

「ついでに聞いて良いか?」


 蓬田がここぞとばかりに警官につけ込んだ。


「この辺の糞、なんで警察は回収しないんだよ?」

「あぁ。俺らも手柄立てようと袋持ってここ来たんだけどよ。例の糞だろ。なんか、凄い良い匂いがするらしいんだわ。街の人がその匂い気に入ったんだと」

「良い匂いだと!」


蓬田はこれに驚いた。

 だけど、良い匂いがするなら仕方がないね。


「あと風水的にも最高らしいぞ」


 なら、文句なしだ。

 渡辺は「うんこがあっても大丈夫だな」と安心した。安心したけど、敵だった。


「アフリカオセロチワワ……この街に適応するために進化してたって事か」


 動物のオタの蓬田。しかし、動物は絶えず進化し、蓬田の知能から逃げようとしているのだ。「待ってー」と蓬田も逃げられないように勉強をして、追いつくぞ。


「なるほど、良い匂いがするウンコか……」


 渡辺もこれには衝撃だった。良い匂いとは、とんでもないワルだ。


「俺らも田楽にするか」と絶えず進化を求める渡辺。

「普通に行こうぜ! 渡辺」と竜二が止めた。

「おう」と渡辺。


 ゴミみたいな会話だった。

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