第66話 渡辺とアフリカオセロチワワ
駐輪場の管理室に斉藤の姿があり渡辺達と目が合うと頭を下げてきた。作蔵は今も病院で、生と死と治療費を誰が払うんだ? と言う戦いの最中である。
「作蔵は大丈夫なのだろうか?」
勘違いだったとはいえ、失礼なことをしてしまった以上、少しだけ責任を感じる渡辺であった。
「大丈夫でも、まぁ、もう世の中に楽しい事なんて無いんだろうなぁ」
数秒で己の行いを正当化した渡辺であった。
駅前のアーケードは、早朝でチラホラと犬を散歩させている人達がいた。交番で聴診器をクビに掛けた玉男が事情聴衆を受けていたが見なかった事にした。朝まで山芋。
渡辺は犬がウンコをしているのに注意して、玉男が言っていた言葉を思い出していた。
「ワルをするときにしか殺気を出さない」
うんこを見入れ。
それが今日の渡辺の課題である。うんこを見入れ。何度もいう、ウンコを見入れ、渡辺。
確かにブックオフ金田もそうだった。あれは、渡辺がワルをする現場で働いていただけだ。そして金田がワルをする場で恋をした……それだけだ。
しかし、アーケード街を抜けてもワルモンの殺気を放っている犬は見当たらない。皆、
したウンコを飼い主がビニール袋に入れている。シゲさんの仕事を奪う良いワルだ。
「いるか、渡辺?」
蓬田の問いに渡辺は首を振った。もはや、扇風機をいう余裕すらない。て言うか、「扇風機」がつまらないとやっと気付いた。三日やって、誰も笑わなねぇ。玉男に馬鹿にされ、自分には見分けられないのではないかとちょっと不安になる渡辺であった。
「くそぉ!」
目を凝らして電柱に犬がウンコをしている処を凝視するが、うんともすんとも言って来ない。もう、肛門の奥の奥を見過ぎて、原子を通り越し、銀河系を飛び出し、宇宙の真理に一瞬たどり着いた渡辺だったが、そこにもワルモンの気配はなく、「わしゃ、キクモンじゃ」と宇宙の真理にいた神様に言われ、現世へ帰ってきた。
「くそっ! 見えねぇ!」
渡辺は情けなくて己を殴った。犬の肛門を見て、己を殴る。
アーケード街から、また道を渡り住宅街へと入った。三日前に貰ったシゲさんのウンコマップを頼りに歩く三人。
「三日前のマップなんて、もう役に立たないだろ」と蓬田は言ったが。どういう原理かは不明だが、ウンコマップに示しているウンコの位置に行くと、ちゃんといつもウンコがあるのだった。
「意味がわかんねぇよ。どうなってんだよ! このマップはよ!」
物理法則は無視していて、蓬田は納得がいかない様子だが、ウンコマップは絶対なので渡辺は一安心である。
犬を散歩させている輩は駅前よりもこっちの住宅街の方が多い。
「喜べ渡辺、この辺はウンコ多発地帯だぜ」
竜二が笑顔で言った。「俺はうんこ多発地帯を喜ばないといけない身分なのか」と、ワルモンが見つからず、少しナーバスになっている渡辺は、なんかそれに凹んだ。
しかし、渡辺はここに来て、ある変化に気付いていた。さすがワルの王。洞察力は人並み以上。それは、さっきよりもウンコを拾わずに置いて行く飼い主が増えている事だ。原因の犬のせいで、他の飼い主達の責任感も薄れているようだ。
目の前で犬がウンコをする。渡辺が見る。肛門を見る。飼い主がウンコを拾わずに去っていく。ウンコマップを見ると、そのウンコもちゃんと記されている。蓬田が怒る。
このルーティーンを何度も繰り返す。
しかし、その犬達からもワルモンの気配は感じない。
おかしい。
ウンコを置いて行くのに、なぜ渡辺の直観はピコピコピンとしないのか。なぜワルモンセンサーが反応しない。
「くそぉぉ! 俺には才能が無いのか!」
渡辺は玉男の言葉を思い出し、電柱に頭を何度もぶつけた。
「渡辺、止めろ!」と蓬田と竜二に制止される渡辺。
「……殺気を感じないんだ、全く」
電柱に頭をもたれさせ「ちくしょう」と渡辺は漏らした。
「俺は……辿り着けないのか……玉男ごときでもできてるのに。玉男よりも下なんていやダァ!」
自分のワルの限界を感じ、珍しく真面目に思い悩む渡辺。そりゃ、玉男より下は嫌だ。
渡辺は電柱に頭をつけて泣いた。ワルモンを見つけられない悔しさが二割。玉男以下と言う現実が八割の涙であった。
ウンコを踏んでいた。
「渡辺、うんこ踏んでるぜ」とうんこマップを見た竜二に言われた。汚い。
そんな渡辺の肩に蓬田が手を置いた。
「まだワルモンが現れていないのかもしれないだろ、諦めるな」
「蓬田」
「そうだぜ、お前が見抜けるまで付き合うぜ、俺達は!」
「竜二」
「もう一度、来た道を引き返そう。今度はワルモンがいるかもしれない」
蓬田……。
渡辺の心の奥から熱いモノが込み上げてきた。
「普段は恐いけど、頼もしい手下を持って俺は幸せだ」と渡辺はいい仲間を持った事に気付いたのだ。
「これで、普段優しかったらもっと幸せなのに」とも思った。現状に決して満足しない男、渡辺。
「てか、オルガンオルガンうるさいんだよなぁ」
目の前の幸せにもはや飽きてしまった男、渡辺。
渡辺は涙を竜二のリーゼントで拭いて、鼻水を竜二の学ランで拭いて、竜二のリーゼントから出てるテッィシュで鼻をかみ、また歩き出した。涙の数だけ、強くなった。
「蓬田、竜二、俺の仕事についてきてくれ!」
そう言って、渡辺はまた歩き出した。
すると道の向こうから、三日前にすれ違ったチワワとオバサンが歩いてくるのが見えた。オバサンの方は朝からネックレスやら、前に見たときよりも指輪の数が増えている。渡辺は「人を殺すたびに買ってるのでは?」と疑った。殺し屋だ。
「あら、エリザベスちゃん。あそこの電柱にウンコがしてあるねぇ」
とオバサンが渡辺達が立っている所から一つ横の電柱を指差した。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
チワワの体から突然、強烈な殺気が噴き出して来るのを渡辺は感じたのだ。
そして、チワワことエリザベスちゃんは「ギャアアアアアアア!」という雄叫びを上げながら、渡辺達の一個横の電柱にウンコを放った。しかも「その小さい体のどこにそんなエネルギーが」と思うバーボンのように強烈なウンコを一本。
もはや、「ウンコを出す」という表現では無く「ウンコを拵える(こしらえる)」という響きの方がシックリ来るぐらい立派なウンコであった。藤岡弘、を魔法でウンコにしたら、こんな感じではないだろうか? と思うような立派な一本グソであった。
渡辺が驚いたのはその拵える速さだ。
野グソの難しさを知っている渡辺。たとえ服を着ていない犬と言う事を差し引いても、糞が出て地面に落ちるまでが見えない程のスピードであった。元にエリザベスちゃんのウンコは少しアスファルトに突き刺さっていた。
いかに初速が早いかを物語る証拠である。
「あれは、アフリカオセロチワワ!」
蓬田が声をあげた。アフリカオセロチワワ? 渡辺と竜二は顔を見合わせた。
そうしている間に、エリザベスちゃんとオバサンは、香水の匂いをプーンを漂わせて、渡辺達の横を通り過ぎ、今度は反対の隣の電柱に、またとんでもない一物を捻り出した。
この二本のイチモツのあまりの立派さに、「日本もまだまだ捨てたモンじゃない」と日本の株価が十円上がったのであった。それほどの、もう、この二本でエリザベスちゃんの体よりも大きいのだが「本当に何処にそんな力が」と渡辺は初めて見た糞の天才に足が震えた。頼もしい一本グソのお出ましだ。
そして、両脇の電柱にウンコをしたエリザベスちゃんが渡辺達の方へ歩み寄って来た。
「ちょっとそこ、どいて下さる?」
渡辺がオバサンにそう言われて「え?」と呆然とした、次の瞬間。
「渡辺、早く逃げろ! 挟まれたんだから逃げろ!」
なんで挟まれたら逃げなきゃいけないんだ、渡辺は首をかしげたその時、蓬田の声も虚しく、渡辺は右足に突然、激痛が走った。
「あんぎゃあああああああああああああ! おかあさああああん!」
渡辺が痛みで目を潤ませて見下ろすと、さっきまでカワイく歩いていたチワワが目を血走らせながら、渡辺の足首に噛みついていたのだ。
「どけえええええええええええええええええええええええ! ゴミがぁ!」
犬が喋ったぁ!
犬に突然怒鳴られた恐さで、渡辺は電柱から後ずさりした。
エリザベスちゃんは渡辺が逃げるや「おい、ババァ! この敵の糞を回収だ!」と命令し、オバサンは「はいはい」と渡辺の電柱の下にあったウンコ、渡辺が踏んだウンコをビニール袋に回収した。そして、エリザベスちゃんは、そこにまた馬鹿でかい糞をひねり出し、日本の株価を三円上げた。
「よぉし、次行ってみよう!」と、ついさっきまでの狂犬が嘘の様に、普通のチワワに戻ったエリザベスちゃんはオバサンと共に歩き出した。
あまりの出来事に目をパチクリさせ、渡辺と竜二は顔を見合せた。
なにあれ?
「これはとんでもない強敵だな」
蓬田だけはなぜか滴る汗を拭いている。
「蓬田、説明して欲しいぜ」と竜二。「うん」と渡辺。
「見た通りだよ。今回の敵はアフリカオセロチワワだ」
知ってて当然の様な口調で蓬田は言った。これだからオタクは。
「何で人間の言葉喋ってんだ?」
「だって、アフリカオセロチワワだぞ!」
「いや、意味解んねぇぜ」と竜二。「うん」と渡辺。
「だから、アフリカオセロチワワなんだよ!」
蓬田のテンションが人生で3番目に入るくらいに高くなっていた。
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