第40話 渡辺と泣けるワル
渡辺逮捕本部の刑事達は、ジッと息を殺し、平塚の号砲を待っていた。
「渡辺は予定通り、小林と行動を共にしている。これより、渡辺逮捕包囲網をマッドセガール市に引く」
うおおおおおおおお! 警官の怒号がこだまする。
「俺が捕まえますよ!」「いや、渡辺は俺が捕まえてやらねぇと気が済まねぇ!」「俺は渡辺を捕まえる為の、給料三ヶ月分の手錠をかったんだ!」
マッドセガール市警中の警官が、渡辺という男を捕まえたくて、仕方がないのだ。
・犯罪の精鋭部隊、刑事課。
・道路からタイムパトロールまで、交通課。
・少子化の敵、性犯罪課。
・歯止めをかけろ、少年課。
・たそがれ子作り、中年課
・喪服が綺麗ね、未亡人課などなど。
マッドセガール市警が誇る、一〇八の課の総力を結集させた大祭り。『渡辺が欲しければ唇を逮捕しろ祭り』の開催がここに決定した。
出動前に警官達の士気を高める為、去年、渡辺が世に提案した新しいワル、『泣けるワル』から一つ、『暖かいよ、おばあちゃん』の防犯カメラの映像が上映された。何度見ても感動的なワルで、会議室のアチコチからすすり泣く声が聞こえた。
このワルはF1層からも「犯行動機の歌詞が凄い共感できる」と好評で、やはり渡辺はOLに強いと再確認した傑作であった。
あまりの素晴らしいワルに感激し、涙を流しながら笑っている警官が立ち上がった。
「ああ。おまんさんと逮捕相撲さしたくて、あっしは田舎から出てきんだ!」
その警官は「渡辺を逮捕できる」という喜びに満ちた、いい笑顔であった。
渡辺に憧れて「いつか逮捕したい」と警官になったものもいれば、マッドセガール工業幼稚園でワルを目指すものもいる。これが、マッドセガール市の若手ワル人気ナンバーワンの渡辺のカリスマ性だ。
「言う事は何もねぇ。渡辺を捕まえろ! それだけぁ!」
うおおおお! 平塚の宣言で、刑事達は一斉に掛け声とともに、大会議室を後にした。署長と平塚、二人だけになった。
「ついに、渡辺逮捕の時が来たのですな」
「署長さん、勘違いしちゃ駄目だぜ、大変なのはこれからなんだからよ」
「解っております。しかし平塚警部。私にはこの作戦、家を出て行った息子を連れ戻す様に感じます。渡辺と抱き合った、新しい命を見たあの日を今も寝る前に思い出す事があるんです」
「署長」
「私は今なら、口を大にして言えます。『渡辺はうちの息子です』と。どうか、渡辺を警察に連れて帰ってきてください」
署長は身に着けていたエプロンで涙を拭きながら言った。
渡辺が逮捕されたら「あの子、チラシ寿司が好きだったから、温かいのを食べさせたい」と別室で作って待っているのだという。
「平塚くん。夕飯までに逮捕して来てね」
署長の後押しを胸に、マッドセガール市警四天王、平塚源蔵も出陣した。
渡辺……逮捕されても至れり尽くせりである。
警察で飼っている犬が、署長より渡辺になついているという事実もあった。『渡辺はもう、警察に逮捕されて住んだ方が良いのではないだろうか?』と言っている経済学者もいるほどだ。
廊下を歩いている平塚に、副署長が渡辺に縁談の話を持ってきた。
「この子なんだけど、渡辺にどうだろう? 器量も良い女囚なんだけど」
「知るか!」
平塚は、副署長の持って来た見合いの写真を破り捨てた。何しに逮捕するのやら。
「渡辺の野郎、どんだけ警察に馴染んでんだよぉ!」
平塚は、別の意味で渡辺への憎悪が湧いて来た。
この男。警察四天王の一人、平塚源蔵。過去に善良過ぎて逮捕は不可能と言われ続けた聖人達を幾重にもお縄に掛けたマッドセガール市警刑事課のエースだ。
平塚の正義力は常人を遥かに凌ぎ、ここ最近でも、公園のベンチに座っていただけの市民を、マラソンをしているお爺ちゃんが通り過ぎた瞬間に「お爺ちゃんをベンチで休ませないで、殺そうとした疑い」で逮捕。その後、取り調べの末、ついにはその市民に自白させたのだ。
カワイそうなその市民は、アルカトラズ刑務所をもろパクリして造られた、マッドセガール島の刑務所で「何で僕は、ベンチに座っていたんだ」と今でも自責の念に駆られており、それ以来、二度と何かに座る事は無かったという。
洋式便所でウンコをするときも、結納の時も、床屋でも、バンドでドラムをやる事になっても、新幹線の指定席を予約しても、ずっと立ち続けた。その為、彼のふくらはぎは休む間もなく、ボロボロになってしまい。二度と、ポートボールのディフェンスでジャンプする事は無かったという。
平塚源蔵の驚異的な正義感を伝える逸話は、これでも氷山の一角に過ぎない。
『食い逃げも 平塚いれば 死刑確実』
と、かの有名な松尾芭蕉が詠んだとさえ言われており。悪人の誰もが恐れる刑事なのである。その男がついに、渡辺逮捕に本腰を入れたのだ。
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