イマーキュレイト・ホワイトネス 7

 遠ざかる純白の竜を、にらみつけるしかなかった。グレンは手の動きを止める。


 ジュピターの体力は尽き、飛行速度を上げる術はない。グレンにできることは、このまま二着を確保して、無事にゴールすることだけだった。


 勝てるなどと、何を思い上がっていたのだろう。望むもの全てが手に入るなど、なんて見当違いなのだろう。相手はアウルだ。簡単でないことは、理解していたはずだ。


 ヴォーダンとの差は開くばかり。ジュピターが、じたばたと前後に足を動かす。ここは空だ。蹴り上げる草は生えていないし、掴む土だってない。漆黒の雷は、行き場を失っていた。


「ジュピター、もう、いいんだ。無理するな」


 グレンは相棒へ、静かに呟いた。漆黒の竜は歯を食いしばり、手綱をぐいと引っ張る。


 鬼気迫る顔つきで、ジュピターは見つめていた。純白の竜が、颯爽さっそうと飛行する先頭を。


「ジュピター!」


 グレンは叫んだ。これ以上、無理をすれば海へ墜落しかねない。手綱を引いて、ジュピターの勢いを削ぐ。


 漆黒の竜は、渾身の力でえた。屈辱に塗り潰されたそれは、胸を締めつける切なさで辺りに響き渡った。


 ヴォーダンがゴールを飛び抜ける。ジュピターは、どうにか二着を守り、無事に飛びきった。


「俺のせいだ」


 グレンの肩が悔しさで震える。


「俺の慢心まんしんが、おまえに負けを覚えさせたんだ」


 苦しげに息を吐く漆黒の竜へ、慚愧ざんきを混ぜた言葉を零す。


 相棒だなんて、胸を張れない。ジュピターには、グレード・ワンを勝つだけの実力があった。調子も良かった。相手がどんなに強大だったとしても、もっと、良い勝負ができたかもしれなかった。


 レースでの責任は、ライダーが負うべきだ。


「帰ろう、ジュピター。ジュナにも謝らなきゃな」


 グレンは竜の首をで、手綱を操って砂浜の方へ向ける。


 レースでの消耗が酷い。とにかく、ジュピターを休ませたい。グレンも、ひとりで考える時間が欲しかった。


 しかし、待ち構えていた純白の影が、行く手を阻んだ。


「グレン」


「…………アウル」


 純白と漆黒。勝者と敗者。栄光を掴み続ける者と、落ちぶれ底を見た者。相反する両者が対峙した。


「この結果は、竜の実力差によるものだ。これじゃあ、おまえに勝ったとは言えない。残念だよ、とても」


 アウルの冷めきった声が、グレンの耳を、思考を打つ。


「その竜で、僕とヴォーダンには勝てない」


 アウルは言葉を吐き捨てて、純白の竜の首を観客席の方へ向けた。上空を優雅に舞う彼らに、人々の歓声が巻き起こる。その後ろ姿を、何も言えず、見送る。


 グレンは、ジュピターに滑空の指示を出した。


 砂浜には、レースに出場した竜たちが次々と到着していた。皆、一様にして暗く沈んでいる。


 仕方ないことだ。ヴォーダンの強さを、目の当たりにしたのだから。


「グレン! ジュピター!」


 力の限り、張り上げた声に呼ばれた。視線を落とせば、ジュナが砂に足を取られながら懸命に走っている。グレンは手綱を操り、彼女の近くへと降下した。


 砂浜へ着地し、竜から降りたグレンと、息を切らせたジュナが向き合う。


「グレンっ、あのっ」


「すまなかった」


 唇が紡いだ第一声は、謝罪だった。


 ジュナの顔が悲痛に染まっていく。彼女は何かを言いかけて、けれど、首を振って黙り込んだ。


 ジュナは、たぶん、責めないだろう。他人の痛みを思い遣る、優しい人なのだ。


 だから、彼女が言えないことを、自分が口にしなければ。


「勝てると思ったんだ。まだレースは終わっていないのに、勝てると思って、俺は油断したんだ。俺が悪い。ライダーとして失格だ」


 グレンはヘルメットを装着したまま、ジュピターの手綱をジュナへ預けた。そのまま歩み、彼女を通り過ぎ、控え室へと向かう。


 独りになりたかった。今の顔だけは、彼女に見せたくなかった。慢心ゆえに敗れた男の顔など、誰に見せられるだろう。


 背後で地鳴りのような歓声が鳴った。時代を越え蘇った伝説に、皆が熱狂していた。


 この日、ケイシュレドは沸きに沸いた。ドラゴンレース界に誕生した、新たなスターを歓迎して。

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