イマーキュレイト・ホワイトネス 5

 十二月の第二週。この日、ケイシュレド・レース場で開催されるメインレースは、その年にデビューした三歳の若き竜からナンバーワンを決める戦い、ルーキーイヤーステークスだ。海上コースで行われる、十四キロメートルの短距離戦である。


 天気は快晴。ジュナと飛行したときのような、気持ちの良い冬空が広がっている。


 鮮烈な勝ち方で出場を決めたジュピターは、新竜戦しんりゅうせんとは打って変わって断然の一番人気であった。実力が広く知れ渡ったこともあるが、スプリンターに適した体型であること、若い竜の中では筋骨隆々で体の完成度が高いと評価されたのも一因だろう。


 ジュナに見送られ飛び立って、スタート地点へ降りた途端、皆の視線が突き刺さるのを感じる。断然の一番人気であるジュピターは警戒される存在だ。隙あらば足をすくってやろうと周りは殺気立つ。


 そのピリリとした空気が、グレンには心地良かった。大舞台なのだと実感できる。一流が競う厳しい世界へ、新しい相棒と共に帰ってきたのだと心が躍る。


 各竜がレース準備をする中、グレンはアウルの姿を探した。例の不気味な竜が気になっていた。間近で観察するだけでも分かることはある。できるだけ偵察しておきたい。


 首を巡らせるグレンの視界に、真っ白な影が飛び込んできた。グレンは息を呑み、目を見張る。景色に溶け込まないそれは、だが、絶景を従えてしまうほどに美しかった。


 混じり気がない真っ白さ、陽光を眩く反射する純白。ドラゴンレース、いや、自然界においても珍しい色の竜だ。


 純白の竜は小柄で、ジュピターの半分ほどの大きさではと思わせるくらい細身であった。他の竜と比較しても貧相さが目立つ肢体で、強風にさえ抗えない印象のある、か弱さだった。


 ただ、茶色い瞳で、真っ直ぐに見据える面差しが、聡明さを感じさせた。純白の輝きにおくするところはなかった。


 背に乗るアウルにも気負いはない。ただならぬ雰囲気が、グレンの不安を煽る。


「各竜、配置につけ!」


 レース運営係員の号令が響いた。よく通るそれはベテランの証で、ドラゴンレース最高峰のグレード・ワンに携わる関係者なのだと誇示している。グレンは、アウルとヴォーダンから視線を外した。


「俺たちは、俺たちのレースをする。いいな」


 グレンは漆黒の竜へ声をかけた。ジュピターがハミ部分を強く噛む。調子の良さが根底にある、揺るぎのない自信が伝わってきた。


 調教師は仕事をまっとうした。相棒は厳しい訓練を乗り越え、成長した。ならば、ライダーである自分は結果を出すのみ。グレンは気合いを入れてヘルメットのシールドを下げる。


 スタート位置につく竜たちは、鼻息荒く時を待っていた。気の荒いジュピターも臨戦態勢だ。


 準備が整い、カウントダウンのホログラムが現れる。数字が減っていく。


 グレンは姿勢を保つのに、ぐっと全身に力を巡らせた。肝心のスタート。全ては、ここで決まる。手綱を力強く握り締めた。


 レース開始のブザーが鳴った。各竜、地面を蹴って飛び上がり、トップスピードへ早く到達すべく翼を動かす。歯を食いしばり、苦しさを振り払い飛翔していく。


 猛然たる衝突音を打ち鳴らし、漆黒の雷が地面をえぐった。一歩ごとに凄まじい爆発力を生み、段違いの瞬発力であっという間に抜きん出る。ジュピターは搭載するエンジンがまるっきり違うかのように、他の竜を一瞬で遠くへ置き去りにした。


 体つきから、夏の頃より力が増しているのは想像していた。だが実際、ジュピターの爆発力はグレンの想像を遥かに超えていた。他の竜は追いつけず、太刀打ちできない。対策も何も、実力差がありすぎて話にならない。


 グレンは笑いそうになる。何を心配していたのだろう。レース前から感じていた手応えが確信へ変わる。


 勝てる。相棒にグレード・ワンの勲章を。ジュナに賞賛と後悔の払拭を。好敵手たちへ、帰還の証明を。望むもの全てが手に入る。


 ジュピターは二位以下に大差をつけたまま、崖から海上へ飛び上がった。グレンは風の流れを読みながら手綱を操る。今日は微風で、飛行に影響はない。陸上ほどの爆発力はないが、海上でもジュピターの速さは充分に保っている。


 レースは残り八キロメートル。追いすがる竜はいない。海岸線を飛び、高級リゾートホテルを横目に通り過ぎ、観客たちが待つゴールへ向かう。


 残り四キロメートルを通過した。ジュピターが苦しげに息を吐く。スピードは落ちてきたが、何者も追ってくる気配はない。逃げ切れる。


 念のため、グレンは左から後方を振り返るが、他の竜は視認できないほど離れていた。幾ばくかの安堵が生じる。


 このままだ。このまま、何事もなく。


「どこを見ている!」


 右側から、よく知る声を投げつけられた。驚愕が安堵を連れ去り、身体からだを強張らせる。


 ありえないと思いながら前を向き、今度は右から後方へ顔を向ける。スタート前、脳裏に焼き付いた純白が、すぐ近くまで迫っていた。


 気配がなかった。羽ばたく音もなかった。純白の竜は、いつ、やって来たのか。分からない。そもそも、ジュピターの爆発力に、ついてきたというのか。思考が混乱する。


 グレンはジュピターの首を、必死になって押した。翼が宙を打ち、漆黒の竜は苦しそうな呼吸をしながらも、グレンに応えようとハミ部分を噛み締める。竜の牙から呑み込みきれなかった、よだれが垂れた。


 抵抗叶わず、漆黒の竜は姿勢を崩す。


 ヴォーダンは涼しい表情のまま、ジュピターとの距離を詰めた。至近距離まで近づいたところで、アウルの手元が動く。竜は純白の体を捻り横回転しながら、ふわりと舞うようにジュピターを飛び越えた。


 バレルロール。アウルの代名詞によって、グレンの望みは完全に打ち砕かれた。

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