パシーブ・ディバイン・ドラゴン 7

 ドルドの会社を訪れ、正式にブレイヴアイズを任されたグレンは、帰りにハティア経済地区にあるオートバイ用品の専門店へ立ち寄った。


 グレード・スリーを勝って、手元に入るだろう賞金の使い道を考えたとき、ジュナの顔が思い浮かんだからだ。


 シーラッド夫人宅と竜舎りゅうしゃとの行き来にはグレンのオートバイを利用しているが、専用のヘルメットが一つしかないため片方は竜乗り用ヘルメットを使っていた。グレン自身のヘルメットはあるのだし、買うならジュナのものだと決めて店へやって来たのだ。


 今のグレンがあるのは、ジュナの協力が大きい。感謝の意味を込めて、贈り物をしたいとも思っていた。


「あれ、この前のヒーローじゃねーか」


 入店する直前、からかいの含まれた声をかけられた。振り返れば、紫色の派手なサマージャケットにハーフパンツ姿のコクが片手を挙げながら歩いて来る。


 普段着だろうが、彼は一体、どこで服を購入しているのだろう。安定の派手さである。


「なんだ、グレード・スリー勝ったからって買い物か? この、セレブめ」


 コクは冗談っぽく、けれど嬉しそうな顔で言う。稼いでいるというなら、それは断然コクの方なのだが、彼なりに祝福してくれているのだろう。


 コクの顔を見て、グレンは良案を思いついた。


「ちょうどいい、おまえも付き合えよ」


「へ?」


 頭上に疑問符を浮かべる彼を、グレンはがしりと捕まえる。


「俺より、おまえの方がプレゼント選び得意だろ。サル顔のくせにな」


 にんまりと口元を曲げながら言えば、コクはあからさまな大げささで嫌な顔をしてみせた。


「おいコラ、全国のサル顔に謝れ」


「まあまあ」


 言葉とは裏腹にコクは抵抗しない。グレンは遠慮なく彼を店内へ連行した。


 二人、連れだって、ヘルメットの陳列棚へ向かう。小さめのサイズが集まる場所を前にしてグレンは腕を組んだ。


 プレゼントなんて何年も贈っていない。いや、何年どころか、人生で贈ったのは一度か二度だ。不慣れな上に、しかも相手は若い女性ときた。グレンの思考は混乱の極致を彷徨さまよう。


「ジュナは何色がいいと思う? 女子だから、やっぱりピンクか? ピンクなのか?」


 目眩を覚えながら棚の前を右往左往する。


「おまえな、女子だからってピンクあげようなんて、いつの時代の話だよ。まあ、今でも人気のある色だけどよ」


 コクの哀れむ視線が飛んでくる。


 昔から、彼は人を気遣うのが上手い。自身に対するセンスは最低であるのに、他人に対するセンスでは抜群だった。中でも女性へのあれやこれやは、同期三人の中で一番の器用さを発揮してきたといえよう。


「コク様、お願いだからアドバイスください」


「この、残念イケメンめ。これからはサル顔を敬うように」


 すがりつくグレンの背を、コクは慰めるようにぽんぽん叩く。


 サル顔だろうが、キツネ顔だろうが、タヌキ顔だろうが、助けてくれるならば、なんでもいい。グレンは尊敬の思いを込め、従順に頷いた。


「よし、まずはジュナちゃんのこと、よーく思い浮かべてみろ。欲しい色が浮かんでくるはずだ」


 コクの指示に従い、グレンは記憶を探る。


 細身で目鼻立ちのはっきりした小顔、耳が隠れる程度のショートボブで髪色はダークブロンド。


 久しぶりに再会したハティア・レース場では黒いスーツを着て、大人で勝ち気な性格という印象があった。日々を共に過ごすうち、本当の彼女は、よく笑って、怒って、泣いて、心根の優しい感情豊かな二十歳の若者だと知った。


 強いのではない、強くならなければ生きられなかった。なんとしても守るべき存在だと思った。


 彼女は今、ウォーディ竜牧場で過ごしている。管理している竜はジュピターしかいないから、ずっと付きっきりだ。


 一ヶ月も離れていないのに、もっと長くそばにいないような気がした。空を余すところなく詰め込んだようで、とても綺麗な青い瞳を見ていないのが、不思議で落ち着かない感覚があった。


 青。彼女の瞳の色。


 考えながら、グレンは青色のヘルメットを手に取る。爽やかで空の広さを感じさせるそれは、たぶん彼女に似合う。


 いや、それ以上に、この色を身に付けている彼女を見たい。


「それ、おまえの好きな色じゃねーか」


 手元を覗き込んできたコクが笑いながら言う。


「自分が好きな色をプレゼントに選ぶなんてな、そいつは独占欲の塊だぜ。彼女に自分を想ってほしい、彼女はオレのものだ、ってな」


 コクの言葉を受けて、グレンは慌てて青いヘルメットを置いた。


 独占欲。心臓が強く脈動し、忙しない音を奏でる。心の中で、そんなつもりはないと必死に叫んだ。身体が熱い。


 グレンは片手で視界を塞ぎ、深呼吸して天井を見上げた。まだ、心臓の音は鳴り止まない。


「…………難しいな、プレゼント」


 溜め息混じりに零して、陳列棚へ視線を戻す。そんなグレンを、コクが楽しげに見つめた。


「でも、おまえがプレゼントなんて珍しいな。余程の本気と見た」


 愉快そうに頬を緩めたコクが、生温かい視線を向けてきた。その温さが言い様のない羞恥を掻き立てる。


 グレンは彼から離れ、気恥ずかしさをごまかすのに自身の首裏くびうらへ掌を置いた。


「別に、いいだろ。ジュナは妹みたいなものだからな、プレゼントだって買いたくなる」


 グレンは口調に不機嫌さを滲ませたが、胸中に温かいものが降り積もっていくのを自覚していた。妹。先ほどの独占欲という話より、こちらの方が胸にすとんと落ち着く。


 兄とか妹とか、そういうのも、おこがましいのかもしれない。罪滅ぼしと揶揄やゆされても仕方ない。それでも、彼女のために何かをしたいと思う気持ちは真実だ。自分を奈落の底から引きずり上げてくれた彼女へ、きっと、どんなに感謝したって足りないだろうけれど。


「は?」


 突然、コクが心底から落胆したような、怒りまで含まれているような声を発した。彼の表情には疑問と不可解とが混ざり合っている。


「なんだよ。浸かろうとした温泉が実は冷水で、がっかりしてるサルみたいな顔して」


「オレにもサルにも失礼な例え、やめろ」


 コクは大きな溜め息を吐く。


「あのな、妹だと思ってる相手に、そんな独占欲丸出しの色はプレゼントしねーって」


 厳しさと呆れを織り込んだ声音に、再び、グレンの心臓が大きく鳴り始めた。


 動揺を悟られまいと視線を逸らす。違う、違う、と心の中で叫ぶ。


「いいだろ、妹だと思ったって。それくらい大切にしたいってことだ」


 ウォーディ一家離散の原因は自分にあり、彼女を大切にしたいのは、おそらく罪悪感からだ。己にある責任を少しでも楽にしたくて、彼女が笑ってくれると救われたような気持ちになって。


 そういう自分勝手で醜いものが、恋だ、愛だ、という尊い想いへ繋がるはずがない。しては、ならない。自分の幸せを優先できない。


 コクは、先ほどよりも重く長い溜め息を吐いた。


「おまえらは事情が複雑すぎんだよ。全く、おまえもアウルも、面倒ばっか、かけやがって」


 そう呟いて、目の前にあった黄色のヘルメットを手に取る。


 思いがけない名が飛び出したことに、グレンは首を捻った。


「アウルも?」


「ああ、そうだよ。グレンが戻ってきて嬉しいくせに、あいつに勝ったと思えるまで会わない、だと。意地張ってねーで来ればいいのに。アウルは昔から、グレンに勝つことが最大目標みたいなのあったけどよ」


 コクは棚にヘルメットを戻し、肩を竦めてみせる。


 同期三人の中で、デビューして一番に活躍しだしたのはグレンだった。アウルやコクは最初こそ遅れたものの、徐々に実力が認められ、デビューして数年でグレード・ワンの依頼が来るようになった。


 同期三人が大舞台で、共に戦える。そう心躍らせた矢先、神竜賞しんりゅうしょうの事故が起こってしまった。三人は消化不良の気持ちを抱えたまま、それぞれに人生を歩むことになった。


「アウルが……」


 グレンは過去を思い起こしていた。


 ライダースクール時代から、グレンたち三人は何かと勝負していた。勝ち負けは、どうでもよかった。彼らと競うのがただ楽しく、心が沸き立ったのだ。グレンの技術、その根底には、才能だけでなくアウルやコクと切磋琢磨した日々があった。


 五年前に失った機会が、再び訪れようとしている。ライダースクール時代やデビュー当初に抱いていた高揚感や胸の高鳴りが、また、押し寄せようとしている。


「楽しみだな、レースで会うのが」


 呟いたグレンの口元が緩んでいた。こんなに楽しい気持ちは久方ぶりだった。


「竜バカたちめ。ま、オレも負けちゃいないがな」


 コクは胸を張り、不敵に見える笑顔を形作った。


 それからグレンとコクは二人で、ああでもない、こうでもないと意見を交換しながらプレゼントを選んだ。結局、決めたのはグレンで、青色のフルフェイスヘルメットを購入した。


「女性へプレゼントするときの極意はな、実は男に選択権はねーってことだ。何を贈られたかじゃない、誰に贈られたのかが重要なんだよ、悲しいことに」


 不安になることを言い捨てて、コクはその場を去った。


 グレンは、手に持つ、丁寧にラッピングされた箱を眺める。ジュナたちが竜舎りゅうしゃへ帰って来るのは十一月。これを渡すまでに、まだまだ、やるべきことがある。


 自分はライダーだ。レースで勝たせるのが仕事であり、他にできることはない。


 ああ、けれど、願わくば。


 贈り物を受け取る彼女が、笑顔になりますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る