私のストーカーさん

ふじゆう

第1話 私のストーカーさん

「突然、不躾な願いで、申し訳ないのだが・・・」

 大学の食堂で、友達のトモカとランチをしている時の事だった。

「君をストーキングしても構わないだろうか?」

 見知らぬ男性が、私達の前に立ち、そう言い放ったのだ。その男性は、確実に私を見つめていた。私とトモカは、目と口をポカンと開けている。トモカに至っては、箸で掴んだ唐揚げを空中に止めていた。

「食事中、失礼した」

 まるで、自衛隊のように、キビッと礼をし回れ右をした男性は、スタスタと遠ざかっていった。

「・・・」

「え? え? 何? 今の? ユイカの知り合い?」

 未だに茫然としている私に対して、トモカがいち早く反応した。

「いや、知らない知らない!」

 ハッと我に返り、私は箸を振った。周囲を確認すると、誰も私達を見ておらず、先ほどの奇妙な出来事が嘘のようであった。念の為、もう一度、男性が向かった先に視線を向けたが、それらしき人物の背中はもうなかった。

「え? 何? ストーキングって言った?」

「言ったね。確かに、そう言った。ストーキングを宣言するストーカーって、初めて見たよ。律儀と言うか、真面目というか」

「ストーカーが真面目な訳ないでしょ? 他人事だと思って・・・」

箸を置いて、トモカを見ると、彼女は空中に止めていた唐揚げを口に運んだ。

「あれって、同意の意味で受け取ったよね? きっと」

「はあ? 同意なんかする訳ないじゃん!?」

「でも、否定もしなかった。都合良く解釈するよねえ? だって、犯罪者だもん」

 だって、犯罪者だもん。トモカの言葉が、脳内を駆け巡る。途端に、現実味を帯びてきて、背筋に悪寒が走った。トモカは、素知らぬ顔で、咀嚼を続けている。私が。トモカを睨んでいると、彼女はキュッと口角を上げて、唐揚げを飲み込んだ。

「まあ、新手のナンパか何かでしょ? あいつユイカに気があるんだよ。だから、気を引こうとしたんじゃないの? やり方はともかく、ばっちり印象に残ったね? やるなあいつ」

「全然やらない! 本当に他人事だと思って、適当な事ばっか言って!」

「じゃあどうする? 警察に通報する? 『ストーカー宣言されました!』って」

「・・・言える訳ないでしょ」

 そんな事を言っても警察が相手をしてくれるとは、思えない。何よりも、まだ実害を受けた訳ではない。『殺すぞ!』とかなら、脅迫なのだろうけど、この場合も脅迫になるのだろうか? いいや、お願いされただけだ。きっと、警察に行ったとしても、笑われて呆れられて、追い返されるのが目に見えている。やはり、トモカが言うように、冗談もとい、新手のナンパなのだろうか?

「トモカが犯罪者とか言うから、怖くなったんじゃないの?」

「ごめんごめん! そう言えば、犯罪者と言えば、最近通り魔強盗が頻出してるそうじゃない?」

「そうなのよ! ニュースで見た! 結構、家から近くて、怖いんだよねえ」

「まさか、さっきの奴だったりして?」

 薄々は感じていたけど、トモカは私を怖がらせて楽しんでいる節がある。ジットリとトモカを睨んでやったら、彼女は笑いながら謝り、唐揚げを一つ私のお皿に乗っけた。


 あの奇妙な出来事から、一週間が経過した。最初の方は、常に周囲を警戒していたけれど、何も起こらなかった。視線はおろか、気配すら感じない。あの男性を大学内で目撃する事もない。人相を説明し他の友人に聞いてみたが、誰も心当たりのある人はいなかった。

 すっかり友人達の笑い話のネタにされ、私も一緒に笑い合っていたある日の朝の事だ。

 寝坊してしまい、化粧もそこそこに、大学へと向かっている時であった。突然、スマホが着信した。ラインが届いたようだ。スマホの画面を覗くと、思わず立ち止まった。

『緊急を要したゆえ、人脈を活用し、君のラインを入手した』

 知らない人からのラインが届き、目を大きく見開いた。

『玄関の施錠を忘れている為、至急戻られたし!』

 慌てて踵を返し、家へと戻ると、本当に鍵をかけ忘れていた。やはり、家賃をケチらず、オートロックのマンションに住むべきであった。女性の1人暮らしを舐めていた。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、家がばれている事に気が付いた。閉めた鍵を開け、恐る恐る部屋の中に入ってみたけど、誰もいないし、人が入った痕跡もなかった。カーテンの隙間から外を覗いてみたが、誰も居なかった。感謝の気持ちは微塵もわかず、恐怖に押し潰されそうになった。

 やっぱり、あの男は、私をストーキングしているのだ。外に出るのが怖くなって、大学を休んだ。トモカに連絡すると、学校帰りに家に来てくれて、その日はそのまま泊まってくれた。トモカの提案で、ラインでコンタクトを取ってみたが、返信はなかった。そもそも、既読にもならない。

 それからというもの、あの男からのラインは、たまにやってくる。

『〇〇の講義は、出た方が宜しい。単位取得が危なかろう』

『その道は、通らない方が宜しい。明るい道を通られたし』

『夜更かしは、体に毒なゆえ、安心して早急に眠られたし』

「安心できるか!? お前のせいだ! お前の!」

 夜中に、スマホに向かって叫んだ。叫んでから苦情が来ないか不安が募り、心臓がバクバクいっていた。すると、不安が怒りへと変化して、勢い良くカーテンを開いた。しかし、外は静寂に包まれ、人っ子一人いない。あの男は、確実に私を監視しているはずだ。しかし、あの食堂の宣言から、一度も姿を見せない。忍びの者か、口調から武士か、まったくもって意味不明だ。不安と恐怖を掻き立てられているが、今のところ実害がない。ある意味、このわだかまりが実害とも言えなくもないけど。現段階では、友人に相談をしているけど、相談レベルを上げた方が良いのだろうか?

 例えば、教師とか親とか・・・警察は、少し抵抗がある。だって、何もされていないのだから。されている事と言えば、お父さんばりのお節介だ。


そんな日々が続いたある日、バイトが押して帰りが遅くなった。今日もあいつは、私を監視しているのだろうか? 念の為に、明るい道を通り、周囲を警戒して速足で帰路に就く。ふと、気が付いて、立ち止まり、振り返った。誰もいない。また、歩き出す。やっぱりそうだ。足音が私についてきている。自然と、走り出していた。足音も同じ速度でついてくる。あのストーカーが、とうとう本性を出したのだと、顔が引きつっていくのが分かった。いつ振りか分からないけど、全力で夜道を走り抜けていく。

 懸命に走っていると、前方に煌々と明るいコンビニを発見し、慌てて駆け込んだ。店内には、お客さんは誰もおらず、男性の店員さんが驚いた顔をしていた。

「どうしました?」

「だ、誰かに追われてて!」

 息を切らしながら胸に手を当てていると、店員さんが外に出て辺りを見てくれた。

「誰もいませんね。警察呼びますか?」

 戻ってきた店員さんが、心配そうに私を見ている。そして、商品棚から、水を持ってきてくれて、差し出してくれた。店内で少し休ませて欲しい事を伝えると、店員さんは快諾してくれた。水の支払いを済ませ、イートインコーナーの席に座った。ガラス越しに外を眺めても、怪しい人物はいなかった。呼吸が平常運転に戻ってきた頃、ラインが届いた。無意識の内に、背中がビクッと跳ねた。目を閉じて深呼吸をし、スマホを覗いた。

『のっぴきならない諸事情により、暫し暇をもらう。もう大丈夫なゆえ、気を付けて帰られたし』

 ストーカー男からのラインであった。そのラインを見た途端、何故だか体の力が抜けた。


次の日、全身の筋肉痛で目が覚めた。昨夜は、あれから一時間程、コンビニで待機させてもらってから、勇気を振り絞って帰宅した。あまり長居しても迷惑だろうと思ったからだ。ストーカー男のラインの通り、帰りは何の問題もなくスムーズであった。

 私は、決断した。やっぱり、警察に相談しよう。

 そう決心した矢先に、スマホが着信した。画面を見ると、知らない番号からであった。スマホを耳に当てると、男性の声が聞こえてきた。なんと、警察からで、驚きのあまりスマホを落としそうになった。要件を聞くと、警察署へと来て欲しいとの事であった。訳が分からず、混乱したままで、言われるがまま、警察へと向かった。

 対応してくれたのは、初老の男性警察官であった。

「突然、すまないね。すぐ済むから、少しだけ協力してもらえるかな?」

 小さく顎を引き、物腰の柔らかい警察官の後についていく。小部屋へと案内されると、小窓にカーテンがかかっており、警察官がカーテンを引いた。窓の向こう側も小部屋になっていて、取調室という所だと分かった。刑事ドラマで見た事がある。

「あの男に見覚えはあるかな?」

 警察官が、窓の中を指さした。隣の部屋では、男性が項垂れて、パイプ椅子に腰かけている。俯いていて、分かりづらかったけど、あの男性は間違いない―――ストーカー男だ。

「わ、私をストーカーしてた人だと思います」

「やっぱりそうか。君の事をやっと自供したんだよ。あーくたびれた」

 警察官は、伸びをして、腰をトントン叩いた。

「あの人が、何をしたんですか?」

 恐る恐る尋ねると、警察官が溜息を吐いた。

「最近この辺りで頻出している通り魔強盗を知っているかね?」

「まさか、あの人が、そうなんですか?」

 やはり、犯罪者だったのか? 自然と手が震えたけど、胸の中には、別の感情が湧いていた。恐怖よりも、何ていうのか・・・悲しいとか寂しいとかに近い感情だ。すると、警察官は、小さく顔を左右に振った。

「その犯人を捕まえたんだよ。昨夜ね、その犯人が女性を襲おうとした瞬間に彼が出くわしてね。取り押さえたんだ。お手柄だよ。表彰もんだ」

 警察官は、大袈裟に万歳をした後、肩を落とした。

「まあ、世間話でね。『君はあの時間に、あの場所で何をしていたんだい?』と尋ねたら、彼がこう言ったんだよ。『女性をストーキングしていたのだ。忙しいゆえ、帰って宜しいか?』とね」

 呆れた口調で警察官が言い、私は開いた口が塞がらなかった。まあ、その通りなのだろうけど、馬鹿正直に何を言っているのだろうか?

「そりゃあねえ、犯人を捕まえてくれた事には感謝してるよ? でも、ストーカーしてたって言われて、帰せる訳がないよね? それで、一晩粘って、ようやく君の事を教えてくれた訳。犯罪者捕らえたのが、犯罪者でしたって洒落にならないからね?」

 そうか、昨夜私を追いかけてきていたのは強盗犯で、ストーカーさんが捕らえてくれたのか。もしも、ストーカーさんがいなかったら、私は今頃・・・。

「あの・・・あの人を解放させる事って可能ですか?」

「は? 君は、ストーカーの被害者なんだろ? 良いのかい?」

「え、まあ、被害者っていうか・・・」

 何て説明すれば、良いのだろうか? ストーキングは、確かにされていたようですが、実害がありませんでしたとか? お父さんみたいなお節介を焼かれましたとか? 最終的には、ボディーガードの役目を果たしてくれた訳だし。そもそも、ストーキング宣言を受けましたとか?

 ああ、もう、訳が分からなくなってきた。トモカが言うように、真面目というか、律儀というか。

「私は特に被害を受けていないので、取り合えず大丈夫です」

 取り繕ってみたけど、警察官はあまり納得していなかった。


 警察署を後にして、彼が出てくるのを待った。暫くすると、肩を落としたストーカーさんが、足取り重く出てきた。ストーカーさんは、私を発見した途端に、慌てて駆け寄ってきた。そして、滑り込むようにして、私の足元で土下座をする。

「この度は、ご迷惑をおかけし、大変申し訳ない」

「うん、まあ、もう良いから、顔上げて? 一応、助けてくれた訳だし」

「いいや、ストーカーの風上にも置けぬこの愚行。まことに申し訳ない」

 ストーカーの風上ってどこだよ? 思わず笑ってしまった。

「あの、念の為に聞くけど、ストーカー行為は、犯罪って知ってる?」

「勿論だ! 全て覚悟の上だ!」

 ああ、もう、いいや。面倒くさい。このままだと、切腹しそうな勢いだ。

「はい、もうお終い! 謝るのも禁止!

 私は胸の前で手を叩いて、笑みを浮かべた。そして、小さく咳払いをする。

「えーと、その、取り合えず、立ち上がってもらえる? 皆、見てるし」

 周囲には、ちょっとした人だかりができている。奇異な目を向けられ、非常に居心地が悪い。

「重ね重ね。大変申し訳ない!」

 ストーカーさんは、大声を上げ、額を地面にぶつけた。マジで勘弁して。深い深い溜息をついた。

「あのね、その・・・付き合うとかは、無理だけど・・・こんなまどろっこしい真似しなくてもさ、友達くらいになら、なってあげても良いよ?」

 しどろもどろで、顔を背けながら言うと、ストーカーさんは、スッと立ち上がった。そして、私の顔を見つめ、右手の手の平を向けた。

「いや、それは、結構! それでは、御免!」

 ストーカーさんは、最初に見た綺麗な回れ右をして、スタスタと歩いて行った。茫然として、その背中を眺めている。そして、我に返った。

「は? 何? 何? え? 断られた? 超恥ずかしいんですけど!?!?」

 熱を帯びた顔を隠しながら、私は逃げるようにその場を去った。

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