トンネル計画

 龍神のたたりが信じられたかどうかはわからないが、政府の中に、


【川の上じゃなくて下ならどうだろう?】


 という意見を提案するものが出てきた。


 今まで何十年も物流やひとの流れを支えてきた大動脈が突然消え、それが現在も途絶えたままというのは大きな損失である。なんとかしてそのルートを再建できないものかという検討は幾度もなされてきた。


 川の上で何かをすると駄目だということなら、川の底を通すのなら大丈夫なのではないかという希望的観測である。もしもそれが完成すれば、千葉から東京への直通ルートが再開され、今まで他の路線へ分散されていたものがもとに戻れば、飛躍的な経済効果につながると目された。


 国道14号線の断絶が無くなれば、そこ経由でバスの運行が可能になり、総武線にしても京成電鉄にしても駅と駅の間のバス輸送が格段に時間短縮になることが期待されるため、鉄道トンネルよりも道路を最優先することが決定された。


 最新のシールドマシンによる川底トンネル建設が始まった。江戸川区側と市川市側の両方から掘り始めたが、もとの市川橋であれば400メートル足らずのところを、トンネルになると勾配の関係でさらに距離が必要になり、総延長は1キロを越えることになった。


 最初に江戸川の橋が3つ消えてから8年が過ぎていた。僕は江戸川トンネル建設に関わるゼネコンに就職が決まっていた。


 なんとなくではあるが、時代は建設ラッシュで企業からの需要は引く手数多(あまた)であり、もともと僕は江戸川が好きで、こんな僕でも誰かの役に立ちたくて、彼女にも会いたくて、そして、あの伝説の真実を知りたくて。


 優先的に配備された最新のシールドマシンたちは効率よく働き、掘削は予定よりも早く進んだ。耐震設計も組み込まれ、漏水対策も充分なものが施された。


 新卒1年目の秋、江戸川トンネルはついに完成した。暫定的なものではあったが、片側2車線の対面通行、将来的には同じ規模のものを併設し、それぞれを4車線の一方通行として運用する予定であった。


 開通式の日、江戸川の川面は静かだった。霧も無く、清々しい風がさざ波を立て、赤トンボが飛んでいた。


 橋や渡しの時のようなことは何も起こらなかった。龍神は今度は怒らなかったようだ。


 小岩駅と市川駅を結ぶ、橋消失後最初のバスがトンネルを無事に通過したことを確認し、お祭騒ぎのような盛り上がりを見せたのを、まるで昨日のことのように僕は思い出す。みんな笑顔だった。

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