第37話王女16

 

 ——王女——


 ヴィナートから必死になって逃げ、生きて帰ることのできた私たちですが、帰っておしまい、というわけにはいきません。

 当然ではありますが、国の代表として送り出したものが返ってきたのだからそれなりにやらなくてはならないことというものがあるのです。


 今私が置かれている状況はその『やらなくてはならないこと』の一つで、送り出した国王との謁見でした。

 この辺りは流石に娘と言ってもしっかりとしなければなりません。貴族や王族は格式を大事にするため、平民達のように「帰ったよ」「おかえり」では済まないのです。

 正直なことを言えば、そんな儀礼や式などは無駄でしかないと思いますけどね。


「此度はよくぞ戻ってきた。それも彼の国に対して十年とはいえ停戦を取り付けるなど、望外の成果であったぞ」

「ありがたきお言葉です、国王陛下」


 親子にしてはよそよそしすぎる会話。けれどこれが私たちにとっての普通です。『王』と『王女』なのですから、それも仕方がないことでしょう。

 ……そうでなくても、私は『この人達』に対して親しくすることなどないでしょうけれど。


 けれど、それは向こうもわかっていることのはずです。私たちの関係を、それから今までの対応を考えれば当然でしょうから。


「ですが、それも私を守り、ここまで届け切った騎士や兵たちの力があればこそのこと。彼らが身を投げて戦ってくれたからこそ、私はこの国まで戻ってくることができたのです。どうか彼らにも褒美を与えてください」

「うむ。残った者達にも倒れた者の家族にも、できる限りの褒美を出そう」

「願いを聞き入れていただき、誠にありがとうございます」

「よい。国のために戦ったものを讃えなければ、それは国の恥となってしまうのだから、もとよりそのつもりであった」


 そうして『王』と『王女』の会話は途切れると、お父様は座っていた椅子に体を預けながら小さく息を吐き出し、口を開きました。


「ともあれ、彼の国では問題もあったようだが良くやった。旅の疲れがあろう。ゆっくりと休むといい」


 その言葉はどこか柔らかく、それまでの王としての言葉とはわずかに違って聞こえたような気もします。

 労い、でしょうか。それがただの形式的な言葉というだけではないように感じられますが、それはまだ私がこちらに帰ってきたばかりで疲れているからでしょう。


 だから、お父様が普段よりも優しげな表情をしたように感じるのも、きっと気のせいでしょう。


「はい」


 それだけ答えると謁見は終了となり、私はその場を離れて自室へと戻りました。


 部屋に戻って椅子に腰を下ろしましたが、おそらくはこのまま終わりとはならないでしょう。


 その考えが正しかったのだと証明するかのように、それから数分もすると部屋のドアが叩かれ、外から声が聞こえてきた。


「王女殿下。陛下が執務室へとお呼びです」

「わかりました。すぐに向かいます」


 休めと言ったはずなのに行なわれた呼び出し。けれどそれは初めからわかっていました。できることならば外れて欲しい予想ではありましたが。


 私はこの後のことに簡単ながら思案を巡らせると息を吐き出してから立ち上がり、王の呼び出しに応えるべく歩き出しました。


「来たか。すまぬな。休ませてやりたいというのは本心ではあるのだが、その前に聞かねばならぬことがある」

「はい。わかっております」


 王の執務室についた私は笑顔でそう言ったものの、その答えに何を思ったのかお父様はわずかに眉を寄せました。


 けれどそれも一瞬のことで、すぐに表情を元に戻すと私のことを見つめて話し出しました。


「それで、向こうでは何があった? 早馬によって簡単なものなら報告を受けているが、詳細は来ていないのでな。話してくれぬか」


 詳細が来ていないと言いながらも、すでに知っているでしょう。何せ私と共にきた者の中には国王直属の部下がいるのですから。


 そもそもが私の護衛騎士や側仕えだって王からの命があって私に仕えているわけですから、王から何かを聞かれれば全て答えることとなったでしょう。


 だから、私が本当に信用し、信頼しているのは『アラン』だけ。


「はい。まずは——」


 ですが、すでに知っているだろうと思っているとはいえ、王からの言葉であれば断ることはできません。


 なので私はこの城を出立してからのことをおおまかに話していきます。……なんでも素直に、とはいきませんが。

 何せ、私には話すことのできない秘密があるのですから。


「——ふむ。なるほどな。そのようなことがあったか。危険な旅であったであろうに、よくぞ戻ってきた。先も言ったことではあるが、良くやった」

「ありがとうございます」


 私が話終えると、お父様は鷹揚に頷きながら先ほどの謁見時に続きもう一度労いの言葉を私にかけました。

 けれど、話はそれで終わりません。


「……時に聞きたいことがあるのだが、戻ってくる時に精霊の森を通ったとのことだな」

「はい。私の独断で願いを一つ使ってしまい申し訳ありませんでした」


 ——きた。

 そう思っても顔や態度に出さないように気をつけながらも黙っているわけにはいかないので、言葉を選んで話すしかありません。


「ああ、それはいい。その必要があったことは理解している。この書を持ってきただけで願いを使う価値はあった」

「ありがとうございます」

「うむ。だがな、詳細は知らぬが、その時に例の森の主から何やら言われたと聞き及んでいるが、それについてはどうなっている?」


 何やら、などと言っていますが、これだって何を言われたのかはっきりと知っているでしょう。


 その上で問いかけているのです。何か知らないか、と。

 それはつまり、私を疑っているということ。


 疑っていると言っても、まだ何をしようとしているのかは分かっていないでしょう。ですが、〝何か〟をしようとしているのではないか、もしくはすでにしているのではないか、くらいは思っているはずです。


 事前に『設定』は考えておきましたが、それで騙し切れるかどうか……相手は父親といえど一国の王。そう易々とはいかないでしょう。


 けれど、それでも誤魔化し切るしかありません。なぜあの森の主である妖精が私に対して吐きつけた言葉の意味、それがバレてしまえば私の願いは止められてしまうでしょうから。


「……無用な混乱を招かないために他言無用と命じたのですが……」


 ひとまずは仕方がないとでもいうかのように苦笑いをして小さく息を吐きながら間を挟みました。ここではこうするのが〝何も知らない私〟らしい行動でしょうから。


「私が命令して聞き出したのだ。そのことについては咎めるでないぞ」

「……そうでしたか」


 元々国王直属の者まで黙らせておくことができるとは思っていなかった。だからこうなることも想定内でしかありません。


 ……口の中が乾いていくような気がしますね。

 ですがそれでも、見た目の上では問題ないでしょう。笑うのは得意なのです。これでも『王女』ですから。


「それで? 森の主になんと言われ、その言葉の理由を知っているのか?」

「……森の主からは『穢らわしい』と」

「理由は?」


 そう問いかけたお父様の声音はそれまでと変わらない者でしたが、目はわずかに鋭く私を見つめていました。


 こうして問いかけられた時、本当なら目を逸らすのは悪手なのでしょう。

 けれど私は、あえて目を逸らしました。この場ではそうすることがいいと判断したからです。


 目を逸らして唇を軽く噛み、気まずそうな表情を作ってからもう一度お父様へと顔を向けて、そうしてからやっと口を開いて『説明』を始めました。


「……おそらくは、私のやっていることと関係していると思います」

「お前のやっていること?」

「はい。私が浄化の祈りを行なっているのはご存知でしょう?」

「ああ。処刑した者の首を集め、それに術を施し怨念の浄化を行う。それによって死者を糧とした死霊系統の魔物が街の付近では発生しなくなる——そう説明を受けたはずだな」


 それは表向きの説明。当初はお父様も疑っていたけれど、実際にその効果としては間違ってはいません。事実、ここ数年は街中に死霊系の魔物が出たという話は一件もありません。今までは月に一度は最低でも聞いたはずなのに、です。


 それによって私のやっていることに納得したのでしょう。以降はアランを処刑人としてつけることを承諾してくださったり、罪人の首を集めることに協力してくださいました。


「はい。ご存知のように、死者の穢れは魔物を呼び寄せます。それも、魔物の中でも特に厄介とされている死霊系統の魔物をです。そして殺された者ほどそんな魔物達を呼び寄せ、発生させる強い穢れを放ちます。ですので、私はそんな処刑されるほどの罪人の放つ穢れを集め、浄化し、魔物が集まらないようにしているのですが……一つ、問題があったようです」

「問題だと?」

「はい。私としても半信半疑、というよりも僅かな違和感程度なものでしたが、どうやらただの疑惑ではなかったようです」


 そこで一旦言葉を止めると、私は小さく息を吐き出してから緩く首を振り、困ったように笑って答えました。


「例えるのなら、火にゴミを焚べたとしましょう。そのゴミは燃えて無くなりますが、完全に無くなるわけではありません。灰や燃え滓となって残り続けるのです」

「……待て。今そんな話をするということは……もしやお前の中に……っ!」


 突然話を変えたというのにお父様はしっかりと私の言いたいことを理解してくださったようで、それまでの落ち着いた態度とは違って少し慌てた様子で身を乗り出しながら私を見つめてきました。


「はい。おそらくは、ではありますが。術の中心となっていた私に集まった穢れは浄化され、けれど完全には消えなかったそれが私の中に溜まっていったのかと」


 私の中に溜まっている、という話は本当です。けれど、その穢れが溜まっている理由は違います。


「ですので、ご安心ください」

「……安心だと?」

「はい。これは私だけにかかっている特殊な状況であって、王家の穢すものではありません。お父様や次期王となるお兄様方、そしてお兄様の子供らはなんの問題もなく彼の森の主に願いを聞き入れていただけることでしょう」

「……そのようなことを、心配しているわけではない」


 目の前の机に肘をつき手で顔を隠しながらそう言ったお父様に対して、悲しげに微笑んで見せます。


 けれどそうして微笑みながら見たお父様の姿は本当に悩んでいるようで……いえ、そんなことはありませんね。あるとしても、それは1時の気の迷いのようなもの。この人が……この人たちが私のことで悩んだり悲しんだりするなど、あるはずがないのですから。


 だって私は、いらない子のはずですもの。妾から生まれた私は王女といえど望まれて生まれたわけではありませんでした。

 それ故に私は誰にも望まれず、誰にも求められず、いらない子として生きてきました。ただ一人の例外を除いては。

 だからお父様が私に何かあっても悲しむなんてことがあるはずもなく、あったとしてもそれは『私』ではなく『王女』へのものでしょう。

 だからこそ私は——。


 ……いえ、今はそんなことよりも先に進めましょう。この流れなら、話を逸らすことは無理ではないでしょうから。


「それに、この状態も悪いことばかりではありません。この穢れを宿してからというもの、人の悪意というものを理解することができました。誰かが負の感情を抱いていれば、それを察知することができるのです。それは今回のヴィナートで役に立ちました」


 それも本当のことです。私の行っていることとアランとの繋がりによって、私は他人の悪意が認識できるようになりました。それは対人においてとても有利なことです。


 王であるお父様ならこの有用性を理解できるでしょう。


「お前の体は、なんともないのか?」


 けれど、お父様はそんなことよりも私の体の心配を口にしました。

 おかしいですね。今更、そんなことを言われるはずがないのに。この人が、私のことを娘として扱うはずがないのに。


 だって、今まではそうだったのですから。


「はい。むしろ以前に比べて丈夫になったくらいです。……変異した、とも言えるかもしれませんが」

「っ——!」


 あえて私は『変異』という言葉を使いました。そうして新しく考えることを増やすことでお父様の意識を最初の『妖精の言葉の意味』から遠ざけるためです。


 するとお父様は私の思ったように驚き、目を見開きました。


「そういうわけですので、申し訳ありませんが政略の道具としては使い物になりません。そのことにつきましては今まで隠していたこと、申し訳ありません。ご心配やご迷惑をおかけする事になりますが、私の結婚につきましては——」

「そのようなことを心配しているわけではないと言っているっ!」


 その突然の怒鳴り声に、私は思わず言葉を止めて目を見開いて驚き、それから数秒ほど頭の中にあった言葉や考えが消えてしまいました。


「……すまない。だが、私はそんなことを気にしているわけではないのだ。ただ……」


 お父様はそこで言葉を止めるとより一層厳しい表情をして息を吐き出しました。

 まさか怒鳴られるとは思っていなかった私も、そこでようやく正常な思考に戻りましたが、それでもまだ驚きが抜けません。何せ、こうして怒鳴られるなど初めてのことでしたから。


「……お前とはこれまでさほど話してくることはなかった。確かにこの国の立場を考えれば忙しくはあった。あったが、子に接するくらいの時間は取れたはずだ。だがそれをかまけ、使用人達に全てを任せていた私は父親としては失格なのであろう」


 俯いたまま重々しくそういったお父様は、そういってから顔を上げると私のことを真っ直ぐに見つめてきました。


「辛くは、ないのか?」


 ですが、その表情はこの部屋に入った時にあった鋭さのようなものはなく、いつもより老けて見えました。


「痛みや苦しみといったものはありません。それに、これは私がやらなければならない事であり、私のやりたいことでもあります。ですので、私はこれからも祈りを続けます」


 痛みなどがないのは本当ですし、あったとしても今更やめるつもりにはなれません。


「だがそれでは……」

「お父様もわかっておいでではありませんか? 魔物の中でも特に厄介な死霊系統の魔物が群れをなしたら、大変な事になる、と。あれらの厄介な点は、生態そのものもそうですが、何よりもいくら壁を築いたところで壁の内側で発生することです。ですから、色々と処理方法については悩んできたのではないですか?」

「それは、そうだが……」


 魔物に襲われないようにと街は壁で囲ってありますが、それは外から攻めてくる魔物に対してのみ効果があるものです。街の中に発生したものには効果がありません。むしろ逃げることのできない牢獄へと変わります。


 故に街中で生まれた魔物——主に人の悪意などを糧にして生まれる死霊系の魔物は見つけ次第即座に報告をしなければなりません。

 報告を受けるとそれを倒すために騎士や兵士が動くのですが、完全に被害をなくすことはできません。

 そしてそんな魔物による被害は年間で何件も出てくるものです。


 けれど、私がこの街に漂う悪意や怨念を集めているせいで、街の中に魔物が生まれなくなっています。これは国として考えれば今更やめることはできないでしょう。


「それを抑えることができるのであれば、国としてはいいことのはずではないでしょうか? 現に、私が祈りを始めてからの数年間は街中での被害は無くなった、とまでは行かなくともかなり減ったはずです」

「だが、このまま続けていき、穢れが溜まってしまえばお前は……」

「その時はどうなるかわかりませんがもし何かありましたら、申し訳ありませんが——私を殺してください」

「っ——! ……私に、娘を殺せというのか」

「それが王として必要なことであったのならば」


 ですが、そうはならないでしょう。少なくとも、今のところはその予兆はありません。

 それに、私の願いが終わるまでは殺されるつもりなどありませんが。


「——下がれ」


 私の言葉にまともに答えることなくお父様は私に退室を促してきました。


 それを受けて一例してから無言で部屋を出てしばらく歩くと、私は一度立ち止まり先程出てきたお父様の執務室へと振り返しました。


 なんとか、話を誤魔化すことはできました。けれど……


 目を閉じると先程のお父様の顔が浮かび上がる。


 けれど、私はそれと同時に出てきた考えを振り払うようにして頭を振ると、再び歩き出しました。

 何があったとしても、私は止まるわけにはいかないのです。


 それに……今更遅すぎます。

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