Amazonから作家を守る会(仮)会報

星零一

「ポロロッカ」にみるアマゾン的な評価基準の問題点

「ポロロッカ」と聞いて、あなたの頭には何が思い浮かぶだろうか?


地理に強い方には「ブラジル、アマゾン川」といった言葉が、あまりそうでない方には「眼鏡をかけた男が、早押しボタンを叩く姿」が浮かんだのではないかと思う。


ポロロッカとは「潮の干満によって起こる、アマゾン川を逆流する潮流」である。ブラジル北部に位置するパラ州では1999年以降、毎年ポロロッカを利用した波乗りの大会が開催され、各国のサーファーが訪れている。


とまぁ、上記の説明はさっきWikipediaで調べた知識で、私の脳裏に浮かんだのも、後者の「眼鏡をかけた男が早押しボタンを叩く姿」だった。


現在、YouTubeで「ポロロッカ」と検索するとこの後者の映像、つまり『史上最強のクイズ王決定戦』において、問題読み上げ開始から0.9秒(アマゾン川で……)で

正解「ポロロッカ」を叩き出すクイズ王・西村顕治氏の雄姿を観ることができる。

この映像は冨樫義博の『幽☆遊☆白書』や空知英秋の『銀魂』においてもパロディ化されており、アニメーションでこのシーンを思い浮かべた方も多いかもしれない。


しかし、今回言及する「ポロロッカ」は、上記のどちらでもない。いわば第三のポロロッカ、「Amazonベスト1000レビュワー」のポロロッカ氏である。


普段からAmazonを利用して小説を購入する方であれば、この名前に見覚えがあるかもしれない。なにせこの「ポロロッカ」氏、今日までに1,748件のAmazonレビューを投稿している。そのうちの多くが、小説を対象にした低評価なのだ。


ここで私の正体を明かそう。

私は、とあるレーベルから小説を出版し、発売早々「ポロロッカ」氏にAmazonで低評価レビューをぶち込まれ、一度も重版がかかることなく筆を折った元作家だ。


「なんだ私怨か」と思われた諸君には「その通りだ」とお伝えしたい。

この文章を自分に書かせている力を分析した場合、その八割強が「怨念」に占められているという調査結果が出るはずだ。ただ同時に、一割弱の部分を細かく見てみると、わずかに「義憤」という文字が読み取れるかもしれない。


自分だけのことであれば、この気持ちは胸にしまって、今後も夢破れた後の人生を粛々とこなしていくつもりでいた。

だが、作家を辞めた後も、自分の好きな作家の小説(特にミステリ)を購入しようとすると「ポロロッカ」氏のレビュー、それも物語の展開のほぼすべてを明らかにした低評価レビューが入っているという状況を一度ならず経験したことで、同じく忸怩たる思いを抱いている方がいるのではないかと思い、今回、筆を執らせていただいた。


これは最近気づいたことだが、「ポロロッカ」氏は新しく発売された小説に真っ先にレビューを入れることを生き甲斐としているらしく、(冒頭で紹介した早押しクイズの「ポロロッカ」場面が名前の由来なのかもしれない)それほど知名度の高くない著者が書いたミステリやライトノベルの中には、発売してすぐにポロロッカ氏に低評価レビューを入れられ、以降Amazonの深海を漂っている作品が少なくない。


そのレビューの内容が正当で文句のつけようがないものであれば、わざわざこんな文章を書こうとは思わない。問題は、ポロロッカ氏のレビューが誰にでも目に付く形で物語の核心に触れてしまっていること、そして、そのレビューの膨大な「量」によって、Amazonに「ベストレビュアー」として評価されていることだ。


私は、現在のAmazonレビューには、大きく分けて二つの問題があるように思う。

一つ目の問題は、レビューの信頼性を「量」で判断しているという点。

二つ目の問題は、「星」の存在が世間と個人の評価を誤解させているという点だ。


まず、一つ目の問題について詳しく見ていく。

レビューの「質」を判断するというのは、実際、非常に難しい行為だ。

広告論などでよく引き合いに出される英語のことわざに、以下のようなものがある。


The proof of the pudding is in the eating.

プディングの味は、食べてみなければ分からない。


小説のAmazonレビューについても、これと同じようなことが言える。

「小説レビューの質は、その小説を読んでみなければ分からない」ということだ。

これはごく当たり前のことなのだが、現代ではよく見落とされている。つまり、ある小説に低評価レビューがつけられている場合、その事実だけを見て小説が低レベルなものだと決めつけられることが非常に多く、そのレビューが本当に小説の内容を的確に評したものかどうか、実際に読んで判断するユーザーは非常に少ないのだ。


アマゾンは秘密主義のため正確なところは不明だが、公開されている情報を見る限り、Amazonのサイトではそのレビュアーがどれくらい信頼できるかを「参考になった」ボタンの投票数で判断するアルゴリズムを採用しているように見える。

だが、昨今中国の仲介業者による「やらせレビュー」が大きな問題になったことからも分かる通り、「参考になった」の投票数というものは比較的簡単に操作でき、「やらせ」ほどのことを行わずとも、レビューの投稿自体を大量に行えば、得られる「参考になった」の票数も自然と底上げすることができる。


ここで改めて問いかけたいのが、「レビューを大量に投稿しているからといって、その人物は優れたレビュアーと言えるのか」ということだ。

一度しか投稿していないが的確な評価を行っているレビュアーもいれば、千回投稿していてもその大半が的外れなレビュアーもいる。それでも、現在のAmazonのアルゴリズムでは、後者の方が「優れたレビュアー」として評価される可能性が高い。レビューを量で評価するという行為は、こうした問題を孕んでいる。


次に、二つ目の問題について見ていく。

私たちがAmazonで商品を見る際、まっさきに目に留まるのが「星」の数だ。

Amazonで検索を行った場合、商品の情報は、


1.タイトル

2.著者名

3.評価(星)

4.形式(kindle、文庫等)

5.値段


という順序で表示されるようになっており、この構造からも評価(星)はAmazonにとって値段と同等かそれ以上に重要なものとして捉えられていることが分かる。


"「星」の存在が世間と個人の評価を誤解させている"とはどういうことか。

 その意味を分かりやすくお伝えするため、Amazonで小説を購入することが多かったとある人物、Aさんの行動を例にとって話をしたい。



Aさんは、書籍Bが最近発売になったという情報をネットで知り、Amazonで「B」と検索した。すると現在の書籍Bの評価は「星3」で、その内訳は「星5」と「星1」レビュー1つずつだった。

Aさんは「星3」という評価を見て「この作品の世間的な評価は、高くもないし低くもないみたいだ」と感じた。その後、レビューをひとつずつ見ていくと、「星5」のレビューの方は短文で、そのレビュアーこれまでに行ったレビューの数は二桁に満たないこと、「星1」のレビューの方は長文で、名前の脇には「Amazonベスト1000レビュアー」の文字があることに気づいた。

Aさんは、「Amazonベスト1000レビュアー」のレビューを見ながら、「今月は家計も苦しいし、評価も良くないみたいだからBを買うのはやめよう」と判断した。


翌月、仕事帰りに寄った駅前の本屋で、Aさんは書籍Bが棚差しになっているのを見かけた。Aさんの脳裏には、Amazonの「星3つ」が浮かんでいたが、しばらく本屋で書籍を買っていないことを思い出し、応援のつもりで書籍Bを購入した。

帰り道、電車の中で書籍Bを読みながら、Aさんは不意に涙をこぼしていた。その本の主人公の境遇が自分の子どもの頃とよく似ていて、その物語には、自分が大人になってから失ってしまったものが詰まっているように感じたからだ。Aさんは乗客に不審に思われないよう書籍を閉じると、家に帰ってから大切に読み返そうと決めた。



「この物語は都合が良すぎる」というご批判もあるかもしれない。その声は真摯に受け止めつつ、上記のAさんの行動について簡単に解説する。


 Aさんは、Amazonの評価(星)を自然と「世間の評価」と解釈し、それが低いと世間の評価が低いと考えていた。同時に「Amazonベスト1000レビュアー」のほうがそうでないレビュアーよりも正しい評価をしているはずだと判断し、一度は書籍Bの購入をやめていた。しかし、偶然が重なって実際に読んでみると、Aさん個人にとっては、書籍Bはずっと大切にしたいと思えるほど個人的な評価の高い物語だった。


通販サイトに単にレビューだけが書かれていた場合、人はそれを「個人の意見」と自然に受け止め、「これは世間全体の声だ」と捉えることはそれほど多くないだろう。

しかし「星」という評価方法は、ミシュランがまさにそうであるように、どこか個人を越えた絶対的な評価として受け止められる傾向がありはしないだろうか?


つまりこういうことだ。

「星」という基準には、レビューが「自分と異なる個人が投稿したもの」であることを忘れさせ、「世間の評価」として錯覚させる効果がある。

そして、いくらAmazonにおける「星」の数が低かろうと、自分自身にとって忘れられないような、素晴らしい物語は存在する。


Amazonの二つの問題についての説明を終えたところで、冒頭の問題に戻る。

ポロロッカ氏という個人レビュアーの名前を敢えて挙げたのは、彼がAmazonの価値観を体現した人物のように思えたからだ。つまり、レビューにとって重要なのは質ではなく量であり、その量のためには他のものが犠牲になってもよいということだ。


ポロロッカ氏は、ここ数年「Amazonベストレビュアー」の900位あたりをうろうろとしており、ランキングが下がってきたなと思うと、ライトノベルかミステリにレビュー(大いにネタバレを含む)を投稿する。

この行動は単なる偶然の産物なのかもしれないが、私には、ポロロッカ氏が「Amazonベスト1000レビュアー」の地位を守るために、彼にとっては大して重要でない、しかし作家にとっては命のように大切な物語に対して、極めて雑にレビューを乱造しているように見えた。


私は、どこの誰だか分からない人物が半日足らずで作ったレビューで、何年何か月という月日をかけて作られた物語が「世間的には駄作」の烙印を貼られ、消えていく姿をもう見たくない。


「個人攻撃だ」という批判があるかもしれないが、現代において作家が常に「レビュー」という批評にさらされ続けていることを思えば、こうしてレビュアー側を批評する文章があってもいいのではないだろうか。


ちなみに私は、「ポロロッカ」氏個人が悪人だとは思っていない。彼のような存在を生んでいるのはAmazonのレビューシステムであり、ポロロッカ氏はアマゾンの評価基準に適応しているにすぎないのだ。

そしてそのAmazonのレビューシステムもまた、書籍を手に取って中身を確認するだけの時間的余裕がなく、物語について友人知人と会って意見を交わすような機会の減った現代社会に適合したものにすぎない。


Amazonが世界の通販市場で覇権を握った後、「星」による評価はほぼすべての通販サービスで採用されるようになったが、その今だからこそ、Amazon的でない価値や評価基準について、多くの方に考えてもらえれば嬉しい。拙稿が、その一助になれば幸いである。

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