第21話 林秀貞、唖然とするの事。

【林 秀貞】

林佐渡守秀貞は憂鬱な思いで夜を過ごします。

信長の奇行がまた耳に入ったからだ。


「兄者、よろしいか」

「通具か、如何した」

「良い酒が手に入ったのでな」


そう言って二人で酒盛りを始める。

腹違いの通具は30歳の弟であり、叔父上の通忠と一緒に怪我で戦働きできない父の代わりに所領の稲生を守り、林家を盛り立ててくれている。


「で、話はなんだ」

「沖村と稲生の村人が騒いでおった。若様が奇妙な服を召していたと」

「殿の奇行は今に始まった事ではない」

「兄者はそれを認めるのか」

「認める訳がない。元服を機にやめて頂けると期待はしたが………まぁ、そんな物だろう」

「は、は、は、あれは『うつけ』じゃ。もう治らんぞ」


酒の肴もなしでよく呑めると思いますが当時の酒はにごり酒であり、甘たるい酒だったのです。

50歳くらいで調子がおかしくなるのは、糖尿で病気を患って、痴呆症や器官障害などの病に陥ったのが原因じゃないでしょうか。

甘ったるい酒を浴びるほど飲み続ければ、早死にしますよ。


若かりし頃、武に通じる林家の中で古典・礼法に通じた秀貞は飛び抜けた逸材であり、数多の武将が臣下の誘いに来ていたのです。

そして、同じく才気溢れる信秀は秀貞を誘い、自らの家臣とする事に成功したのです。

信秀は秀貞の事を『我が典韋』と誉めちぎったそうです。

他にも学問・礼法・風流に通じる平手政秀を『我が張良』と召し抱え、多くの才能溢れる者を召し抱えたのです。


御年、信秀35歳、秀貞30歳です。

若い頃から年の近い二人は息が合ったのでしょう。

夜な夜な二人で女の所へ遊び回ったそうです。

それだけの理解者ゆえに、信長の筆頭家老に申し付けた訳です。


「そうもいかん。大殿より任された大任だ。何としても若を一人前に育てねば」

「兄者は苦労性だのぉ」

「おまえにも手伝って貰うぞ」

「それはごめんだ。『うつけ』を見ると殴りたくなる」

「まったく」

「ところで、那古野の普請はいつからはじまるんだ」

「何の事だ」

「村で噂になっている。何でも倍の銭で人を集めるそうだ」

「知らんな」

「そうか」


その話はここで終わった。

通具も興味があった訳ではない。


「でだ。今度はどっちだ。三河か、美濃か」

「おそらく、三河だろう」

「あの山城は落とせんか」

「忌々しいがな」


秀貞と通具がどこを狙うのがいいのかを夜半まで語り続けるのです。

むしろ、この話がしたくて酒を差し入れに持ってきたのでしょう。

戦で手柄を立てて、褒美と名声を得る。

それが武士の本懐なのです。


 ◇◇◇


【織田信長】

秀貞と通具が酒を交わしている頃、私は風呂から上がってやる気を取り戻した忍様と一緒にかぐや姫のふるさとである(京都田辺市の)普賢寺を尋ねていたのです。


「多額のご寄付、感謝が絶えません」

「いえ、いえ、竹を分けて頂く代金の代わりです」

「お好きなだけお持ち帰り下さい」


忍様が言うには、普賢寺は天平16年(744年)に東大寺初代別当の良弁が中興したという古い寺で、この辺りの山の持ち主なのです。

この普賢寺付近はかぐや姫の伝承の地の1つであり、竹細工が盛んな土地と言います。


つまり、この辺りの山々がすべて竹林なのです。


寺には1000貫文の寄付をして、山の竹を採る許可を貰うと、忍様は作業を開始します。


「忍様のこの転移という異能は凄まじいですね」

「山1つの竹林が消えてしまった」

「忍様、凄いです」

「如来様の力じゃ」

「あんた、本当に化け物よね」


若干、褒め言葉じゃないのも混じっていますが、忍様は気分がいいのか気にしません。

倉街の周りが竹林に変り、城から見ても倉街が見えなくなりました。

また、通り道も迷路っぽくして頂いたので、間違って入る者も少ないでしょう。


「そんなに複雑じゃないよ。R300を2つ合わせて、Sの字にしただけよ」

「入って、すぐに倉街の門が見えなければ、それで十分です」

「そう」


倉街の中も少し手を入れて、何でも江戸時代の長屋をベースにした住居街と作業場を瞬く間に造られたのです。

これで人が住め、作業も進められるのです。

随分と遅くまで作業したように思えましたが、忍様曰く、日が変わる前に終わったそうです。

翌朝の那古野城は大忙しです。

倉街から持って来させた手押し荷車に荷を乗せて、長門と飛騨が慌ただしく出てゆくと、じい(平手)がやって来たので説明をして、尼子に送り出します。

残ったのは、右近と弥三郎と千代女の三人だけです。

しかも右近はすぐに飛騨を追い駆けて熱田に出てゆきます。


「信長様と二人きり」

「わたくしもいますが」

「あんたは数に入れてないから大丈夫」

「酷い言いようです。忍様には私も可愛がって頂けるのですが」

「私は信長様以外に興味がないのよ」

「酷い言い方です」


二人でも騒がしいので飽きる事がありません。

忍様より頂いた多くの草紙は担当の者に渡しています。

これからの準備が大変です。

私も少しでも学んで、お役に立てるようにならないといけません。


「信長様、剣の稽古でもしませんか」

「汗を掻いては、待たせる事になるかもしれません。今日は長門がいませんから、それは止しておきましょう。千代女もこちらの草紙を一緒に読みませんか」

「えぇ~~~~、そういうのは苦手なのよ」

「新しい事を学ばないと、信長様のお役に立てませんよ」

「判ったわよ」


そう言って、草紙の山から千代女が取ったのは『48手』という草紙です。

忍が信長を困らせようと、混ぜておいたイタズラ本です。


「うそぉ、こんな体位もあるの?」


千代女は凄く熱心でした。


 ◇◇◇


【林秀貞】

秀貞は那古野城に赴く前に平手邸に寄って行こうと先触れを出しました。

秀貞の屋敷が土岐川(庄内川)を渡った沖村にあり、平手邸は那古野から北2kmほど上がった所(現、那古野の志賀公園)にあります。

つまり、那古野城に向かう途上にあるのです。


明日の評定の事を相談しようと思っていたのですが、朝一番に登城しろと下知があり、すでに登城したと聞いて、秀貞は慌てて那古野城に向かう事にしたのです。


「急な呼び出しとは何でしょうな」

「それを俺に聞くか」

「叔父上しかおりません」

「そういう難しい事は判らん」


秀貞は供の者に叔父の通忠を選びました。

弟の通具では信長を見ただけで罵倒しそうな性格をしているからです。

その点、叔父は寛容であり、忠義に厚いのです。

むっ?


「如何した」

「那古野に続く道とはこんな感じでしたかな?」

「う~~~ん、変わらんと思うな」

「私の勘違いでしょう」


気が付かないのも無理はありません。


那古野城を築城したのは、駿河守護の今川 氏親いまがわ うじちかの子、氏豊うじとよです。連歌を好む風靡なお方であり、那古野城で催される歌会に信秀も参加して知己を結んでいたのですが、信秀は鷹狩りの途中に気分を悪くし、那古野城で介抱して貰う振りをして、兵を入れて乗っ取ってしまったのです。


熱田台地の上に立つ那古野城は他より1段高く、下の低湿地帯に植える木々は天上から見下ろすような優雅な景色になるのです。


その為に那古野城の北と西には広大な雑木林と池が広がっていたのです。

(古い地図では名古屋城の練兵場になっている場所です。)

その雑木林に竹林が混ざったとして、気が付くのでしょうか?


秀貞は稲生街道をそのまま下って那古野城へと入っていったのです。


 ◇◇◇


【織田信長】

秀貞が那古野城に入ると、以前の爛れた感じが消えて活気に溢れているのです。

それもそのハズです。


慶次が手押しポンプを普通の井戸にも設置して貰えないかと忍に頼むと、「自分達で一度作ってみなさい」と竹で作る簡単手押しポンプの絵図面を慶次に渡し、女中や下働きなどで試行錯誤を繰り返しているのです。

他の奉公衆も模倣できそうな便利グッズを制作するようにと、設計図や説明の草紙を渡して無理難題を押し付け、料理人にも様々なレシピを渡して、「できる物から試していって」と気軽に言うのですが、姫様から頼まれた仕事は主命と同じです。

料理人も命を賭けて、新しい料理に挑んでいます。

他にも或る者は信長から倉街に入れる人材の厳選を申し付けられ、また、或る者は新しい普請の絵図面を書く為に奮戦しているのです。

暇にしているのは、信長の側にいる弥三郎と千代女くらいです。


奉公衆が信長に秀貞がお着きになった事を知らせに走ります。


「どこもかしこも忙しそうじゃな」

「活気があると言うより鬼気迫っておりますな」

「戦の仕度でもしておるのか」

「は、は、は、戦ならまず林家に相談に来るでしょう」


鬼気迫った感じはしますが、戦特有の切羽詰る危機感がありません。

どこか笑みが零れています。


居間に通されて待っていると、信長が現れます。

その姿に言葉がでません。


「新五郎、此度は早いな」

「若、そのお姿は如何なされました」

「天女様より頂いた。常にこれを身に纏えと」

「しかし、それは余りに突飛でございます」

「そう思うか」

「はい」

「他言無用ぞ」

「承知」

「これは大殿の命でもある、逆らえん。諦めよ」

「大殿が?」


信長がわざわざ嘘を付く意味はない。

普段から秀貞を意に介さない信長であり、大殿の名を出す意味がないからです。

信長が腰から扇子を取って口元を隠し、秀貞の耳元で囁くのです。


「誰にも言うでないぞ」

「何事ですか」

「儂は姫を預かる事になった」

「妻でございますか」

「そんな生易しい事ではない。とある大国の姫君であられる」

「大国とは如何に」

「言えん。然れど、姫を預かるだけで30万貫文の銭が入る」

「なっ!」

「決して、姫の機嫌を損ねる事は相ならん。父よりの厳命じゃ」

「しかし」

「30万貫文の為じゃ」


秀貞は驚きの余り、体を起き上がらせ、頭を抱えてしまいます。

大殿から厳命だと。

『夢にこそかかることはあれ、夢かと思ひなさんとすれば現なり、現かと思へばまた夢のごとし』

平家物語『足摺』の一文が頭によぎるそれほどの青天の霹靂なのです。


「姫は那古野城の改築を望んでおられる。熱田を結んで、古渡城を廃して、武衛屋敷を造ると意気込んでおられる」

「殿、謀るのならマシな嘘をお付き下さい」

「マシかどうかは知らんが、父上は武衛屋敷を建てる許可を武衛様より頂いておる」

「……………」

「そして、足らんとあれば、さらに10万貫文を届けさせると」

「若ぁ」

「織田は1文も使わずに城を改築できるのだ」

「正気でございますか」

「姫の機嫌を損なわねば、大金が舞い込むのだ」

「その姫は?」

「用があって、外に出たいと言ったので平手のじいに頼んで連れていって貰った」


ここで平手の名が出た事で、秀貞は何となく納得してしまうのです。

確かに、面倒事は平手に任せるに限ると。

秀貞が何度も問い付けてみますが、信長は口を割ろうとしません。

最後に、信長が立ち上ると、後ろに控えていた通忠に言ったのです。


「ここでの話、一切が他言無用だ。破れば、林家の重鎮であっても容赦はせぬ。心得よ」

「承知」


通忠はそう言って、頭を下げるのみです。


信長は秀貞の後から来た大人衆や譜代城主があいさつに来たので、大広間に戻ってゆきますが、その前に台所に向かいます。


「賄方、いるか!」

「はぁ、ここに」

「どうじゃ、幾つかの料理は作れるようになったか」

「わずかですが、てんぷらなど、いくつかの料理はすぐにでも出来そうです」

「そうか、今日は大広間にて皆を楽しませてやりたい。急ぎ、準備いたせ」

「畏まりました」


信長はそう言うと、家臣の皆が待つ大広間に向かうのです。

もちろん、セーラー服にポニーテールのままです。

皆が驚いたのは言うまでもありません。


あいさつを終えた後、後から入って来た秀貞が皆から問い付けられたのは言うまでもありません。

はぁ、何と言えばよいのか。


驚く家臣を見るのも面白いものです。


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