第4話 よきかな、よきかなの事。

【織田信秀】

数名の供を連れて那古野に向かったのです。

そして、長門守の案内で砂金の山に連れられた信秀は目を丸くします。


金27万斤、約70トンの山です。


この砂金があれば、三河・美濃を我がモノにできると心の底がざわつきます。


なんと『天魔波旬の、我が心をたぶらかさんとて言うあらん』と叫びたくなるのです。

(第六天魔王が私の心を試さんしているのだろうか?)


「大殿、よい事ばかりではございません。この金の事を知れば、信長様を襲ってくる輩が這い出してくるのは必定です。擦り寄って分け前を得んとする者も現れましょう」

「と、当然だ」

「何よりも恐ろしい事は天女の意に反した時です。織田家に災いが降り掛かるのではございませんか」

「まさか、亡き者にされるとでも」

「判りませぬ。もしかすると祟りが降りかかるやもしれませぬ。くれぐれも欲に走り、犬を殺す事だけはご自重してくださいますように」

「この愚か者め! 儂を花咲かじいさんの欲張りで乱暴な老夫ではないぞ!」

「申し訳ございません」


こしゃくな奴め、我が心を読んだか!


だが、その通りだ。


欲にかられて怒りを買うのは確かに不味いな。


ふふふ、信秀は思わず、顔を引き攣らせ、笑いを殺して声を上げるのです。


『花咲かじいさんか!』


もちろん、信長のことです。


信秀の近習の者が慌てて長門守を嗜めます。


「岩室、さきほどから黙っておれば、大殿に失礼であるぞ」

「申し訳ございません。某も動揺し、ついつい口にしてしまいました」

「これから気を付けよ」

「ははぁ」


長門守に言われるまでもなく、信秀は様々な事を考えます。


多すぎるのも考えものです。


これだけの金を放出すれば、金の価格が暴落するのは必定です。


しばらくは那古野に留めておく必要があります。




天文9年(1540年)に安祥城を攻略し、天文12年には『小豆坂の戦い』で今川軍と戦って勝利し、返す刀で美濃を追放された守護の土岐頼芸を助けて美濃に侵攻し、頼芸は揖斐北方城に入る事に成功し、信秀も大垣城を得る事に成功しました。


山科 言継やましな ときつぐが尾張に来訪し、その奨めで朝廷に内裏修理料として4,000貫文を献上すると、朝廷の覚えも目出度く、守護や守護代を凌ぐ信秀の威光を確かなモノにします。


信秀は最盛期を迎えていました。


しかし、天文13年(1544年)に斎藤利政(後の道三)の居城である稲葉山城を攻撃し、城下まで攻め込んだのがケチのつき始め、『加納口の戦い』の敗戦から尾張の国人衆が信秀の手腕に疑問を持ち始めたのです。


その信頼を取り戻そうと、三河や美濃を攻略せんと調略戦を仕掛けます。


信長を古渡城ふるわたりじょうで元服させると、那古野城の城主に据え、自らは新しく建てた末森城に居城を移し、本格的に三河への侵攻に備えたばかりなのです。


この大金があれば、加世者かせものを大量に抱え込んで三河に攻め入る事ができます。


矢作川を越えて岡崎城を奪えば、西三河の全域を手中に収める事も夢ではありません。


加納口の戦いの失態を取り戻せる。


信秀がそう考えても仕方ありません。


国人や土豪に見限られれば、没落しか待っていません。


戦国時代は面倒臭いですね!


 ◇◇◇


その頃、私は信長にセーラー服を着せ、加藤弥三朗、長谷川橋介、山口飛騨守などに女着物を着せて、「似合わない」と罵りながら楽しんでいたのです。


藤八は似合いそうだけど、お使いに出したから、また今度だ。


「天界の遊びとは奇妙じゃのぉ」

「はい、男に女の着物を着せる遊びのようです」

「信長様、これでは護衛もできません」

「よい、忍様を楽しませて差し上げろ」

「畏まりました」


砂金の山を見た後に、信秀が那古野城に来るなんて知りませんよ。


使いの者が信長に耳打ちして席を外します。


「これは父上、ようこそお越し下さいました」

「うむ、して、その姿はなんじゃ?」

「忍様より天の羽衣を下賜されました」

「儂の知る羽衣とは、随分と違うようじゃな」

「はぁ、時代が変われば、衣服も変わるのではないかと」

「まぁいい。あないせい」

「ははぁ」


悪ふざけしていた間の悪いタイミングで信秀が入ってきます。


「よいではないか、よいではないか」


小姓に着せた着物の帯をひっぱって、いつか見た時代劇の悪代官の真似をしていた私は、入ってきた信秀達を見て固まってしまいます。


えっ、誰?


めっちゃ恥ずかしいじゃないですか!


思わず信長を睨むと、私の顔を見た信長も焦ります。


その場でジャンピング土下座です。


「申し訳ございません。先触れを出すべきでした」

「そうね」

「申し訳ございません。忍様に恥をかかせてしまいました」

「まぁ、いいわ。で、どなた?」


渋いおっさんがゆっくり胡坐で座ってから頭を下げます。


「下尾張国の守護代奉行を預かっております。織田弾正忠信秀でございます」

「尾張の虎、器用の仁、どっちで呼べばいい」

「ただ、信秀とお呼び下さい」

「で、何の用事かな?」


そう言うと、私は信秀の前に腰かけます。

うん、今の事は忘れよう。

何もなかった。

私は何事もなかった事にして、その場に座ります。


「大層な物を頂いたお礼にやって参りました」

「悪いけど、あれは信長に上げた訳で信秀に上げた訳じゃないわよ」

「承知しております」

「それはよかった。あの金で三河を攻めるつもりかと思ったわ」


そう言った瞬間、信秀の目が鋭くなります。


やっぱりね。


加納口の戦いで負けた分を三河に勝つ事で取り戻したいと思っていたのでしょう。


理由は簡単。


勝ち続けないと国人衆が信秀を見限ってしまう。


「これ以上に手を広げると、せっかく手にいれた安祥城と大垣城を失う事になるわよ」


(大垣?)


信秀の顔が曇ります。


うん、納得できていないと言う感じでしょう。


「いい?よく聞きなさい。もし勝ったとしてどうするつもり? 

三河は問題の多い土地よ。

その三河の国人の為に走り回るの?

今川もちょっかいを出すから中々収まらないわよ。

その内に尾張の中から崩れて織田家はおしまい。

逆に戦に負ければ、すべてを失う。

勝っても負けても損をするのはあなた、信秀よ」

「しかし」

「よく考えなさい。尾張は上と下に分かれている。守護代もあなたをよく思っていない。領地を広げれば、広げるほど中身がスカスカになってゆく。まずは中を固めなさい」

「中を固めると言いましても?」

「そうね! 廃城するつもりの古渡城を武衛館に総替えしましょう」


心の内を読まれたと思ったのか、信秀の顔が一層歪んでゆきます。


古渡城の廃城は史実で知っているからね。


「もちろん、文句を言わせない為に伊勢守と大和守の屋敷もお付けしてね。そして、那古野を中心に土岐川(庄内川)の内側をすべて武衛様に割譲するなんてどうかしら?」


なっ、信秀の顔が驚きに満ち溢れます。

そりゃ、驚きます。

せっかく奪ったモノを与えようと言うのです。


「信秀は仁の者でしょう。この土地が誰の物でもいいじゃない。管理はすべて信長が行う。土岐川(庄内川)の改修を行い、氾濫に備えましょう。守山の上流から用水を引いて、熱田台地、及び、その内側にも用水網を引いて、全域で農地改良を行いましょう。管理はすべて信長が行います。反対する者は守護に逆らう者、すべて謀反人として処分すればいいでしょう」


そう言った瞬間、信秀が何かを悟ったように笑みを浮かべます。


うん、頭が柔らかくて良かったよ。


国人衆の土地に対する執着は凄まじく、農地改良と言っても反発する者が必ず現れます。

それらを根切りにして、すべての国人衆を臣従させれば、国外に遠征する以上の織田家強化を図る事になるのです。


「すべてを織田が仕切るという事ですかな」

「ええぇ、城主は私兵を鍛えるだけ、農地も農民も織田の代官の管理に置きます。当然、普請や陣振れも代官の仕事です。さらに河川の改修も農地改良も普請も織田が人夫を雇って行います」

「途方もない銭が必要ですぞ」

「金ならあるでしょう」

「守護代の大和守や伊勢守が邪魔をするかもしれませんな」

「邪魔をするなら容赦する必要はありません」

「承知仕った」


このおっさん、活き活きとした顔立ちでにやにやとしていますよ。

もう、はじめから守護代を排除する気だね。


まぁ、そうなるね。


いくら私兵を持っていても、蔵を押さえられては戦もできません。

農民を借り出す権利を代官に奪われては、兵を集める事もままなりません。

織田家、つまり、信長の命がなければ、兵を動かせないのです。


守護代が信長の許可なく兵を集められないと知った時はどうなるかな?


決まっているよね。


今の体制では信秀も国人衆にそっぽを向かれれば、何もできません。


その国人衆の支持を受ける為に戦いに勝ち続ける必要があるのです。


永久に勝ち続けろ!


無理ですよ。


つまり、その国人の権限を掠め取ろうという話です。


簡単に言えば、中央集権化です。


守護の斯波 義統しば よしむねを頂点にする組織替えです。

そして、実権は宰相信長がすべてを握るのです。


鎌倉の執権北条がすべてを握ったようにね。


守護代は守護の飾りの相談役に降格です。


認められないよね!


当然、国内で戦うことになる。


まさか、信秀も自分で国人衆を二つに割って戦を起こすなど思いもしなかったのでしょう。


反対する者を押さえ込み、すべてを織田家に臣従させる。


そんな未来がもう見えているのでしょう。


そんな悪い顔をする信秀が不気味な笑みを浮かべています。

でも、その横で信長が目をキラキラさせて何か感動しているのです。


「信長ちゃん、判っているの?」

「承知しております。つまり、武衛様を中心に尾張を再統一するのですね。この信長、身命を賭して、武衛様の為に尽くすつもりです」


うん、間違っていない。

管理するのが信長だよ。

信長は忠臣だね。

義統も安心だろう。


信秀おっさんは自分から戦を起こしそうだから忠告しておくか。


「民のかまどと言う話をご存じですか」

「聞いた事がありますな」

「民のかまどから煙が上がらない事を憂いた天子が税を取るのを止め、民のかまどから煙が上がるようになった事を喜んだ話です」

「税を取らぬとは大変ですな」

「大変でしょう」

「果たして、それができたのでしょうか」

「天子の御住まいも荒れ果てたと聞きます。それでも天子は民を重んじるのです。天下は民の為にあります。天子は民の為に存在するのです。ならば武家は天子を支える者です。これよりの戦は民の為に行いなさい。さすれば、織田は繁栄するでしょう」

「ははぁ、畏まりました」


胡散臭い。

本当に判っているのかな?


しかし、悪ふざけを誤魔化す為に真面目な話に変えたけど、どうしてこんな話をしちゃったのかな。


もう後に引けないよ。


よきかな、よきかな、ホントに良かったのかな?


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