エル:王子の叛乱

 不思議な感覚だった。久しく忘れていた感情だわ。


 あの、異世界から来たという守護霊、ハルトのことが気になって仕方がない。

 ルシアからマイルズに贈らせた“バーナムの杖”に自分の分体を潜り込ませ、密かに見守らせるなどということまでしてしまった。魔女と呼ばれた私らしくない行動ね。


 分体は、定期的に交代させ、ハルトたちの状況を報告させたの。お陰で彼らが街で邪霊に遭遇した際も、聖女を誘導して助けに駆けつけることができた。

 だけど、突然分体との繋がりが切れてしまった。ハルトたちが、北の大森林へ魔物討伐に向かうという報告は受けて、たしかに分体が北の方へ移動するのを感じていた。けれど、突然、分体の気配が消えてしまったの。

 本体と分体の繋がりは、めったなことで切れることはないわ。どんなに離れていても、いる場所は把握できる、できるはず。なのに。

 分体が戻っていないということは、少なくともマイルズは生きている、はず。だからハルトも無事であるはず。だけれど、ハルトとマイルズがどんな状態なのかまでは分からない。

 嫌な予感がする。できれば、探しに行きたい。けれど、聖女ルシアからは離れられない。教会の結界もあるし。


 そういえば北の大森林は、今は迷宮となってしまった瘴気の浄化設備を設置した場所のひとつだった。もう、ずいぶんと昔のことなので記憶も曖昧だが、あそこには、聖域とも呼べる安全地帯があったはず。分体とは記憶を共有しているから、分体がしっかりしていればあそこに案内できる。そうなれば、生還の可能性も高くなる。それに掛けるしかない。


 私はやきもきしながら、彼らの無事を祈った。聖女にも、私の不安が移ってしまったのか、ここ数日は不安そうな表情を浮かべていた。


「聖女様。王よりご連絡がございました」


 協会従士のひとりが、驚くべき情報を持ってきた。第二王子、マーカス・スウィーフ・マリノが反逆の罪で捉えられたのだという。にわかには信じられぬ話だった。聖女が第二王子に直接会う機会はそんなにはなかったが、大人しく控えめで、王位を簒奪するような野心を持っているようには見えなかった。偽りの仮面を着けていたのか。だとすれば、恐ろしい。守護霊すらたばかる存在、ということになるから。


 情報はすぐに確定的なものとなった。第一王子であるシルヴァ・エルドゥ・マリノが、聖女に直々の面会を求め、その場で第二王子の所業を説明したのだ。


「私にとっても信じ難いことではありますが、側近から怪しげな行動は報告されていたので、えぇ、それで魔獣討伐の際も、密かに行動を監視させていたのですよ」


 そう話す第一王子を見ながら、私は呆れたため息をついた。こう言ってはなんだが、シルヴァ王子は茫洋とした男。疑念を抱いた? 監視させていた? 王子らしくない。どうせあんたの差し金だろう? ドノヴァン。


「偉大なる魔女、エル様に、そこまで評価していただけたとは恐悦至極。このドノヴァン、感動で胸が打ち震えております」


 シルヴァの守護霊であるドノヴァンは、希代の策略家、謀略家だった男だ。此奴こいつを怖れる余り此奴が生きている間、周辺国では戦争が起きなかったくらい。目障りな男だったので、死んだときには祝杯をあげたものだ。そのくらい、油断のならない男。生きていても死んで霊になっていても。


「ふん。上っ面な言葉で誤魔化さないで。どうせ、王子を焚きつけたのもあんただろ?」

「いえ、それは誓ってありません。私が台本を書いていたのなら、もっと上手くやりますよ」


 それもそうか、と納得しかけるが、これすら此奴の謀なのではないかと思えてくる。


「まさか、あそこでヴァンダイン伯爵のご子息と、自分の護衛であるアルベルト殿を手に掛けるとは、私にとっても青天の霹靂ですよ」

「ちがうね、少なくともヴァンダインの息子は死んでないわよ」

「ほぅ? 魔女様は、如何にしてそれをご存じなのですか?」

「あんたに話す義理はないわよ」

「相変わらず冷たいお方ですなぁ。まぁ、拘束したアレマーカス王都こちらに戻れば、いろいろと分かることでしょうが」

「弟をアレ呼ばわり? 非道いわね」

「シルヴァにとっては弟でも、私にとっては何者でもない……いや、潜在的脅威でした。今は、完全に敵ですよ。彼の守護霊も含めて……そういえば」


 ドノヴァンは、すっと私に近寄り、一段低い調子で私に話し始めた。


「マーカスの守護霊が、途中で入れ替わっていたことにお気付きか?」

「入れ替わった?」


 そもそも教会に籠もることの多い聖女が、第二王子に会う機会など、これまでに数える程しかなかった。記憶を手繰り寄せても、守護霊が入れ替わっていたかどうかまでは思い出せない。それに、だ。


「守護霊が入れ替わることなんてあるの? 私は聞いたことがないけど」

「守護霊が何らかの理由で弱ったり消えたりしたときに、稀に新たな守護霊が降りる場合があるそうです。マーカスの守護霊は、全身鎧で固めた騎士ですが、以前は明るい部分もあったそうです。が、ある日を境に一切喋らなくなり、雰囲気も変わったと」

「それだけじゃ、ねぇ」

「確かに、証拠はございません。我ら霊の外見など、いくらでも帰られますからな。しかし、雰囲気までは誤魔化せません。王宮に存在する霊の多くは、マーカスの守護霊が入れ替わったと確信しております」


 本当に、守護霊が入れ替わるなんてことあるのかしら。元の守護霊はどこへ行ったと言うの? 私の問いに、ドノヴァンは困った顔をして答える。


「入れ替わり、ではありませんが、近い事例をご存じではありませんか」


 なんのこと?


「ヴァンダイン伯爵のご子息ですよ。守護霊は、生まれたときに運命で結ばれるもの。ある日突然、守護霊が降りるなど、そちらの方が信じられませんよ」


 しかも、マイルズに降りた霊は、違う世界から来た霊だ。いや、異世界の霊だから、なのか?


「ん? どうかされましたか?」

「いや……なんでもないわ。そんなことがあるのかなーっと、少し記憶を探っていただけよ」

「ほぅ? で、いかがでした?」

「そんな話は聞いたこと、なかったよ。うん」


 ハルトが異世界から来たことは、ドノヴァンには教えないでおこう。こいつのことだから、今は知らなくてもいつかは気付くだろうが。




 数日後、またしても驚きの報せが入った。王都へと連行されていたマーカスが、途中で脱走したというのだ。警護にあたった二十人の騎士は、待ち伏せしていた謎の一団に壊滅させられたらしい。

 そしてマーカスは、その一団とともに古都市バージェに入ったと聞いた時、古く苦々しい記憶が戻った。世界がまだ瘴気に包まれていた頃、愚かな人々の暴挙によって滅びた都市のひとつがバージェだ。今はもう、ほとんど人も住んでいないはず。なぜ、あそこへ?




 そして、また数日の後、今度は教会に対して王から依頼があった。


『聖女をバージェに派遣して欲しい』


 国と教会は、相互依存の関係。国は人心を束ねるのに教会を利用し、教会は国の庇護下にあれば、信者を安心して集めることができるってわけ。だから、王からの依頼を無碍に断ることはできない。

 しかし、戦いの場に聖女を引っ張り出すなんてこと、これまでにはなかった。だが、今回はどうしても聖女の力が必要なのだという。


「死体が動く、ですって」


 王から送られた親書の内容に、ルシアは悲鳴に似た声を挙げた。遠い遠い昔、瘴気によって死人しびとが動いて人を襲ったことがあった。あれの再来だろうか? 討伐隊がバージェに入ろうとした時、古都市の中からぞろぞろと不気味な一団が現れ襲いかかってきたのだという。斬っても吹き飛ばしても燃やしても、倒れても再び起き上がってきた。さらには、殺された兵士が、無残な姿のまま立ち上がり、敵となって襲いかかってきたという。魔法使いの中には、それらが黒い瘴気を纏っていたとするものもいたそうだ。

 であれば、瘴気を祓う聖女の力でなんとかなるかもしれない。王の考えは間違っていないだろう。私たちは教会の兵を集め、バージェに向かうことにした。ハルトたちのことも気になるが、仕方ない。王都の外に出たら、分体を飛ばしてみようか?

 ところが、王都を出た途端、分体が戻ってきた。行方不明になっていた時に出した、“戻れ”という命令が有効だったらしい。すぐに分体と融合し、ハルトたちの無事をしった。しかし、北の森では再び魔獣の数が増えているらしい。今の彼らに切り抜ける力が残っているだろうか? 私は、聖女に語りかける。“北の森へ急ぎなさい。マイルズたちがそこにいる”――そしてルシアは、私は、なんとか間に合った。


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