悠斗:悪霊遭遇
「そこをギューッとして、ガーッとやればいいのだ! ワハハ!」
まったく分からない。
デイル・キーソンズの守護霊、サイラスの教え方は下手くそだ。少なくとも習う側にしてみれば。
「サイラス、それではハルトも何のことだか分からんよ。もう少しなんとかならんのか?」
老師バラン・グラスゴーの守護霊、ゴースの苦言にも、サイラスは豪快に笑うだけだ。生きていた時は、弓の名手だったそうだ。天才が、必ずしも優れた指導者たり得ない、の見本みたいな奴だ。指導には向いていない。
人々が寝静まった深夜、俺たちは学院の四方を守る塔のひとつ、『青い月の塔』の上空にいる。霊になって見ると、人の集まる場所には結構多くの霊がいることが分かった。ほとんどが動物霊のような下級霊だが、中には意思を持ったまま浮遊霊や地縛霊になった人間もいる。学院の四方の塔は、そうした悪しき霊、意識体から学院を守る結界になっている。俺たちの出入りは自由だけどね。
こうして自由に動けるのも、ゴースのお陰だ。彼が、取り憑いた先、というか寄生先というか、守護者(俺の場合はマイルズ)から離れる方法を教えてくれなければ、不自由な生活を送らなければならなかっただろう。
ゴースは、かつて賢者と呼ばれていた(らしい)だ。だからなのか、さまざまな知識を持っているので、この世界の常識などを教えてもらっている。ちなみに、バルガにもいろいろ教えてもらっているが、ルンナ先生が他の街へ行っているため、しばらく顔を合わせていない。
サイラスには、守護霊が持つ力の使い方を教えてもらっている。というか、「教えてやる」と強引に。とほほ。本人(本霊?)に悪気がないのは分かるだけに、なんとも。苦肉の策でゴースに来てもらっているのだった。
「すまないなぁ、来てもらって」
「なんの。よい暇つぶしじゃよ」
彼ら(俺もだ)守護霊は、人間の三大欲求、食欲、性欲、睡眠欲を持たない。人間を守護することが最大の目標であり、それを果たしたとき、ひとつ上の位に上がることができると信じている。仏教的な考え方で言えば、ここは死後、魂が修行する場なのかも知れない。
俺も、マイルズを一人前にすることを当面の目標にした。そのためにも、俺自身が自分の力の使い方を理解しなければならない。
「我々は、魔力の根源であると同時に、その魔力を流す水路でもある。守護する者の求めに応じ、その水路を操作するという感じじゃよ」
「そう、だからギューで、ガーンだ」
水路、水路ねぇ。力を注いでやるイメージか。今、俺とマイルズは常に繋がっている官職はある。それを意図的に太くしたり方向を決めたりしてやればいいのか。
「マイルズが魔法を上手く使えないのは、俺の誘導が下手だからなのか……」
「俺には、あの坊主の集中力が足りねぇように思えたがな。うちのデイルは、あんなでも発動する時の集中力は半端じゃねぇよ」
集中力か。
「集中力といえば、詠唱じゃのぅ。詠唱の構成があっとらんのかも知れんの」
そういえば、ニッケルの時はどうだった? 思い出してみると、今、使っている詠唱じゃなかったな。うん、今度試してみよう。
「ゴース、守護者に意思を伝える方法を詳しく教えて欲しい」
「ほぅ? 構わんよ」
※
夜の修行が、何日か続いたある日。
「ん?」
「む?」
奇妙な気配に、俺とゴースがほぼ同時に気付いた。
「どうした?」
あいかわらず、ガーンとかドーンとか言ってばかりのサイラスが、俺たちの様子に気が付いて声を掛けてきた。
「あっちの方から、気味の悪い感じがするんだ。生暖かい風みたいな」
「街の西側じゃの」
「気味の悪い感じねぇ……なんだか騒がしい感じはするがな」
「もしや、巷で噂の邪霊かも知れん」
邪霊……成仏できず地上を徘徊する邪悪な魂か。生前のことが少し思い出される。
「様子を見に行ってみるよ」
「俺も付き合おう」
「お主ら二人では心許ない。儂も着いていこうかの」
俺たち三人は、ふわり、と上空に舞い上がった。もうすっかり身体(霊体)のコントロールには慣れた。人間だった時に、こんな風に飛べたら便利だっただろうと思う。が、一方で、物に触れないのは超不便だ。最近では、少し者も動かせるようになったけどね。部屋の中でやるとマイルズに気付かれるので、もっぱら練習は外でやっている。
退館時間で十分ほど飛ぶと、足下に歓楽街が見えて来た。王都の城下町西地区は、主に歓楽街がひしめいており、夜でも灯りをつけている店は多い。
お陰で、霊の姿はよく見えない。
怪しげな気配が濃い方向に、眼を凝らしてみる。黒い瘴気のような影が、揺らめいている。
「行ってみましょう」
「みな、気をつけるのじゃ。何やら嫌な予感がする」
霊も予感めいたものがあるのか。実は俺も、さっきから悪い予感しかしない。
黒い影の、10メートルほど手前で止まった。影は何かをしている。何だ?
「う……あの野郎、喰ってやがる」
サイラスの言葉を待つまでもなかった。黒い影は、男の霊を足下から喰っていた。男の霊は必死で抵抗するが、どんどん飲み込まれていく。腰が消え、銅が消え、そして苦悶の表情を浮かべた顔が消え……最後に男の腕が消えた。喰われた霊の声なき叫びが、街の闇に吸い込まれていく。
あれが、バルガの言う“融合”だとしたら、やらなくて良かった。
「いや、融合ではない。断じて違う。見よ、なんと、なんと禍々しいことか!」
普段、落ち着いているゴースが、怒りに満ちた声で叫んだ。その言葉が聞こえたのか、黒い影がゆっくりとこちらを見た。影の中に浮かぶ、ふたつの赤い血の色のような光が脈動している。
確かに醜悪な場面だ……が、俺は昔を、生きていた頃を思い出していた。祓い屋をやっていたあの頃、俺はこんな奴らばかり相手にしてきた。なぜか、身体の中から熱いものが浮かび上がって来た気がする。幽霊なのに。
「サイラス、俺がアレを抑えるから、何か魔法ぶち上げてくれ」
「おう! 任せとけ」
「ハルト、何をする気じゃ?」
「まぁ、見てなって」
久しぶりだが、できる気がする。祓い屋としての本能、とでも言うのだろうか? 肉体という軛を逃れた今、物質に頼らず自分の霊力だけでもいける。そんな確信がある。
「いくぜ! オン キリキリ バザラ ウン ハッタ、霊縛八方陣!」
黒い影の周りに浮かんだ八つの光が、光の線で結ばれ陣を成す。軍荼利明王の力を借りた光の鎖が、影を縛る! 黒い影は、必死に実をよじるが、俺の八方陣からは逃れられない。よし、いける。
「オン、大日如来。願い奉る。邪悪なる霊を祓い給え。今だ、サイラスっ!」
「おうよ! エアー、エアリアル、シルフィード、邪を祓う風となれ、烈風の矢!」
サイラスの手には、いつの間にか弓が握られていた。詠唱と共にその弓から放たれた風の矢は、影の中心で赤く燃える両眼の真ん中、人間で言えば眉間に見事突き刺さった。
ギジャァアァウゥォォオン!
叫びすら毒々しい。思わず顔を背けたくなるが、ここで力を抜くわけにはいかない。俺は、八方陣にさらなる力を込める。と、いきなり邪霊の気配が、霧のように消えた。
「む? 気配が消えたようじゃ」
「やったな、ハルト!」
サイラスは弓を手にしたまま、俺に笑いかけた。
おかしい。
「手応えがなさ過ぎる」
生前の除霊でも、もっとはっきりとした感触があった。霊は
「恐らく、あれは分体。己が魂の一部を切り取って使役したものじゃろう」
「じゃぁ、まだ本体は残っているのかよ?」
サイラスが、さっと弓を構え直す。俺も、周囲の気配を探ってみた。
「近くにはおらんじゃろう。だが、本体が消えておらん以上、また出てくる可能性が高いのぅ」
そうか。あれが邪霊の一部であるとすれば納得がいく。次に遭遇しても、同じように祓うことができるだろうか?
「なぁ、サイラス」
「なんだ、ハルト」
「その、弓を出す方法、教えてくれ」
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