OJOB

混沌加速装置

『おじいさん』と『おばあさん』

 舞台は元号が平成から令和へと変わった現代の日本。


 過疎化に悩むありふれた地方都市のあるところに、おばあさんという名のおじいさんと、おじいさんという名のおばあさんがおりました。ふたりは贅沢などはせずに、慎ましく穏やかに暮らしておりました。


 ふたりはお互いを名前で呼び合うおしどり夫婦。ですが、一つだけあることについて不満を抱いておりました。


 それは、本人たちの名前そのものに対してです。


「まぎらわしい」


 これに尽きます。


 性別が男性であるおじいさんの名前がおばあさんで、女性であるおばあさんの名前がおじいさんなのですから無理もありません。


「おばあさん、おばあさん。ちょっといいかえ?」


「なぁ、おじいさんや、いつも言っておるじゃろう。どうして守ってくれないんじゃ?」


「はて? なんのことでしょう、おばあさん」


「だからその『おばあさん』って呼び捨てをやめろと何度も」


 おじいさんの名前は『おばあさん』ですので、おじいさんの主張は敬称をつけて『おばあさんさん』と呼んでくれということになります。


「だって、まぎらわしいじゃないですか」


わしのほうがおまえより二つも年上なんじゃぞッ!」


 たった二歳の年の差で細かい爺だな、とおばあさんは思いましたが、大人どころか超熟の彼女はそんなこと口には出しません。


「おやおや、親しき仲にも礼儀ありですよ、おばあさん」


「いや、それ、儂のセリフ」


 そんなやり取りを毎日欠かさず繰り返しては、七十年以上にも渡って名乗ってきた名前を今さらおいそれと変えるわけにもいかず、ふたりは決定的な打開策を見出せずに日々悶々としたストレスを抱え、残り幾許いくばくもないであろう寿命を気にしては、なんだかスッキリしないまま死ぬことに怯えながらここ数年を過ごしておりました。


 そんなある日のことです。ふたりの住む家の隣の土地に若い夫婦が引っ越してきました。おじいさんとおばあさんが、お隣さんはどんな人たちだろうかと気を揉みながらそわそわしていると、玄関の戸が叩かれました。


「こんにちは!」


 快活な声を聴いて玄関へと向かったおばあさんが戸を開けると、なんとも凛々しい顔つきをした背の高い美形の青年と、そのそばにこれまた美形の若い女性が立っておりました。


「あら、どちらさまですか?」


「はじめまして。わたくし、隣に越してきた隣乃となりのと申します。ご挨拶に上がらせていただきました。こっちは家内の『お爺さん』です」


「家内のおじいさん、ですか? 奥様ではなく?」


「あ、いえ、ですから、家内の『お爺さん』です」


 これは厄介な人がお隣に越してきたぞ、と思ったおばあさんは、自分一人では手に負えないと考え、奥にいるおじいさんに向かって呼びかけました。


「おばあさん、おばあさん! ちょっと来てくださいな!」


「ちょ、失礼ですが、おばあさんは貴女あなたでしょう。どこへ向かって呼びかけているんですか」


「え? ああ、いま主人が参りますんで、ちょっとお待ちいただいてもいいですか?」


「えー⁉︎ おばあさんがおばあさんを呼んだのに、なんでご主人が……」


「おい、おじいさん! さっきも言ったばかりじゃろうが。呼び捨てにするなとあれほど」


 おじいさんが客人の前で叱責しようとするのをおばあさんが阻止します。


「おばあさん、こちらお隣に越していらした……」 


「こんにちは、はじめまして! わたくし隣に越してきた『隣乃お婆さん』と申します。それで、隣にいるこいつが家内の『お爺さん』です」


「あー、ちょっと待ってちょっと待って。『隣』って言い過ぎててよくわからんかったんじゃが、誰が隣のおばあさんで、誰がアンタの家内のおじいさんじゃって? それよりまずアンタは誰なんじゃ?」


「いや、あの、誤解です! 僕の下の名前が『お婆さん』なんです。家内も同じで、下の名前が『お爺さん』なんです」


「まぎらわしい夫婦じゃな。性別と年齢がダブルで逆転しておるじゃないか」


 そう、二人の隣に引っ越してきたのは、しくも『お婆さん』という名の青年と、『お爺さん』という名のうら若き乙女の夫婦だったのです。


「うちの両親が、今後は人生の多様性というものがより顕著になるであろうと考えたらしく、例えば僕が生涯のどこかで性転換手術を受けて女性に生まれ変わることもあるかもしれないと、それで将来を見越して『お婆さん』と名付けてくれたそうです。だから、僕も名前に恥じぬよう」


「すでに名前が恥ずかしいわい」


「え? 恥ずかしいって、そんな……親からもらった名前なんで、そういうこと言うのはちょっと……。ところで、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


「ああ、儂は『おばあさん』じゃ。『多田野ただのおばあさん』」


 いまさっき恥ずかしいって言ったばかりの名前じゃないか、と隣乃お婆さんは心の中で激しくツッコミました。その後で自分の名前と被っていることに気がつきました。


「な、待ってくださいよ。『お婆さん』は僕の名ま」


「わかっとる。だから、儂の名前も『おばあさん』なんじゃよ。こいつは連れの『おじいさん』」


 こうして、ただでさえお互いの名前のまぎらわしさに悩まされていた多田野家の隣に、これまたまぎらわしい名前の夫婦が引っ越してきたことにより、物語のまぎらわしさは加速度的に上がってゆくこととなるのです。



                             おしまい

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