水仙 新選組異聞

山戸海

第1話 三年坂

 新選組の斉藤一と沖田総司がどうしても清水の紅葉が見たいという幕府の容人の警護についたのは慶応元年晩秋の冷たい霧雨の降る日だった。

 だいたいこのご時世に紅葉狩りなど酔狂としか言えぬが江戸から来た者にはご時世より江戸に帰ってからの土産話の方が大事らしい。

 帰りに三年坂の茶店でゆっくりしたいというその御仁を残して斉藤と沖田は屯所に帰ることになった。

 本来ならそんな中途半端は許されないのだが、沖田の咳を容人が露骨に嫌い、それならと帰る沖田に続いて、相手の横柄な態度に嫌気がさした斉藤までもが新しい警護を寄越すと言いおいて店を出てきてしまったのだ。

「副長に怒られますよ」と沖田は咳こみながら気にした。

「それほどの大物じゃない、態度はでかいが」

「またそんな」

 沖田は苦笑した。

 この同僚は普段はとっつきにくい一匹狼のくせに妙な義侠心を時折見せた。

「それより大丈夫か」と斉藤は沖田の顔を見た。

 普段から顔色のいい方ではないが、今日は特に悪い。咳も屯所を出た時にはさほどではなかったが冷たい雨が応えたのか、だんだんひどくなるようだった。

 大丈夫だと言いかけた沖田は激しく咳こみ、その拍子に下駄の鼻緒が切れて階段で躓いた。

「おいおい」と手をかす斉藤と

「やれやれとことんついてない」とため息をつく沖田と向かいから坂を上ってきた芸者と舞妓の二人連れがすれ違う。

「小菊、気いつけなあかんえ、三年坂でこけたら三年寿命が縮むそうや」

 芸者は舞妓にそう言いながらちらりと斉藤達を一瞥して続けた。

「まあ縮んで仕方ないのもおるけど」

 斉藤は振り返った。

 芸者はつんとあごをあげて坂を上がっていく。

「おい」

 連れの舞妓は身をすくめたが芸者は無視をした。

「おいこら」

 いきり立つ斉藤の腕を沖田がつかむ。

「相手は女ですよ」

「だからなんだ」

 沖田は労咳だと薄々は知っていた。知っていたから聞き捨てならなかった。

「私はいいから」と言いながら沖田はまたひどく咳こんだ。

 斉藤は沖田の背をさすった。芸者達の姿は遠くなっていった。

 

 屯所に帰り、沖田を休ませて斉藤は副長室に報告に行った。任務を途中で切り上げてきたことをさんざん𠮟られた後、伍長室に顔を出すと永倉がからかった。

「お偉いさん、見捨てて来たって」

 斉藤は黙って身をすくめた。

「病人と組まされたのが災難さ。大事な多摩一党なら寝かせておけばいいものを」と言ったのは藤堂平助。

 新選組が池田屋事件で飛躍して大所帯になるにつれて、当初は固く結ばれていた少数精鋭の古参隊士の間に生じた小さな溝は、知識人の伊東一派の加入や結成以来の同志の山南の切腹で大きく埋めがたい亀裂になった。

 永倉、原田は近藤土方に部下扱いされることに反発し、同流派の伊東に傾倒する藤堂は土方に突っかかる。

 もっとも共に白刃の下をくぐってきた連帯感はわずかながらも残っていて

「それは仕方がねえ、芸州に行った近藤さんに人をとられてるから手薄なのさ。総司もだから無理をしたのだろう」と永倉が藤堂をたしなめると

「まあそうだが」と藤堂もあっさりひいた。

 近藤は十一月七日から伊東と共に隊士を数名引き連れて長州訊問使永井主水に随行して芸州に行っている。

 文久三年の禁門の変の後に長州を訪れた訊問使中根一之丞と部下は長州の急進派に殺されているから、近藤らは文字通りの用心棒だった。

 将軍の大坂滞在に備えて、隊士を大坂に駐在させてもいたからどうしても人が足りない。

 それでも土方は護衛の依頼があると平隊士ではなく、場慣れした組長や伍長並みの者を出した。中途半端な者を出して、昨今大きな顔をして市中警護にあたる旗本御家人が母体の見廻組に後れをとりたくないのと、失敗した時にあれはやはり侍ではないからだと言われるのを嫌ったためだ。

「誰か沖田の代わりに今晩の巡察で一番隊を率いてくれないか」と斉藤は言った。

「おいおい、お前が代われって言われてきたのだろう」と永倉があきれた。

「俺は護衛の仕事をした」

「投げ出してきたくせに」と藤堂がからかう。その横で原田が「じゃあ総司は護衛に夜の巡察までこなすつもりだったのか」と驚く。

「よく働くことだ」

「女もいないから他に楽しみがないのさ」と藤堂が沖田より二つ下のくせに意地の悪いことを言う。

「お前だってそうだろう」と永倉が藤堂をからかう。

「俺は」

「聞いたぞ、鈴木三樹三郎から、またふられたんだって。しかもすごい美人だっていうじゃないか」

「またか」と原田があきれた。

 藤堂は面食いで、自身を大名の御落胤と称するだけあって、品の良い美形によく惚れた。だがそういういい女には大抵すでに相手がいるか、なければ何か事情があって藤堂の恋は大抵破れた。

「またらしい」と永倉。

 すでに女房持ちの原田と永倉はしたり顔で藤堂と斉藤を見た。

「そろそろ身を固めたらどうだ」と原田。

「こんな仕事をしていると気持ちが殺伐とする、家族がいるとだいぶ違う」と永倉も言った。

「だとさ、斉藤さん。俺はまだ二十三だからあんたから先にいってくれ」

「俺だって二十三だ」

 えっと一同は怪訝そうに斉藤を見た。

「お前、サバを読むにもほどがある」と原田が言った。

「どう見たって、三十近い、俺とためだろう」

「いや、二十三」

 一同は黙りこんだ。

 斉藤は掘りの深い、厳つい顔立ちで、藤堂のようなふっくらとした丸顔ではない。話し方もぼそぼそといった調子で沖田や藤堂のような若者らしい明るさはない。

「干支は?」と同い年であろう藤堂が聞く。

「辰」「俺と同じじゃないか」と驚く藤堂にうんざりしたように斉藤は言った。

「だから同い年だと言っている」

「じゃあ総司よりも年下か」と永倉があきれ、原田はゲラゲラと笑い出した。

「老けてる、老けすぎだ」

 永倉と藤堂も笑いころげた。

「近藤さんや土方さんは知っているのか」

「まさか知らねえだろう、こんな老けた」

と、後が続かず笑いこける三人を後に斉藤は仏頂面で部屋を出た。

 十九で人を斬り、一人、京へ逃げてきた。

 それなりに苦労はしてるし、生まれついての顔立ちで老けて見えるのは承知の上だが、あまりに年上に見られるのはやはり面白くない。

 五日後、鴻池の番頭の用心棒を斉藤は土方に命じられた。

 今度も沖田と二人である。

 この日は沖田の体調もよく、首尾よく商用を終えた番頭は上機嫌で祇園で一席設けてくれた。

「本日はご苦労さまでございました」と番頭が言い、それを合図に芸者と舞妓がにこやかな笑みを浮かべて襖をあけて入ってくる。

「こんばんは、菊花どす」と頭を下げた芸者の顔に見覚えがある。三年坂のあの芸者だった。

「おっ」と言葉にならない声を出した斉藤に番頭がにこやかにたずねた。

「おや、すでにお見知りおきでしたか、斉藤先生も隅におけない」

 芸者は微笑ながらも怪訝そうに斉藤を見つめる。

 切れ長の目に鼻筋の通った、整いすぎた美人に斉藤は意地悪く言った。

「五日ほど前の清水で」

 女の顔から笑みが消える。

 沖田に酌をしていた舞妓がそれを聞いて驚いて酒をこぼした。

「堪忍どすえ」

 泣きそうな顔でうろたえる舞妓を見て、気をとり直した菊花は斉藤を無視して番頭に話しかける。

「ほんまに小菊はそそっかしうて」

 番頭は菊花をからかう。

「なんやお前、清水でこの人にみそめられたんか」

「さあ」と笑顔でとぼけながら菊花は番頭にお酒をすすめた。

 一方で泣きそうになりながら何度も謝る小菊が沖田は気の毒になった。

「いや本当に大丈夫だから」と言いながら、話しをそらすつもりで紅葉を幾つもあしらった簪を褒めた。

「綺麗な簪だ、清水の紅葉みたいだ」

 小菊は顔を赤らめた。

「おおきに、うちも先月の菊とこの紅葉が好き、けど来月のまねきはごちゃごちゃして好かんのどす」

「まねき?」と沖田がたずねると、小菊は大きな瞳できょとんして

「まねきどす、ほら顔見せの看板。役者はんの名を大きく書いて」

「看板を挿す?」

「いや看板と違うて、小さいの、その」

 見かねた番頭が助け船を出した。

「沖田はん、舞妓の花簪は季節のものと決まっているのですよ。年の暮れは芝居の顔見せがおこなわれますさかい、まねき言う看板を小さく小さくこさえたもんや餅花を竹にあしろうたもの、一月は稲穂や鶴亀で二月は梅、初夏になったら藤、秋は菊に紅葉」

「ああ、そうなんだ」と沖田は照れくさそうに笑った。

「いつも丸く花の集めたのだと思っていたが違うのか」

「違うんどす」と小菊もあどけない笑顔で笑う。

「沖田はん、剣術もよろしいですが、せっかく京にいてはるんですから此方も勉強なさらんと。そうや、小菊。祇園のことを教えて差し上げたらよろし。このお人はな、この若さで剣を持たせたら都で一、ニを争うほどなんやで」と番頭が言い、小菊は真面目な顔で沖田の顔をのぞき込むもと

「へえ、強いって弁慶はんくらいどすか」

「いや、弁慶って」

「せめて牛若丸くらい言うてあげな」と番頭もあきれて笑い出した。

「ほんまにものを知らん子で」と菊花は笑いながら番頭に酒をすすめるが番頭は

「ええやないか、若い者どうし、微笑ましい。それより斉藤先生にお酌を」と言う。

 菊花は渋々、斉藤に酒をすすめながら言った。

「ほな、老けた者同士、お一つどうぞ」

 斉藤は大人げなく

「いや、俺はあれより年下だから」とつぶやく。

「あら」と菊花は物珍しそうに斉藤を眺め、

「老けて見えること」

「そういうあんたもいい年なんだろう」

 菊花の目がつり上がった。


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