頑張るって辛い! 一生懸命じゃ駄目?
頑張りますよ、やるときゃやります。
期限が迫っている時や踏ん張り時のここぞ! という時には私だって頑張ります☆
自分に向けてなら軽く言える言葉なのに、私の言葉に乗っかって返ってくる「頑張れ」なら嬉しいのに・・・。上の人から言われると急に重みを増すんです。何故でしょう。
多分・・・。
上の人が気軽に言った「頑張れ」の意味が、自分が自分へ掛ける言葉の意味と違ってしまうからかもしれない。
自分に掛ける頑張れは、スプリングの様に重い気持ちを持ち上げ弾ませるための言葉。
上の人から掛けられる頑張れは、期待と責任を伴って重くなるのかもしれない。そこに首を切られるかもしれない・・・という不安が付いてくると更に重みを増す気がする。
私の中にある「頑張る」は100メートル走のようなもので、短い時間や短い期間に全精力を込めてがむしゃらにする事。火事場の馬鹿力みたいに一点集中!!
短期だから、力を使い果たした後休憩が取れるから出来るエネルギーの大放出。
昔は気負わず頑張れた。
しかし、今の世の中は頑張れが多い気がしてる。
マラソンの様に長い距離を100メートル走の勢いで飛ばし続けろと迫ってきているようで、正直キツい・・・と感じる事が多くなってきた。
頑張れって応援の言葉としては短くて使いやすいけど、別の言い方ってないですかねぇ。
マラソン選手になら頑張れの替わりに「行けー! go go!」ってのもありかもしれない。日常ではどうだろう?
出来るなら、一生懸命を通常としてOKして欲しい。
頑張るより地味な印象だけど、一生懸命は手抜きをする事じゃないですよね。それこそ頑張るより絶え間なく続く根気のいる頑張りだと思うの。でも、一生懸命より更に上を行かないと頑張っているとは伝わりにくい。
一生懸命より上の頑張りをする。
あの時出来たんだから今回も・・・と期待される。
一生懸命より上の頑張りの回数が増える。
一生懸命より更に上だったはずの頑張りが当たり前になると、それが一生懸命に置き換えられる。
置き換わってしまうとそれが一生懸命の普通ライン。
一段上がったはずなのに当たり前になってしまった状態では頑張っていると思ってもらえなくなる。
更に上の頑張りを見せなくてはいけなくなる。
それはまるで水を足されるプールの中に居るみたい。
水が足されて水面が徐々にあがるプールの中で、最初胸元までだった水面が顎の下になり口元まで上がってくる。爪先立ちになり堪えているところへ更に水が足されてやがて立ち泳ぎを始める。
立ち泳ぎを止めれば溺れてしまうから必死で泳ぎ続ける。
その間にも水は足されていく。
足が吊って溺れもがいて苦しんでいても誰も手を差し出してはくれない。それどころか、健康管理がなってない、これくらいで・・・と陰口を叩かれる。
他人の心の疲れは更に気付かれにくい。
健康のために階段を使いましょう・・・と声を掛けている人も、車椅子の人に階段を使うことを勧めはしないだろう。酸素ボンベを引いて酸素吸入しながら歩く人にも勧めないと思う。
体や心の疲れも見て分かりやすかったならいいのだけど、そうはなっていないから困ります。
一生懸命じゃ駄目ですか?
頑張るのはここぞという時でよくないですか?
怠けようって言っているんじゃないんですよ。メリハリ、緩急。ピンと張りつめたままだとそのうち切れてしまうかもしれない。
マラソンを走りきるために余力を残しつつ、ここぞという時にラストスパートがきれるように一生懸命で行きませんか?
せめて自分に掛ける言葉だけでも「頑張る」から切り替えたい。
頑張ろうじゃなく・・・。
「さぁ、やろう!」
「よし、やるぞ!」
でも良いんじゃないかと、最近思うのです。
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