8,アプリケーションの使い方
「お待たせー!」
室内には石鹸混じりの湯気が徐々に充満し、もやっとした空気が心を浮遊させるが、タオルも巻かず裸のままシャワー室から出てきた明日香を見て、沙雪はハッとした。
「いげねぇ! 着替えねがった!」
「え? 着替え願った?」
うああああああ! 方言出ちゃった! 否定文の『ねぇ』なんて神奈川では男の人が使う言葉だよ。見かけによらず乱暴な性格なんだとか思われたりしないかな!?
反射的に出た方言が恥ずかしくて顔を赤らめた沙雪は、一度両手で口を覆ってから「あ、えーとね、着替え、ないよね」と言い直した。
「あ、あぁ! そうじゃきんね! 着替えなかったきんね! 昼間着てた服はレストランに置きっぱじゃし、ボビーに電話してパジャマと一緒に転送してもらおう!」
ぶっふぁあああ! 方言少女出たあああ! しかもリンゴみたいに顔真っ赤でめっちゃ愛らしいわあ! こりゃたまらん! 熱冷ましにおでこふーふーしてあげたいわあ!
「きん? 神奈川にも方言はあるの?」
「‘きん’はどっか別の地方だけど、だべ? とか、じゃん? とか、割り込みを横入りって言ったりするよ」
へぇ~と小さな口を開けて納得する沙雪を見つめる明日香は興奮を必死に抑えつつ、ベッドの脇にある
えっ!? ちょっと待って! ここは私が!
「かっ、片瀬さん、そんな格好で……」
だが時既に遅し。着衣している私が明日香から端末を奪ってでも通話をすれば良かったと自責の念が沙雪を支配してゆく。
『ハーイ、アスカ! どうした裸じゃないか! 残念だけどいくら僕がイケメンだからって18歳未満の子からの夜のお誘いには乗れないヨ!』
「あれ? ドミニクか~。まぁいいや。ちょっと悪いんだけどさ、私と沙雪のパジャマと下着とハロウィンの衣装に着替える前に着てた服、転送してくれる?」
明日香は自分が裸であると忘れていたが、幸い湯気が胴体を隠していたので大事には至らなかった。というより明日香自身、裸を見られてもまだ羞恥心は湧かないようだ。
「オーケー、さっきの服は洗濯して畳んでおいたヨ! 詳しくは僕のブログ見てネ!」
「サンクスサンクスー。わざわざ洗濯までしてくれてありがとね! ブログ見とくよ~」
明日香に続き、沙雪も「ありがとうございます」と礼をして、ドミニクは陽気に舌を出しながらバイバイと手を振って通信が切れた。
「どうやって転送されて来るのかにゃ~? ドキドキウワクワぐふぇふぉわっ!?」
ほどなくして、どこからともなく具現化された衣類が目にも留まらぬ速さで飛来し、二人の顔面に激突。勢いで刹那に身体が宙に浮き、ふかふかのベッドに叩き付けられた。突然の出来事に状況が呑み込めず、顔面を支配するじわじわした痛みに言葉も出ない二人は、衣類を顔に乗せたまま暫し無言でバンザイしながら仰向けに寝転んでいた。
「オーウ、オーマイガー、ホワッツハプン、何が起きたんだ……。オウ、オーイエス、服だ、服が届いたよ沙雪」
「うん、そうだね。凄い速さで飛んで来たからびっくりした」
服の衝撃で鼻が痛い。これから何かが転送される度、いまみたいに凄い速さで飛んで来るのかな。例えば辞書を転送してもらったら……。想像するだけで、青森県沿岸の冬の凍てつく風に当たっているときように鼻がジンジンしてきた。
「ホントだよぉ、お風呂上がり頼んだのが瓶入り牛乳じゃなくて良かったわぁ。今度からスピード抑えるようにボビーに言っとくよ。そういえばさっき、ドミニクがブログ見てネ~って言ってたけど、私らこの機械の使い方とか機能よく知らないし、説明書もないよね」
「きっとスマートフォンと同じで、使いながら徐々に覚えていくんだと思うよ。せっかくだからドミニクさんのブログ、探してみよう」
二人とも端末の大部分を占める時刻を表示するパネルをタッチすると、アプリケーション画面がそこから直立するかたちで空中投影されるのはボビーから手渡されて適当にいじった際に知っていたので、そこからスライドしてブログと関連していそうなアイコンを探した。すると『ミックスアルバム』という|SNSがそれに該当すると判明。さっそくそのアイコンをタップしたらビンゴ。ブログのページが開いた。
文字や画像、ムービーやインターネットサイトのリンクを同じ記事に混同できるから『ミックスアルバム』という名称であると、『はじめに』の項目に記されていた。画面右上の検索欄をタップし、「ドミニク」と声を吹き込むと、同名人物一覧の最上部に彼の顔写真が出たので、二人とも迷わずページへ辿り着けた。
『ハーイ! ドミニクだヨ! 今日も何人かのお客さんがこの世界の仲間になったけど、その中で小学生の女の子のペアの服を洗濯したんだ! それでね、ペアの一人が着てた純白のワンピースが可愛いのなんのって! 思わずクンカクンカしたら柔軟剤の甘~い香りがしたヨ! それがね、アメリカにある実家で使ってるのと同じ香りでね、懐かしくて涙がポロポロ。母ちゃん! 母ちゃあああん! 僕は兄さんと二人で創った世界で頑張ってるヨ! 読者のみんな! これ超感動だろ?』
といった内容の記事が掲載されている。顔を上げ、目を閉じてワンピースの匂いを嗅ぐドミニクは実に幸せそうだ。明日香は「うひゃあああ!! うひょあああ!! びゅひょびゅひょびゅひょびゅひょおおお!! ふぁぼらいとふぁぼらいとおおお!!」と発狂しながら『お気に入り』のハートマークのアイコンを数分間連打していた。
わああああああ!! やだやだやだやだなんてことするのドミニクさん!! もうお嫁に行けないよぉ。片瀬さん、『お気に入り』は英語で『ファボライト』じゃなくて『Favorite《フェイヴァリット》』だよ。
再び紅潮した沙雪は頭を抱えてアルマジロのように丸まりベッドに顔を埋め、気の鎮静化を図った。
こうして二人は端末の使い方を一つ学習し、情報収集手段を増やした。他のアプリケーションについても同様の方法で直感的な操作をしてゆけば、若い脳はすぐ使い方をマスターするだろう。
◇◇◇
「とっ、とりにく、おあ、トリート……」
22時を過ぎた街のお祭り騒ぎはまだフィナーレを知らない。とはいえ雰囲気はガラリと変わり、路上で堂々といちゃつくカップルや、酒に酔った老若男女がゾンビのように徘徊する姿も目立つ。そんな街を温かく包み込む光の下、飢えに苦しむ七歳の少女は一人、街往く人々に物乞いをしていた。
「なんだお嬢ちゃん、メシねぇのか。じゃあこれやるよ、フライドチキン」
親切な酔っ払いオヤジに助けられた肩甲骨の少し下まで伸びた金髪ツインテールの少女は3日ぶりに食糧を得て、きょうもようやく命を繋いだ。
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