第4話

ミミは庭に出るとツバキの花のにおいをかいで大きなくしゃみをして、それから「こっちこっち」と走っていく。

家をでて、右に一回、左に二回、それからもう一度右に一回曲がって、それでぼくが友達といつも遊んでいる公園に入っていく。

ぼくはかけ足でミミのあとをおいかけるけどなかなかおいつけなくて、ミミはときおりめんどくさそうに「にゃあ」ってないていた。

公園に入るとミミはジャングルジムの前でおしっこをしてそれから砂場でごろごろしてからぼくのもとにやってくる。

「すいませんね、これも生理現象で、どうもやらないと落ち着かなくて。べつにね意味はないんです、ただやらないと落ち着かない、ただそれだけです。それでね、今度のはちゃんとやらなくてはいけない。これは生理現象じゃないんです。ヒロシさんがしかるべき場所にしかるべくいけるようにする儀式です。儀式ってわかりますか?」

 ぼくは首を横に振る。ミミは「にゃあ」となく。

「儀式っていうのはね、それをやらなければものごとがきちんとした方向に進まないものです。ヒロシさんはものごとをきちんとした方向に進ませたいでしょ?」

 ぼくは頷く。

「わたしもそうだ。わたしはきちんとした猫ですから、きちんとものごとが進まないと嫌なんです。きちんとものごとが進まないとわたしは魂をすり減らしてまで人間の言葉を話している意味がなくなる、わたしとしてはそんなの嫌です。きちんとやりましょう。いいですか?」

 僕は「にゃあ」となく。ミミはにっこり笑う。

「よろしい。それでははじめましょう。そこに大きな桜の木がありますね」

 ミミはそう言うと右手で桜の木を指さした。桜の木には花も葉もなくてとがった枝が真っ暗な夜の空に向かってのびていた。ぼくはだまって頷いた。

「桜の木、春になればみんなお花見するし、春じゃなくてもあの木のまわりでヒロシさんぐらいの子供たちが鬼ごっこをします。みんな大好き桜の木。ね?」

 ぼくは「にゃあ」と言おうか言わないしようか迷ったけどやっぱり言わずにだまって頷く。ミミは少し残念そうな顔をする。

「あの桜の木の下にヒロシさんはこれからいくんです。あの下になにがあるかわたしはわかりません。ただヒロシさんをそこまで連れていくのがわたしの使命なんです。使命には理由はありません。そう決まっているからするんです。いいですか。よく聞いてくださいね。これを間違えるとヒロシさんはしかるべき場所にいけません。ヒロシさんがしかるべき場所にいけないとわたしはかなしい。もしかするともう、にゃあ、ともなけないかもしれない。それほどのことなんですよ。いいですか、よく聞いてください。ヒロシさんは今からあの桜の木の前に立ちます。あそこですよ、あのぼんやり光ってるところです。そこじゃなきゃだめですよ、ほらあそこです」

 ミミが指さしたところをみるとそこはぼんやりと光っていた。

ぼくはなにがぼんやりひかっているだろうとじっと見たけど、なにが光っているかよくわからなかった。

「ほら、よけいなことは考えなくていいんです。あそこが光っていて、あそこに立つんだってことがわかればそれでいいんです。なにが光ってるかが問題じゃない、あそこの光ってる場所に立つんだってことがわかればいいんです。いいですか、まだ続きはありますよ。ちゃんと覚えてくださいね。あの光っている場所に立ったら、左回りで桜の木を一周します。左回りってわかりますか?時計と反対回りですよ。時計の見方は学校で習いましたね。それの反対です。いいですか、間違ってはだめです。間違ったらぜんぶおしまい。いいですか時計と反対回りに一周、二周じゃないですよ、一周ですよ。一・二・三の一。これも学校で習いましたね。時計と反対回りに一周。はい、声に出して言ってみて」

 ぼくは「時計と反対回りに一周」と声をだす。声をだすと元気な気持ちになってくる。

「はい、よくできました。今度はそれを実際に行動に移してみましょう。光ってる場所に立って」

 ぼくはミミに言われた通りに桜の木の光っている場所に立つ。

「はいそこから時計と反対回りに一周。ゆっくりでいいですよ」

 ぼくは桜の木の周りをゆっくりと一周する。そしてまた光っている場所に立つ。

「はい、よくできました。それではいってらっしゃい」

ミミが手を振っている。ぼくもミミに手を振ろうとする。

でもぼくが手を動かそうとするといつのまにかミミが見えなくなる。

ミミだけじゃなくてなんにも見えなくなる。

耳にひゅーっという風の音が聞こえる。

ジェットコースターみたいにからだが上から下におちていく感じがする。

ぼくはいつまでもいつまでもおちていく。

いつまでおちるんだろう思って数を数えたけれど、いつのまにかぼくの知ってる数が終わって、もう一度最初から数えたけど、やっぱり途中でわからなくなって、もう数を数えるのをやめようと思ったとき、ぼくはどすんとなにかのうえにおっこちた。

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