少年奴隷。

青沼キヨスケ

第1話

「イヤ、思い立ったものですね。船長」

タンジエルの港に降り立ち、男-大島が明るく笑って首など傾げ乍ら傍らの人物に声を掛ける


-ジブラルタル海峡・モロッコに在る其の港は、現代で云うタンジールの事である


「折角の休暇だ、何時も何時も荷を運ぶ為に停泊するばかりだったろうに。偶にはゆっくり観光など致したいだろうね、君」

船長と呼ばれた金髪の男が自らの顎などを撫で擦り乍ら、何とも楽し気に周囲を見渡し言葉を返した


「では行こうかね、宿屋は目当ての物が在る。まずは其処へ荷を下ろそうじゃないか、君」

「承知しました、船長」

促され、大島は足元に置いた二つの荷を手に下げようとするが

其れを船長の手がやわりと制した

「アア、僕の荷物は自分で持つさ」

「併し」

「君、此度は休暇だよ。上下の関係等は無いさ-其うだ、いっそ名で呼んではくれまいか」

「えっ」

大島は黒い目をぱちぱちと瞬かせ、困惑した様に暫し固まるが

やがて、普段より少しばかりの小声で言った

「-グレイ、さん」

「『さん』は要らないよ、君」

「……じ、じゃあ……グレイ」

「うんうん。よし、其れでは行こうかね」

大島と船長-グレイは手に手に荷物を下げて、港-埠頭を歩き始めた


埠頭は大変に混雑しており、其れはまあ真夏の熱気を更に沸かせる様な位であり

解らぬ奇妙な声で何事かわやわやと叫び、手など振ってみせたりする髯の長い頭帕等を巻いた男達に囲まれる等するや、日本で出会い、此の船長の汽船の乗員となった大島などは其れに気圧されて身を縮めなど致すが

グレイはと云えば悠々としたもので、彼らに向かい大きく「カープ、ホテル」との一言を挙げる

そうするや、髯に頭帕の男達の中からさっと幾人かが飛び出し

恭しく、敬礼など施しグレイと大島の荷物をさっと取り

二人の先へと立って案内を始めた


グレイは勝手知る様に其の一団へと着いて行くも

大島はぽかんと、置いてきぼりを食う子の様な顔をしながら、ゆるゆるとした歩でグレイの後を着いて行くばかりであった


其んな大島をちらと振り返ると、グレイはフフ、と肩を竦めて笑う


「もっと堂々とし賜えよ、君。是う云った者に対しては毅然として居るべきなんだ」

「併し、船-グレイ。俺には、何を言っているかも解らず」

「ああ、君は分からなかったかい。亜剌比亜(アラビア)語さ」

「亜剌比亜語、ですか」

「其う云えば、出来なかったかね。英語は堪能であるのに」

「はあ、申し訳ございません」

「何、良いさ。母国語の外を知ってゐるだけで充分なのだから」


若干の気落ちなど見せる大島と歩調を合わせて傍らに着くと、グレイは彼の肩をポンと叩き、前方を指差した

「ホラ、御覧。凄い門だろう」


其れは何とも大きな、立派な市門-海浜の門であった

そうして其処には埠頭に屯して居た男達とはまた異なる感の有る、実に煌びやかな絹の服等を纏った人々が居た


自分達の其れと同じく、宿に案内を致す一群なのであろう人々と、其れ等を検閲する様な-税関̪吏と思しき人々でごった返しと為って居る其の門の中


グレイは軽く溜息等を着き乍に呟いた

「バベル-マルサとはよく言った物だね」


バベルとは「神の門」と聞く-否、「混乱」との意も有ると云うのでおそらくは其方であろう

マルサ、とは近場の海岸都市を指す其れである

何を言いたいか、英語で呟かれた其れで、大島はよくよく理解をして同意と頷いた


黒髪の皆々に交じるグレイ-金髪の彼は、異質の存在であるのだろうか

やかましく荷物を調べて居る税関吏の面々も、グレイに関して-大島も其の連れで在るのだと解するや、直ぐに通過させた


頭帕の男達に荷を持たせ、砂の匂いと味さえ覚える町中を随分と歩いて

グレイと大島の二人は漸く、目当ての宿「カープホテル」へと辿り着いた


其して部屋を取り、荷物を下ろし

遅めの朝餐等を致して漸く一息つく


香ばしいパンに、甘ったるい飲み物は

日本で生まれ育った大島には少しばかり苦手な物ではあったが

野菜や豆のたっぷり入ったスープなどは祖国の味噌汁等を薄ぼんやりとではあるが思い起こさせる物であり

大島は主として其れを味わい腹を充たした


其んな大島を見てグレイがふっと瞳を細め、品の良い所作で口許を拭きつつ言った

「サテ、君。外を見物に出掛けるとしようかね」

了解とばかり、大島が頷く

「其うですね、観光目的ですものね」


「其れで、せ-グレイ、先ずは何処へと行きますか」

楽しみを期待する様、大島が身を乗り出し尋ねると

グレイは目を細めて応えた



「-奴隷売買の、市場へ行こうかね」


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