44  -魔素体決斗-


 このまま走った方が速いよ。バイクを取りに行こうとしたら結良から提案された。

 確かに周囲は先程の爆撃でアスファルトや建物が破壊され瓦礫や石ころが散乱している。バイクでこれらを避けるのは至難の業だ。そもそも、平和な街並みを映し出す周囲のスクリーンに目隠しされているが、乗ってきたバイクは膜の外のほんのすぐ近くに停めたままなのだ。爆風でどんな状態になっているのか内側からは窺い知れない。

 結良の『もうひとつの隠し事』を訊かされた後、走ってその『スーパーミズタニ』に向かう。

 実際、二人は瞬く間に自動車の走行程度の速度まで加速した。第一段階の身体能力テストでも常人を超えた身体能力を発揮していたが、その時よりも数段限界が先の方に有るのではないかと明悟は感じ取っていた。性能が読み切れない『道具』を扱う事には一抹の不安を覚えるが、明悟を先導する先輩シフト・ファイターの結良をペースメーカーにしながら、全力疾走よりもやや抑えた程度の速度で走り抜ける。

 が、その走行は2分程度のものだった。

「ちょっとストップ!」

 先行していた結良が明悟の方を振り向きながら速度を落とした。

「前から何か来る!」

 朗らかな空気と、偽りの日の光に満ちた街並みの先、輪郭のぼやけた通行人や車が行き交う片側二車線のゆったりした広さの道路の先から、ハッキリとしたエンジン音とアスファルトをタイヤが滑る音が響き渡った。道路の先からナンバープレートが外された白のセダンが真っ直ぐとこちらに向かって走ってきた。

 明悟はおもむろにアサルトライフルを構え、自動車に向かって数発発砲した。魔素を帯びた弾丸はボンネットを抉る様にめり込み、慣性とその衝撃に挟み込まれ車体は軽く宙を跳ねた。車のボンネット、いや車体前面がへちゃげた自動車はよたよたと歩道側に進路を逸らせ、電柱に進路を阻まれ停車した。

 結良が驚いた様に明悟の顔を見た。

「……中に乗っていたのは『広報官』だよ。銃弾も例の貝殻で防がれた様に見えた」

 明悟が廃車の仲間入りをしたセダンから視線を逸らさずに結良に伝える。

 自動車の運転席側のドアがけ破る様に勢いよく押し開けられ、中から全身黒のライダースーツの様な服を全身に着込んだ仮面の人物が這い出るように現れた。天然パーマらしい髪型とスーツの全身に貼り付けられた貝殻には見覚えが有った。

「ははは、いきなり狙撃されるのはちょっと予想外だったよ。駐車する余裕くらい貰えると思っていたのだけどね!」

 何だかよくわからないが楽し気にそんな内容の無い台詞を宣う『広報官』と思しき男は右手に小さな黒い円盤の様な物を握りしめている。まさかそれは、変身用コンパクト……!?

「合体! ……なんちゃって」

 『広報官』はそう言ってそのコンパクトを自身の胸元に添えた。

 すると自動車に潜んでいたらしい猟犬形態モード・ハウンドの魔犬が飛び出して『広報官』の身体を這い上がりその頭部に張り付いた。途端、魔犬を構成する魔素はゲル状に性質を変え、どろどろと『広報官』の身体を覆い隠す様に広がっていった。

 明悟は再び発砲する。

 しかし広報官は側面に飛び退き射撃を躱し、傍の商店の中に飛び込んでしまった。

「司令室、『拾い読み』の方はどこですか!?」

 明悟は『広報官』が逃げ込んだ商店を凝視しながら仮面のマイクに叫んだ。

「現場に着いたカサジゾウが確認した。『拾い読み』はまだスーパーミズタニに居る。傍に古い大砲の様な筒とプラネタリウムの投影機のような装置が有る」

 プラネタリウム? 明悟は予想外過ぎる言葉に面喰ったが、どうやら大砲と、廃墟の半田崎市の風景を変質させている装置が『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』によって造り出され『拾い読み』の傍にあるとを一瞬遅れて理解出来た。

「結良さん、ここは私に任せて欲しい」

 銃撃の残響が残る中で明悟の左腕の小手型ディスプレイに顔を寄せ司令室の磯垣の応答を訊いていた結良は、少し驚いた様に顔を上げ、明悟の顔を見た。

「『広報官』がひとりで足止めに来たならあちら側の準備が終わりつつあるのかも知れない。大砲で狙い撃ちしてくる可能性もある。早急に、止めなければならない」

 結良が素直に頷く。

「……決着を付けて来て、結良さんのドッペルゲンガーと」

 明悟が力強く後押しするようにそう言うと、結良は一瞬少し驚いたらしかったが、「わかった」と、力強く頷き返した。

「じゃあ、健闘を」

 明悟がそう言うと結良はすっと軽く明悟を抱擁した。お互いのコスチュームがぶつかる乾いた音が響き、感触は殆ど無かったが。

「健闘を」

 直ぐに身を離した結良は小さく明悟に手を振る。視線を『広報官』が飛び込んだ建物に向けながら結良に手を振り返す。結良は両脚を黒い魔素で覆い、二人でここまで走ってきた速度よりも更に高速で、道の先へと駆け出した。

 ……なるほど。嘘は魔法少女の嗜み、真面目で誠意ある態度の中に嘘を混ぜれば絶対にバレない、か。実践してみると意外と上手くいった。

 実際、明悟は嘘は言っていない。しかし誤魔化しは有った。『広報官』の相手はどうしても自分がしたかった。いや、どうしても結良に相手をさせる訳にはいかなかった。

「司令室、結良さんにカサジゾウを2機付けてあげてください」

 明悟は無線で磯垣に向かって『指示』を出す。磯垣から即座に了解の返事。……シフト・ファイター同士の戦闘ではほぼ役に立たないだろうが、明悟に情報を伝える役割は果たせるはずだ。

「それから、この周囲の地図を、私の位置と他のカサジゾウが表示される様に端末を遠隔で操作して下さい」

 明悟が尋ねると磯垣は即座に「可能だ」と応える。ふむ、端末の使用法の説明を受けた際に教わった遠隔操作機能の存在を覚えていて良かった。戦闘の最中に記憶の糸を手繰り寄せながら端末を操作するというゾッとしない事態は回避出来そうだ。

 明悟は銃口を持ち上げつつ、何時でも狙いを定められるよう意識を引き絞り、

「カサジゾウのオペレーターの皆さんに話しておきたい事があります。マイクは繋がっていますか?」

と磯垣に尋ねる。繋がっている、と磯垣は応える。

 そこで明悟は前方への意識を途切れさせないようにしながら、小さく深呼吸する。自分の意志を15歳の少女の言葉に変えて伝える準備をする。

「スタッフの皆さん、鶴城薙乃です。よろしくお願いします」

 取り敢えず律儀に挨拶する。返事は無いが。一応カサジゾウを操作するオペレーターも明悟に話し掛けるのは可能だが、まぁ不必要な私語などは勿論しない。構わず話を続ける。

「これから私は人を殺すかも知れません」

 明悟はなるべく無感情にハッキリと口にした。

「必要とあれば躊躇わず殺すつもりです」

 無線の向こう側は相変わらず沈黙。磯垣すら声を殺している。沈黙の質感は多分先程とは全く違うものになっている。

結良は、自分の分身/ドッペルゲンガーを倒す覚悟は十分に出来ていると明悟には思えた。しかし魔素体の怪人ならともかく、人間相手ではどうだろうか? 土壇場で躊躇ってしまう危険性が有った。何より、そんな汚れ仕事を結良にやらせたくは無かった。

「皆さんも私の覚悟に着いて来て下さい」

 斯く言う自分は、子供の立場を使い大人達の逃げ道を奪うのだが。

 ……ゲル状になった魔犬を頭部に被った『広報官』(『合体』などと口にしていた気がする)は何かの事業所のような平屋の窓を突き破って中に潜んだ。明悟は耳をそばだてながらアサルトライフルをその建物に向け構える。異様に静かだ、物音がしない。魔犬が変形する時の仄かな殺気も感じられ

 不意に、事業所のドアがばんと開け放たれた。そこから現れたのは全身黒づくめの人影。先程着ていたライダースーツの様なツナギでは無く、黒い煙をたなびかせる輪郭の曖昧な黒い硬質なコーティングがされていた。胴体には白い貝殻が数枚張り付き、肩と頭部には血の様に赤黒い角が生えていた。顔には既製品のものに似たデザインの黒い仮面で覆われていた。

 明悟は迷わずアサルトライフルを連射した。

 瑠璃色の魔素を帯びて黒い人影に殺到する弾丸はしかし、銃撃に呼応するかのように巨大化したターゲットの胸元の貝殻に弾かれる。くっ、これを防げるのか!? 一発一発が砲弾程の威力があるはずの魔素の弾丸が宙に浮く巨大な貝殻に阻まれ轟音と共に魔素を拡散させる。しかし、貝殻の障壁に弾かれ弾け飛んでいる魔素の粒子に、明悟の瑠璃色の魔素と共に乳白色の魔素が混じっているのが見て取れる。全くの無駄では無さそうだ、貝殻の魔素の収束が衝撃によって解かれている。このまま貝殻を破壊出来るのでは

 しかし『広報官(と思しき者)』は宙に浮いた貝殻を押しながら盾にして、明悟に向かって突進して来た。貝殻の盾は魔素を弾けさせながらも明悟の魔弾を確実に防いでいる。直ぐには破壊し切れそうにない。

「……っ!」

 明悟は突進してくる貝殻の盾をギリギリまで惹き付けてから右手に飛び退き、地面を転がり起き上がり様にまた魔素の銃撃を浴びせた。しかし弾丸は『広報官』の黒い魔素の身体には到達せず、盾にしていた貝殻が縮小し胸元に張り付く代わりに肩の貝殻が瞬時に巨大化し、明悟の射撃を防ぐ。……明らかに『広報官』自身の挙動は明悟の攻撃に反応し切れていない。視線で明悟の動きを追い切れていない。しかし貝殻の方が自動的に明悟の攻撃を防いでいる。

 貝殻に守られた『広報官』はおもむろに身体を低くし、先程自分が乗ってきたへちゃげた自動車のバンパーを両手で掴み、捻じった上体のバネを利用しながら明悟に向かって自動車を投げ付けた。地面に水平に、滑る様に飛んでくる自動車を内心舌打ちしながら右手にステップで避ける。しかしその先で見たものは、軽い助走で地面を踏み切り空中を飛ぶ『広報官』。そのまま弾丸のような勢いで飛び蹴りしてくるではないか。

 自動車を避ける動作の途中で避け切れない事を悟った明悟は、ライフルの側面を相手に向け、自分の胸に添える様に構えた。銃器としての性質を捨て、鈍器としての側面を強化する。

 飛び蹴りをアサルトライフルで受け止める。キックの衝撃が、魔素で強化されたアサルトライフルの本質的な部分、本体まで到達し、銃に無視出来ないダメージを与えたのが感知出来た。蹴りによる衝撃を利用し、明悟は敢えて『広報官』の蹴りに跳ね飛ばされつつ敵から距離を取る。蹴りによる衝撃を殺す意味合いもあったが、明悟の予想以上に勢いよく跳ね飛ばされてしまい、かなりの距離地面を転げた。

 地面に着地した『広報官』は、自身の頭部に生えた赤黒い角を天に突き立て誇示するかのように背を伸ばし、明悟を見据えた。

「ん~、身体能力に関しては意外とそんなに差は無さそう、かな?」

 嫌に気楽な口調で勝手に納得した『広報官』はまた再び走り出す姿勢を取ろうとした時、黒い魔素の身体は一瞬硬直し、側面から現れる『モノ』を凝視した。

 地面を滑る様に飛び去って行った自動車の影から現れたのはキャタピラをフル回転させ猛スピードで接近して来るカサジゾウ。胴体を進行方向から少し斜めに傾け、側面のカメラとグレネード弾の発射孔を真っ直ぐ『広報官』に向けていた。そしてそこからそのままグレネード弾を、発射。シャンパンの蓋を開けた様な空気の破裂音が軽く響いた後で、空気を燃え上がらせながら爆発音を響かせる。

「……っと!」

 しかしそれは、『広報官』貝殻の盾に阻まれていた。着弾を阻まれたと確認したカサジゾウは元来た道をすぐさま逆走し、『広報官』から距離を取る。

 その隙に明悟はよろよろと立ち上がる。その傍には、『広報官』を攻撃したものとは別のカサジゾウが寄り添う様に近付いていた。

 今の飛び蹴りの一連の動作で理解した。『広報官』の身体能力はシフト・ファイターに迫る程に強化されている。方法は恐らく『拾い読み』の『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』か。魔犬の魔素を変形させてシフト・ファイターのコスチュームの様に身体に纏って身体能力を強化する便利アイテムのおかげ、と言った所か。全く、好きな物を想像の赴くままに造り出せる能力など、改めて考えるまでも無く途方も無い。そんな能力を積極的に戦争に利用して来るのだからほとほと人類の業に嫌気が差す。

 しかし、魔素の神秘や人類の英知を兵器に転用している代表格が他ならぬ自分、鶴城明悟である。

 明悟は先程蹴りを防いだアサルトライフルを地面に置いた。シフト・ファイター能力が解除され魔素が剥がれたアサルトライフルは案の定銃身が少し歪んでいた。道具としての機能を失った武器に『武器を識る者ウェポン・マスタリー』を使う事は出来るが、非常に魔素収束効率が悪い。フィジカルは互角、そしてあちらには魔法の盾が有ると言うのなら、律儀に矛を構えて力比べなどしてやる必要は無い。手数で勝負してやろうじゃないか。


 スーパーミズタニ。中京地域を中心にチェーン展開しているスーパーマーケットである。かつてはこの半田崎市の駅の近くにも出店しておりほどほどに繁盛していた。しかし現在は無数の人々の営みと共に魔素体浸透域内に取り残されている。ただただ時間に任せ朽ちた廃墟になるのを待つだけの場所である。

 結良は、目の前のその光景に絶句し、立ち尽くしてしまった。

 廃墟になるはずの場所なのだ。そのはずなのにその光景は余りにも平和そのものだった。

 自分が知る『地元』のスーパーマーケットが確かにその場所に鎮座していた。

 午後の陽射しの中、屈託無い様子で出入りする買い物客達、緩慢に駐車場を走る自動車、主婦や家族連れなどがはっきりと認識出来る。

 よく見れば出入りする客一人一人の輪郭はぼやけて曖昧で、違和感を持つ事が出来るのだが、その風景の全体像は、まるっきり結良の記憶の中の故郷のひとコマそのもので、心を挫き責め立てる類の郷愁が結良の胸を締め付けた。どんなに懐かしくても本物っぽくても、ここには何もない、戻れないのだ。

 スーパーの駐車場の中心に、明らかにスーパーマーケットの駐車場にそぐわない二つのオブジェクトが鎮座していた。ひとつは古い大砲。台車に乗せられた、大航海時代の帆船に乗せられているようなデザインの古めかしいものだ。そしてもうひとつも、前以てIKセキュリティの人から訊いていた通りの装置、プラネタリウムの投影機によく似た巨大な機械がどっしりと鎮座していた。両方には、『広報官』が魔法で造ったと思しき貝殻が複数枚貼られていた。そして、その二つの魔素で作られた(であろう)装置を背にして、見慣れた赤いドレスを着たヒトの形を模した存在が立ち塞がって待ち構えていた。

「コスチュームのデザイン、新しくなったのですね?」

 人間を食べ続けて、際限無くその力を膨れ上がらせ続けてきた異形・異端のドッペルゲンガー『拾い読み』が、既製品の白い仮面を付けた頭を傾げさせ、興味深そうに尋ねた。

「ええ、あなたが言った通り、シフト・ファイターの能力を手放したら、新しい能力を手に入れた」

「とてもよく似合っていると思います。何と言いますか、より洗練されたように思えます」

 何かよくわからないけど褒められた。どう返事したら良いのかわからず、結良はバイザーの下で怪訝な表情を作った。

「本音を言いますと……」

 結良のそんな様子に気付いているのかどうかは不明だが、『拾い読み』は話を続ける。

「あなたが過去のシフト・ファイター能力を捨てた時、わたしは少し寂しく思ったんです。あなたをコピーしてからずっと、あなたの存在を身近に感じていましたから。それがわたしの『人生』の中で一番鮮明で、確かなものでしたから」

 ドッペルゲンガーは太々しくも嬉し気に、そのくせ芯の部分には何の感情も含まれていないような口調で、そんな事を言う。

「わたしもそうかも……。『拾い読み』、さんとの繋がりが無くなるのが少し怖かった」

「そうなんですか?」

 重々しい声色で成された結良の告白に、『拾い読み』は意外そうに、かつわざとらしく驚く。

「繋がりを無くすと、あなたを見つけられないかも知れないと思ってた。そしたら、あなたを倒せない」

 声が震えない様に気を引き締めながら、結良は言ってやった。それを訊いた『拾い読み』は少し俯いた様に見えた。仮面のせいで相手の表情は見えない。だがその顔は、結良には何故か笑っているように感じられた。

「全てが終わる前に結良さんと話せて良かった」

 『拾い読み』が、感慨深げに言う。『拾い読み』は、結良の後方から、複数人の思念の塊がふたつ、近付いて来るのを感じていた。IKセキュリティの戦闘ロボットだ。斥候としてこのスーパーにやって来た一機は先程『拾い読み』が破壊したので、結良のバックアップの為の追加投入だろうか? 『拾い読み』はそう認識した。

「……あなたは、どうしてわたしに優しいの?」

 結良が、憮然とした口調で藪から棒にそんな事を訊く。

「優しい、ですか? わたしが?」

「優しいよ、喋り方とか。それに電話でわたしに話した事とか、まるでわたしがあなたを憎みやすいようにワザと言っているみたい」

「まぁ……、全て本心ですし。それにわたしが命乞いしたり、嘘を吐いて人助けの為にどうしてもやらなければならないと言っても、あなたはわたしを逃がすつもりは無いでしょ?」

「……逃がさないでしょうね」

「そうですよね。わたし達はお互いに、自分達の最も本質的な部分が繋がっていたのです。わたしは誰かをコピーしたいという食欲、あなたはわたしを倒したいという敵愾心」

「……」

 結良は、否定しなかった。

「わたしはコピーした人間の記憶を借りて人間のように思考している風に装っているのですが、本来、『自己』というものがとても希薄なのです。『自己』を明確にするためにドッペルゲンガーとしてこの世から姿を消す矛盾を受け入れねばならない程に。そしてあなたのわたしに対する敵意でさえも、何も無いわたしには非常に強い輝きだったのです。あなたに親しみと、感謝すら抱く程に」

「……わたしに親しみを感じていても半田崎市をコピーするつもりなんだね」

「はい。わたしはドッペルゲンガーですから」

「そっか……、わかった」

 途端、ぎゅうっと引き絞る様な沈黙が2人の元に、押し潰さんばかりに圧し掛かる。

 結良は『拾い読み』に向かって駆け出した。腕を低い位置に構えて、黒い魔素の爪で掴みかかろうと煌めかせながら。

 開戦の予感はあった。しかし『拾い読み』がその沈黙が戦意が研ぎ澄まされる瞬間だと感知する前に、結良が動いたのだ。唐突な結良の突進に、いや、アスファルトを蹴って矢のように飛び掛かって来る唐突さに、一瞬反応出来なかった。

 瞬く間に手を伸ばした程の距離まで『拾い読み』まで迫った結良。しかし魔素の爪の一振りは空を切る。あと一歩の所で『拾い読み』は爪の一閃を躱し、結良から距離を取っていた。『拾い読み』は既に10数メートル、シフト・ファイターの身体能力を持ってしてもそれは無茶な瞬間移動だ。『響け、造物の鐘(ディンドン・ブラウニー)』の効果で『拾い読み』自身の身体能力を向上させているのだ。

 成功したと思った奇襲が、『拾い読み』の予想外の速度での回避による空振り。『拾い読み』の居所を見失ってしまった、が結良の全身に不意に、赤い輝きが煌めいた。両腕両脚・胴体の魔素とプロテクターに覆われた箇所に赤い輝き、赤い瞳を持った眼球が現れた。それに呼応して、ヘッドギアとバイザーも黒い魔素に覆われ、中心に赤い瞳がひとつ、現れたのだ。

 シフト・ファイター能力『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』とは、魔犬の身体能力を獲得する能力ではない。『保存特権の盾ストレージ・シールド』同様、能力の一部を薙乃に黙っていた。先程栄美と薙乃によって封じられた能力『百目鬼形態モード・アイキャンディー』の性能を大幅に制限(デチューン)した能力と言える。全身の眼球は結良の視野と直結はしていない。しかしシフト・ファイター能力は常に結良の思考を監視しており、結良が見逃したもの、すぐにでも見ねばならないものを瞬時に読み取り、全身の眼球で集めた情報をバイザーに送り、その時その時の結良の感性において直感的に受け取り易い発信方法に加工して、音と映像によって結良に伝えるのだ。結良の脳に直接全周映像を見せるのではなく、シフト・ファイター能力に映像を処理させて二次元の映像と音声に落とし込む。情報量が大幅に制限されるが、有角魔犬の速度を目で捉えたい結良の要望と鶴城家の少女達のお節介によって生まれた妥協案という訳だ。

 全身の『目』が、不意に『本体の』視界から消えた『拾い読み』の姿を追い、視覚情報と音声で結良にその所在と状況を伝える。『拾い読み』は結良から見て右の方向に飛び退いた。その手には黒い魔素が収束して棒状の物体が造り出されていた。稲妻の杖、囁くバイザー。そう、覚えている、栄美とシフト・ファイター能力を試していた時に造り出した武器のひとつ、稲妻を発射する杖……!

 結良は素早く上半身を右に捻って、左腕の盾、『保存特権の盾ストレージ・シールド』の面を『拾い読み』に向けた。『拾い読み』が手にした杖から轟音と共に発せられた光の筋は、引き寄せられるように光り輝く盾の障壁に突き立てられ、防がれた。電撃が結良の盾の障壁に激突した箇所から盾の中心に向かって赤い筋が走った。

 結良は雷撃を盾で防ぎながら魔素の足で大地を駆り、一気に『拾い読み』との距離を詰める。『保存特権の盾ストレージ・シールド』の障壁で全身を隠しながら右腕の魔素を膨れ上がらせ自身の腕よりも長く伸ばし、『拾い読み』に対して爪を突き立てた。『拾い読み』堪らず杖からの放電を止め、稲妻の杖で結良の爪を弾いた。稲妻を発射するためだけに造られた道具には荷が重過ぎる用法だ。魔素の爪を防いだ稲妻の杖は強度の限界を迎え、黒い粒子を拡散させ始め、その形が瞬く間に曖昧になり始めた。

 結良は再び右腕を振り被り、魔素の爪の斬撃を浴びせる。

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』!!」

 叫ぶ『拾い読み』。途端、『拾い読み』の掌に黒い魔素が浮かび上がり収束し、真っ直ぐと結良の魔素の腕へと伸びて行った。『拾い読み』の手に細長い棒状の金属、見覚えのある、結良が『拾い読み』と初めて対面した直前まで使っていたものと同じデザインの槍が現れ、そのまま結良の魔素の腕を貫く。魔素の手首を貫かれた結良は右腕の『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』を解除。宙に浮いたままの槍の切っ先から後方に跳ねて少し距離を離す。

 地面に這わせるように下段に槍を構える『拾い読み』と、魔法の盾の障壁で身を隠す原田結良。ほんの一瞬、双方睨み合う。

 ……『保存特権の盾ストレージ・シールド』に貯められた稲妻を発射しなければならない。しかしそのまま反対側に発射すると感電してしまう危険が有る。電撃を球体に変えて取り敢えず『拾い読み』に投げ付けてみようか。

 不意に結良の視界の端に、『真後ろの映像!』という文字が非常に鮮明に浮かび上がり、それと共に古めかしい大砲が砲門をこちらに向けている映像が映し出される。背後からけたたましいアラートが鳴り響く。『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』が最適な形で結良に危険を伝える。半田崎市に入って来た時に撃ち込まれた大砲が、今自分を狙っているのだ。

 自動で動くの!? 思わず振り向いて盾で防ごうとした直前、今度は目の前の『拾い読み』の槍が輝く様に強調された。盾を背後に向ければ最後、槍で無防備な背中を貫かれると予告している。

 映像と音で情報をくれる。でも答えを教えてくれる訳じゃない。どうするのコレ!?

 結良は殆ど反射的に、盾の裏に貯められた雷撃を掴み、盾から取り外す。

 大砲から魔素の砲弾が発射された。

 結良は、目の前で槍を構える『拾い読み』に向かって球体に変えた雷撃を投げ付ける。投げ付けるフォームを取りつつ結良は覚悟を決める。投げ付けつつ側面に思いっきり跳躍する。

 地面に跳ねた球体は電撃に姿を戻し地を走り、一瞬前まで結良が居た場所では大爆発が起きた。


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