42  -リボーン-


 もし結良が変身出来なければ? 実はそのような往生際の悪い期待を微かに明悟は持ち続けていたが、そのような願いは成就される事は無く、結良の変身は滞り無く行われた。

 半田崎市を覆う膜の内側に入り、『拾い読み』を倒す。方針が固まり早速、結良が変身出来るかどうか確認しようという事になり、結良は待っていましたとばかりにすかさず胸元からまた筒状の物体(チューブラーキーという種類の鍵を巨大化させたものらしい)を吊るしたペンダントを取り出し、掌に乗せた。

「シェイプ・シフト」

 勝手知ったるという風に躊躇い無くその言葉を口にする。その一言を発する事に何の抵抗も無いという様に、ごく自然に。あの目玉の怪物に変身する時もこんな風に気軽に変身したのかと想像すると明悟は背筋に寒い物を感じさせられた。

 そして結良の全身から赤い炎が沸き立ち、全身に燃え広がる。瑠璃色では無く黒み掛かった赤色だ。これは、『拾い読み』が変身した時の噴き出していた炎と同じ色だったように思える。何故明悟が変身する時と違う色の炎なのか、例によって一切不明だ。今はそんな些末な事に構っている時ではない。

 そして程無くして炎は沈下。しかしそこに立っていた結良の姿に、明悟は少し驚かされた。

 結良のコスチュームが、予想外のデザインだった。

 一昨日出会った『拾い読み』が『紅の魔法少女』と呼ぶに相応しい明悟のそれに対応した赤色のドレスと甲冑を身に付けていたので結良も同じデザインのコスチュームを身に付けるものだと勝手に思い込んでいたが、新たに変身した結良のコスチュームは、流線型で未来的なデザインをしていた。身も蓋も無くざっくりと言い表してしまうとそれは、「両腕両脚はプロテクターに、頭部はヘッドギアに保護されているのに胴体にはレオタードの様な物だけを身に付けている」、そんな在り様である。

 白と黒と赤色に彩られた近未来的な工業製品を思わせるデザインの、金属と樹脂と布を組み合わせた様な質感のプロテクターで両腕は二の腕の途中まで、両脚は太腿の途中までが保護されているが、下半身の脚の付け根から首筋に掛けてまで同じような配色のレオタード状の服を身に付けている。二の腕の途中から肩にかけて、そして太腿から脚の付け根までが肌を露出させてしまっている。レオタードの部分にも金属やプラスチックの様な材質で覆われている部分が有るが全体的には革かゴムのような質感で、女性的な身体のライン、腰からくびれのボディライン、胸元の膨らみなどがはっきり見て取れるタイトなデザインになっていた。頭部には透過性の殆ど無いバイザー付きのヘッドギア。シフト・ファイターのコスチュームには何故か仮面やゴーグルが必ず付属しているので、これでドッペルゲンガーと目を合わせてもコピーされる心配は無くなった。そこは素直に安心して良い点ではあるが……。

「ぅわー、あー、えぇぇ……」

 この変身の結果に一番驚いているのは当の結良本人らしい。

「おぉ~、SFチックな感じ……」

 結良は暫く両腕を眺め感心したように呟く。

「……コスチュームが変わっているのかい?」

 明悟が訊くと「うん、前のは薙乃さんとほぼ同じデザインだったし……」と説明しながら視線を脚部に移動し

「……っ! えっ、うわっ股! 凄いピッタリしてる!?」

 と、驚いた様に少しガニ股になり、腰の下から太腿に掛けてを何かを確かめる様に撫で、「えっ!? これ、見えちゃってないよね!?」と、余り内容を追求すべきでないと思しき言葉を口走った。

 明悟は高速で結良から視線を逸らし、念のために自身のバイザーの目の部分に手を添えた。

「その、結良さん……、はしたない」

 明悟が指摘すると結良はパントマイムで壁に対峙するピエロの様なポーズで両手をぱっと下半身から離した。

「おうぅ、ごめん……」

 結良が照れながら謝る。

「その、私の仮面にはカメラが付いていて会社のスタッフがリアルタイムでモニターしているんだ。私の視界は全て共有されているから、そういう……、動作には気を付けて欲しい……」

 同級生の無作法を窘めるような口調を意識した、訳では無くどう演技するのが正解なのか即座に判断出来ないのと女性のデリケートな話題に触れる気恥ずかしさでしどろもどろになってしまった。

「あぁぁ……、そっか。気を付けないとね……」

 取り敢えずとても困っている様子の明悟の言葉に、結良は素直に首肯した。

「いやぁ……、注意してくれて助かったよ」

 耳元のマイク(変身前の仮面に取り付けられていたものがシフト・ファイターに変身した後も機能している)から駒木の呑気な声で感謝の言葉が聴こえて来た。

「その件については何もしゃべ……らないで下さい!」

 命令口調になりそうだったのをギリギリで押し留めて明悟は小声で老人を締め出した。ジジイが割って入ってきて許される話題ではない。女子高生のフリをしているこっちは罪悪感で悶死しそうなんだ。ストレスを増やすな。

「結良さん」

 明悟は仕切り直す様に真面目な口調を作る。

「シフト・ファイター能力を試してみよう。こちらも知っておきたい」

 足踏みしたり腰を捻らせたりしてどうもまだ下半身を気にしているらしい結良は「あ、うん、そうだね」と少し慌てた様子で同意する。

「わたしの新しい能力はふたつ、『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』っていうのと『保存特権の盾ストレージ・シールド』っていう魔法」

「ふたつか……」

 ……シフト・ファイターが特殊能力をふたつ所持しているケースは実は(そもそも詳細が明らかになっているシフト・ファイター自体が少数だが)しばしば見られる。ただシフト・ファイター能力の数や内容、もっと言えばコスチュームのデザイン等に何故個人差が生まれるのか、魔素体が孕む無数の謎同様に理由は不明である。

「ちょっと使ってみた方が良い?」

「うん、差支えが無ければ」

「じゃあ早速ひとつ目」

 結良は少し後ろに下がり明悟から距離を取った。

「『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』」

 その嫌に剣呑な響きの能力名を口にすると、結良の両腕両脚から黒い炎が燃え上がった。いや、それは黒い魔素の粒子の揺らめきと共に動物の体毛が波打っているようにも見て取れた。

「……魔犬の腕と脚なのかい、それは?」

「そう、正解」

 結良は黒い魔素に覆われた右腕を掲げる。結良の腕は二の腕の途中、丁度コスチュームのプロテクターの辺りまで覆われている。黒い体毛に覆われた腕は結良本人の腕より数倍は太く、指先は爪の様に鋭く尖っていた。スレンダーな結良の体躯に対して仰々しい程に頑強な両腕両脚の組み合わせが、非常にちぐはぐなシルエットを生み出していた。

「この魔法はわたしの身体を覆って身体能力を底上げしてくれるみたい。身体の仕組みそのものを変えないように」

 肉体や脳を改造しない。薙乃に念を押す様に後半の言葉は付け加えられていた。

「……シフト・ファイター能力の獲得はその人生経験によって内容が左右されると言われているけど、その能力もやっぱり、さっきまでのあの姿に影響されているのかな」

 明悟が半ば独り言のように考察を口にすると、「あっ、それは有ると思う」と結良は同調した。

「この手足を動かすのに、不思議と抵抗感が無い。多分さっきの感覚が残っているからだと思う。ただ、手足のパワーの割りに身体が軽くなっちゃってるから、身体が振り回されない様に注意しないといけないかも」

「……ふむ、もうひとつの方は?」

 結良は一旦『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』を解除し、両腕両脚から黒い魔素が飛散する中で今度は左腕を掲げた。

「『保存特権の盾ストレージ・シールド』」

 先程とは違う能力名を口にすると、結良の左腕の前腕の外側に白い魔素が集中し、円形のプレートが前腕を覆う様にそこに現れた。

「……盾、なのかい?」

 『ストレージシールド』という名前からしてそれは『盾』なのではないかとぼんやり目星を付けた。盾にしては余りにも心許無いサイズの様に思えるが、シフト・ファイター能力で造り出した物だ、恐らくそれが盾だとしてもただの盾ではないのだろう。

「そう、盾だよ」

 結良のあっさりとした肯定。

「何かが飛んできた時にこの盾を掲げると(と言いながら明悟に向かって盾を掲げる)、盾からばっとバリアみたいなものが広がって衝撃を防いでくれるの。そして衝撃は盾の中に保存されて、保存した衝撃を外に打ち出す事が出来る」

「へぇ……」

 イメージしにくい部分もあるが、戦闘に於いては中々便利な能力の様に思える。

「盾、というのも何か結良さんの経験の中で何か関係のあるのもなのかい?」

「あー、多分、薙乃さんと栄美ちゃんのせいだよ」

「……何故だい?」

「『無茶し過ぎだ』とか『自分の身体を大事にしなさい』とかそんな感じの気持ちが二人に魔法を掛けられていた時に嫌と言う程伝わって来たから、多分それが形になった能力。これなら文句無いでしょって当て付け、いや違う、免罪符? あー、どっちにしてもなんか棘のある言い方だな、ごめん」

「……当て付けか」

 お互いは小さく苦笑いした。人生経験が能力に反映されると言ってもこれは余りにも即時的過ぎるのではないか、と明悟は密かに困惑させられたが、一連の出来事が少女に与えた影響はやはり痛々しく重く、鮮烈な体験だったのだろう。そんな能力の一端に自分や孫娘が関わってしまっているのが良い事なのか悪い事なのか、正直ハッキリしない部分もあるのだが、何かむず痒い様な気持ちにさせられ、そしてそれは必ずしも不快な感情では無かった。

「……原田君のシフト・ファイター能力は概ね把握させて貰った」

 明悟の小手型ディスプレイから磯垣の声が響いた。

「君達にはこれから半田崎市を覆う膜の内側に入ってもらう。取り敢えず出入りは自由らしいという事は自衛隊の哨戒機が証明している。そして内側の状況だが、どうやら魔素体大禍以前の半田崎市の風景が魔素によって貼り付けられているようだ。半田崎市東部にはモニタリングポストが数基設置されているが、そのどれもが周囲にある物全てから魔素体の反応を検出しているようだ。いや、そもそもモニタリングポストのセンサーやカメラ自体が魔素に覆われているらしくまともに機能しなくなっている」

「……そもそもなんだけど、結良さんの『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』でここまで大規模な現象を発生させるのは可能なのかい?」

 明悟が結良に尋ねると、結良は少し悩むような表情を作りつつ「『拾い読み』は沢山の人の記憶を奪っているから……」と物憂げに前置きする。

「前に栄美ちゃんと試したんだけど、能力で造った道具が消える時間を先延ばしにする道具を造った事があって、その時は成功したんだけど、二人で別々に長持ちする道具を造った方が便利だったからあんまりやらなかった。一人分の『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』であんなドームを造ろうとしたら一瞬で消えるか造り出すのも出来ないかのどっちかだと思うけど、5人とか10人分とか使えたらこういう事も出来るかもしれない」

 なるほど17人分のシフト・ファイター能力の内の半分前後はもう既に使われている可能性があるのか。朗報かも知れないが、この規模の装置をまたもうひとつくらい造る事が出来るかもしれないのか(そもそも17人というのもわかっている範囲の数字で、実際はもっと多くの被害者が居るのかもしれない)。

「膜の中にもかなりの数の魔犬が残存している」

 磯垣が話を続ける。

「そしてその内の多くが半田崎中央駅北部の太陽光発電設備、つまり近隣のカサジゾウを集結させていた地点に集まってきている。カサジゾウの大部分は周囲の民家に避難させた後だが何機か破壊され残りは10機のみだ」

「随分、執拗に破壊するんですね」

 明悟はその報告を聞き、密かに胃の奥がきりきりする感覚を覚えた。無人戦闘ロボットも無論タダではない。一機数百万円はする高価な装置なのだ。戦闘に使用する道具なので破壊されるのは当然リスクの内だが、随分気楽に破壊してくれるじゃないか……。

「……『アドバンス・モデル』を試そうと思うのですが、可能でしょうか?」

 明悟の口から『アドバンス・モデル』という単語が出た瞬間、磯垣は少しだけ眉間に皺を寄せて、難しい表情を作った。

「そうか、今の『鶴城薙乃』なら、それは可能なのか……。わかった、準備をさせよう。

 地図に『合流地点』を表示する。まずその地点まで二人で移動してくれ。その間にこちらで『拾い読み』の居場所に目星を付ける。哨戒機への攻撃は見通しの良い場所か拓けた場所から行われたはずなので哨戒機が攻撃された位置から敵の居場所を割り出してみる」

「……わかりました」

「指示は薙乃君のマスクに搭載されたマイクから随時出す。だから結良君、薙乃君の出す指示はこちらから出た指示だと思ってくれ。だから必ず、それに従って行動してもらう。それは納得してもらえるね?」

 念を押すように言う磯垣に、結良は素直に「はい、わかりました」と返事する。

 準備、と言っても状況確認くらいしか無いのだが、それが済みいよいよ出発する段階になった。

「この周辺にも魔犬がまばらだが徘徊している。君達の能力なら恐らく大した障害にはならないだろうが、注意してくれ」

 磯垣の言葉を訊きつつ結良に目を向けると、どうも様子がおかしい。その場で足踏みしながら脚を伸ばしたり曲げたりを繰り返している。

「……結良さん?」

「ねぇ、これやっぱり大丈夫かな?」

 結良は片膝を曲げ片足だけで立ちつつ、曲げた膝を少しだけ外側に開き、暗に股を強調した。

「あ……」

 そう言えば、その案件については宙に浮いたままになっていた。

「下着もね、服と一緒に変身しているみたいでさ」

 下着!? 突拍子も無い只ならぬ単語に明悟は一瞬面喰った。

「変身前に穿いてた下着のデザイン的に絶対はみ出てるはずなんだけどそれが無さそうだから多分下着の方も変身してて、そうすると中の下着、かなりハイレグ気味の奴だからちゃんと押さえ付けてくれているのか」

「待て待て待て待て待って……、待って! 聞かれてる! 集音マイクでスタッフに聞かれているから!」

 淡々ととんでもない事を説明しようとしていた結良を明悟は全力で静止した。結良は驚いた様に慌てて口を両手で押さえるジェスチャーをした。

「うわぁああ、そっか、うっかりしてた、ごめん……」

「……もしかして、私が見て確認した方が良いのかい?」

「うん、出来れば仮面を取って……」

「それは……、見るなら取るよ、取るに決まっている」

 ほぼ承諾してしまったに等しい言葉だ。全く気が進まないが確認するしかないだろう。

 そんな所をまじまじ見る者など居ないからどちらでも問題無いだろう? という言葉が喉奥から出掛かったが、全力で呑み込んだ。女性のこういった問題を先延ばしたり抑え込んだりすると決して良い結果をもたらす事は無い、結婚生活と秘書の助言と一年程の少女としての生活である程度学んでいる。

 明悟は周囲を見渡しドッペルゲンガーの存在を一応確認し、バイザーを外した。

 監査結果については、ここでは省略する。


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