41 -捕食者と観測者-
明悟の仮面、だけでなく仮面を付けて作戦行動に従事するスタッフ達の仮面には全て、脳波を測定するセンサーが取り付けられている。自身をコピーしたドッペルゲンガーを視認した時の脳への負荷を観測するためのものだ。仮面を被っている時にドッペルゲンガーを見たとしても死ぬ事は無いが、それでも脳に対して若干の負担になると言われている。仮面の脳波センサーは戦闘員の生存を確認するための物と言うより、ドッペルゲンガーにコピーされたスタッフの脳波の変化をデータとして集めるための物なのだ。シフト・ファイターに変身した明悟の仮面は西洋甲冑のフェイスマスクのような形に変形しているが何故か脳波センサーやアイカメラは奇妙にも変わらず作動し続けている。元の変身前の仮面と相関関係を維持しつつ役割を継続しているという事らしい、奇妙極まりない(この現象は実は、一瞬だけ第二段階に変身出来ていた頃から確認されていた。この点を鑑みると、小手型ディスプレイの方も変身させた状態で通信機能を維持されられる可能性は高そうだが、今故意に試してみる気にはなれない)。
明悟は結良に視線を向けた。
結良は家族との通話を終えていた。視線を向ける明悟に対して何気無い表情のままスマートフォンを返す。そう、表情が見て取れてしまう。結良は今仮面を被っていないのだ。
「結良さん」
「ん?」
「……この辺りにドッペルゲンガーが居るらしい。その場で伏せて、視線を地面に向けて」
結良は緊張した声で「うん」と返事し、スマートフォンと両掌で顔を覆いながら素直にその場にしゃがむ。
明悟は周囲を見渡しながら結良の傍でしゃがむ。……この家にお邪魔した際に最初に窓のカーテンは閉めていた。今見渡してもこの部屋から屋外の景色は見えない。無論、この部屋の中に瑠璃色のドレスを着た自分の分身の姿など無い。
明悟は小手型タブレットの表示を確認した。警告をする黄色のバーに表示されていた時間は今から二分前。二分前? 結良が電話を掛けていた最中だ。もしかすると明悟が電話を替わっていた頃かも知れない。そんなタイミングでドッペルゲンガーなど視た覚えも無いし潜んで居そうな場所に視線を向けた覚えも無い。
「司令室、応答されたし」
明悟は仮面に内蔵された無線から司令室へ呼び掛けた。しかし、返事が無い。訝しく感じ、呼び掛けを続けながら小手型ディスプレイから司令室に繋ぐ。ディスプレイには司令室の様子が映されるが磯垣司令官はそこには居なかった。司令室の奥の方には他のスタッフの姿が何人か見て取れるが、何やら、緊張感のある只ならぬ雰囲気で話し合っている様に見えた。その様子ひとつだけで、明悟にはディスプレイのその映像だけで向こう側の異様な動揺と混乱が読み取れる気がした。
「……薙乃くん、無事か!?」
不意に画面外から磯垣が現れ、切迫した様子で尋ねて来た。
「ええ、二人とも無事です」
仮面から検出された脳波異常の警告は当然司令室にも送信されている。明悟がシフト・ファイターにコピーされている可能性は司令室側も把握している筈だ。それならばあちらから無事を確認する通信が行われそうなものだが、それは無く二分間も放置されていた。不自然な状況である。
「仮面のセンサーが脳波異常を感知しました。周辺にドッペルゲンガーがいる可能性が有ります」
「その事なんだが……」
椅子に座り居住いを正す磯垣は、普段よりやや落ち着きが無いように感じさせられる。
「薙乃君を含め仮面を被っているスタッフのほぼ九割のセンサーが同時に反応を示した」
「なに……、……どういう事ですか?」
思わず素が出そうになり、明悟は取り繕って訊き返した。
「幸い死者や失神者の報告は無い。しかし同時にこんな誤作動が起こると考え辛いが、だとすると仮面を被ったスタッフの九割がほぼ同時にドッペルゲンガーを視た事になってしまう。現在仮面を被ったスタッフの中でドッペルゲンガーと相対する状況にある可能性があるスタッフは君を含め限られた人数だけだ」
「……そのスタッフ達の共通点は?」
「現状ハッキリとはしていないが……」
「もしかすると、半田崎市が関係あるのでは?」
小手のディスプレイを見詰めていた結良が弾かれる様に隣の明悟の顔を視た。明悟は自分でも驚いていた。理由はわからないが反射的にそんな仮説が口を吐いて出た。脳裏に、小岩井の奴が真面目腐った顔で腕組みしている姿が浮かんだ。
「その点については現在急ピッチで確認中だ」
しかし明悟の指摘に対して磯垣は特に動揺する風も無く落ち着いたトーンで返答する。明悟と同じ閃きを司令室側も既に得ていたらしい。
「みんな同時にドッペルゲンガーにコピーされたっていう事?」
「……そうかも知れない」
結良の質問にそう答えてみたものの、事態は全く把握出来ていない。そもそも、今結良が口にした『みんな』という言葉の範囲がハッキリしない。いや恐らく明悟も結良も、その『みんな』の範囲が『仮面を被ったIKセキュリティのスタッフ』よりももっと広いだろうと、特に根拠の無い予感を胸に抱き始めていた。
不意にディスプレイの向こうから、男性の悲鳴に近い報告が聴こえてくる。言葉の内容は聞き取れなかったが声のトーンから何か重要な報告のようだった。画面の向こうの磯垣は途端、迷い無く立ち上がり、詳細を調べるよう指示を出しつつ席を離れて行ってしまった。
「いやねぇ……、大変な事になったよ」
代わりに横からひょいと現れたのは何故か老人駒木だった。
「半田崎市の膜の内側を飛んでいた自衛隊の無人哨戒機が、どうやら撃墜されたらしい」
膜の内側、半田崎市内部はプラネタリウム状の装置から乱発射された光線により昼間の明るさに満たされていた。いや、それは単に夜が昼になったというものではなく、根本的に風景が変質している。所々ヒビ割れ雑草が顔を覗かせていた荒れた駐車場のアスファルトは真新しさすら感じさせる色合いに覆い隠され、無人の廃墟と化していた筈のスーパーには灯が点り、買い物客すら出入りしていた。しかしそれはこの街で暮らしてきた女性達の記憶を立体映像の様に投射したものに過ぎない。シフト・ファイター能力で造られた装置により発せられた魔法の光が捻じ曲がり捻じ曲がり、偽物の街を浮き彫りにする。その全てが『拾い読み』の半身、
記録としての買い物客達に無視されているプラネタリウム状の装置の土台に貼り付く様に身体を寄せていた『拾い読み』は不意に土台から身体を剥がした。
「ええと……、成功?」
プラネタリウム状の装置の傍で成り行きを見守っていた『広報官(の偽物)』は『拾い読み』に恐る恐る尋ねた。
「……半分成功で、半分失敗です」
『拾い読み』は、放心したようにそう口にする。
「方法はこれで間違いありません。この方法なら、間違い無くわたしは半田崎市の分身になる事が出来ます」
「なら、どうしてまだ街と同化していない訳?」
「異物が、混じっているんです。この街を『記憶の中の半田崎市』として成立させない思念の波動……」
言葉はそこで区切られ、『拾い読み』はおもむろに空を見上げた。『広報官』もそれに倣う。
飛行機が一機、作り物の青空を横切っていた。自衛隊の無人哨戒機だ。
「『
立て続けに2回発動。一度目の発動で『拾い読み』の掌に現れた黒い結晶体は即座に煙になって地面に滑り降り、車輪の付いた台車に乗った細長い物体が姿を現した。
端的に言えばそれは『大砲』である。それも近代に入る前に用いられていたような鋼鉄の筒を手押し車に乗せた様な構造のノスタルジーすら喚起される古めかしいデザインである。
『拾い読み』は地面に固定されている車止めブロックのひとつをおもむろに蹴り上げた。ブロックは地面から剥がれてころころと跳ねるが、先程まで車止めブロックが有った場所にはプラネタリウムから照射された過去の記憶により、何事も無かったかのように蹴られる前の車止めブロックの姿が即座に投射された。
『拾い読み』は跳ね飛んだ車止めブロックを拾い上げ、大砲の砲身の中に放り込んだ。そして再び、上空を飛ぶ無人哨戒機を見上げると、途端、大きな鈴が内側から爆発するような音が響き、大砲の中から、黒い鱗粉を帯びた塊、魔素によりコーティングされた車止めブロックが飛び出した。撃ち出された黒い魔素を帯びるブロックは空を登る大砲の原理からは有り得ない放物線を描き、彗星のような黒い尾を引きながら上空を飛ぶ無人哨戒機へと向かっていき、右翼の付け根辺りに激突、魔素に籠められた思念により爆発を起こす。
「うっひゃあ……」
『広報官』は感嘆の声を上げるが、『拾い読み』は再び俯き「まだです」と不満げに漏らす。
「外部からの思念でこの半田崎市の完成が阻害されています」
「……どういうこと?」
「カメラだけなら問題無いんです。ただそこに意思を反映し自らの意志で駆動する機能が備わっていると、ある意味で一個の人間として判定せざるを得なくなる」
「それは、何か問題なのかい?」
「『わたし』の内側に、この半田崎市の内部に『魔素体大禍後の半田崎市』の姿を知る者が居るのは致命的なんです。その人物にとっては『平和だった頃の半田崎市の記憶』は今のこの廃墟に塗り替えられている。その思念は、半田崎市を完璧に過去のコピーにする大きな妨げになります」
「う~ん、だとしたら僕も邪魔じゃないかな? 魔素体大禍後の半田崎市を資料とかで何度も見てるよ?」
「何を言っているんですか? あなたはわたしじゃないですか」
「あ~、そうだった。自分自身はノーカンな訳だね」
「ヒト一人の思念だけならばわたしの出力で押し潰す事が可能ですが、先程の飛行機の『眼』の向こうには操縦者以外にもたくさんの人間が居ますから、対処する優先順位としては上です」
そこまで話をして『拾い読み』は不意に『広報官』から視線を逸らし、空を見上げた。それから、またプラネタリウムに自分の手を添えた。
「まだ、どこかから観測されている。でも空には何も居ない……」
「まさかと思うけど……」
『広報官』は魔犬制御のための本を手に取りながら、恐る恐る尋ねる。
「遠隔で駆動する機能が備わったカメラっていうのは、戦闘ロボットも含まれる訳?」
『拾い読み』は獲物の影に反応する獣の様な機敏さで、『広報官』の方を振り向く。
「それは……、はい、ダメです。絶対ダメ」
「半田崎中央駅の辺りに4台居るんだよ。今日の朝からずっと停まっている」
「今すぐ破壊してもらえませんか?」
『広報官』はそれに応える様に制御用の本をパラパラ捲りながら詠唱を口遊む。程無くして『広報官』は本から顔を上げた。
「4台とも壊したけど、どう?」
「いえ……、まだダメです
……ここから北? の方に数十人以上の人間が居る気配が有るのですが、わかりませんか?」
『拾い読み』がそう伝えると『広報官』は「えええ……、ナニソレ?」と呆気に取られたように驚いた様子を見つつ北の方向を一瞥した後、地図を取り出す為に車へ戻った。
「太陽光発電施設のカサジゾウはバラバラに移動させ、取り敢えず付近の民家に隠れさせた」
駒木老人から立て続けに、自衛隊の無人哨戒機の撃墜と半田崎中央駅に配置した4体のカサジゾウの破壊を訊かされた後、席に戻って来た磯垣司令官はそのように報告してきた。
「半田崎市を覆う青い膜の出現、スタッフへの微弱な脳波の異常と、これまで無視されてきた無人哨戒機とカサジゾウへの攻撃。やはりこれらには関連が有るのでしょうか?」
明悟は事態を纏める事を兼ねて、立て続けに発生する非常事態を列挙してみた。
「防衛線に向かって来る魔犬の連携が緩慢になっているのも気に掛かる。これらは全て、君達が有角魔犬を倒した事を機に行われている様に思える」
「……私達が有角魔犬を倒した事が『最初の人間』側の方針の軌道修正を促したというですか?」
「そういう見方も出来るが、憶測の域は出ないな」
「磯垣部長」
ディスプレイ上に新たなウィンドウが表示される。曳山博士の顔がそこにあった。
「脳波センサーの反応とスタッフの身元及び過去の作戦内容の照会が完了しました。やはり全員、半田崎或いはその近隣の住人、もしくは過去に半田崎市での業務に従事した経験があるようです。逆に反応の無かったスタッフは、経歴上半田崎市とは関わりが有りません」
「……」
「……」
「……」
ディスプレイに映る中年男性と少女達の顔は揃って強張っていた。
「そしてこれは未確認の情報ですが、大多数の自衛隊の仮面のセンサーにも同様の反応が検出されたようです。こちらの情報は今照会している最中ですが、恐らく結果は同様のものになるのではないでしょうか?」
「……問題は順序ではないかと考えている」
絞り出す様にそう口にする磯垣の声は、若干震えていた。
「まず有角魔犬の撃破、その直後に半田崎市が膜に覆われる。仮面の脳波センサーが反応したのは街が膜に完全に覆われた数分後、更にその数分後に無人哨戒機とカサジゾウの破壊。ここで不自然なのは、一連の派手な挙動にも拘らず哨戒機の破壊が最後に行われているという事。素直に考えれば偵察能力を持った無人機など真っ先に破壊されそうなものなのに今この瞬間までまるで興味が無いと言わんばかりに無視して来た。それがこのタイミングになって急に血相を変えて攻撃して来た」
「……本命の攻撃の、前段階という事ですか?」
磯垣司令官の言わんとする事を読み取り、明悟は重々しい口調で問い質した。
「或いは、何らかの理由で当初のなにがしかの計画が失敗したのではないかとも考えられます」
引き継いで話し始めたのは曳山だ。
「先程検出した脳波の波形は、仮面を被っている時にコピーされた場合に検出されるものとほぼ同一でした。しかし同時に、『仮面を被っていなかった半田崎市関係者のスタッフ』が倒れたり健康障害が出たという報告は全く上がって来なかった。これは『何らかの方法で』対象をコピーしようとして失敗した結果とも考えられます。仮面を付けていたから失敗した、のではなく、仮面の着用に類する妨害が行われたからコピーが失敗した仮説です」
『何らかの方法で』、と曳山は口にした。そう、この場に居る全員は方法は不明だがドッペルゲンガーに攻撃されていると断定した上で話を進めていた。明悟はちらりと隣で頭を突き合わせる結良の顔を盗み見た。結良の表情は強張ってはいたが目は見開かれ、ディスプレイからの情報を余す所無く受け取ろうとする緊張感が見て取れた。
「前段階にしろ攻撃の失敗にしろ哨戒機を破壊したのは次の攻撃の布石だろう。何らかの攻撃の失敗だとして、撤退のための目隠しという可能性もあるが……」
「それは、希望的観測が過ぎませんか?」
「ああ、希望的観測だ」
明悟の指摘に磯垣はあっさり同意する。
「無人哨戒機とカサジゾウが破壊される直前に撮影された映像ですが」
画面上の曳山が手元のキーボードを操作し、ディスプレイ上に、新しい画面を表示する。
「え……、なっ!?」
「……っ!?」
明悟と結良は映し出された映像に息を呑む。映し出された映像は昼間のように明るい。しかもカサジゾウの方の映像には、迫る魔犬達の先に人間の姿が映されていた。しかもそれは何の変哲も無い洋服を着た一般人の様に見える。仮面すら着用していない。魔犬に警戒する風も無く、ただ駅を利用しようとしている様にしか見えない、そんな無防備さが捉えられていた。
「これは一体、どういう事です……?」
何とか平静を保ちながら、明悟は質問をした。
「わかりません。ただ、これはほぼ主観なのですが、映っている人物はほぼ間違い無く偽物なのではないでしょうか?」
そう答えたのは曳山だった。曳山はまた敬語を使ってしまっていたが、明悟の方も指摘するのを完全に忘れていた。
「この明るさは半田崎市を覆っている青色の膜に因ると思われますが同様にこの人間達も膜を作ったのと同じ方法で作られたのではないかと考えられます。ただ、この偽物の製法については何とも言えません。しかしドッペルゲンガーの様な精巧な偽物では無いでしょう。撮影された駅前の映像だけ見てもかなりの人数が映っていますからこれだけの人数でも必要な魔素の量はかなりになります。魔素を引き延ばして、シールの様に景色に貼り付けるというのなら、それはそれで非常に大掛かりですが、まだ現実的だと思われます」
「これってつまり、半田崎市の、半田崎市に有ったもの全部のドッペルゲンガー……?」
結良が殆ど独り言を呟く様にポツリと、それを口にした。それは他の者達が脳裏に浮かべながらも無意識に結論付けるのを忌避していた仮説に他ならない。
「前例の無い事ですが、それも仮説のひとつとして有力だと考えられます」
曳山が不精不精、と言うよりも覚悟を決めた態度で、それに同意した(結良にさえ敬語だ。この場は敬語一択で乗り切ると決めたらしい)。
「あの膜の内部全てが半田崎市のドッペルゲンガーだとするならば、目的は半田崎市と関係のある人間を殺す事なのでしょうか?」
避けられない話題である事はわかり切っている。意を決して明悟はそれを質問した。
「理由は不明ですが、可能性としては無視出来ないと思います……」
曳山の同意でそれがハッキリと明言された。その場に重苦しい沈黙が圧し掛かる。
圧し掛かると思われたのだが、結良がアッサリと沈黙を打ち破った。
「倒しましょう。『拾い読み』を」
全員が思わず結良を見た。明悟の仮面の下には砕け散った窓ガラスの様な悲壮な驚きが浮かんだ。
「わたしも手伝います」
「結良、さん……」
明悟は窘める様に名前を絞り出した。
「君のシフト・ファイター能力は既に失われている。そんな事に付き合わせる事は」
明悟の言葉を遮る様に結良は無言で首筋に手を伸ばしシャツの中からペンダントを取り出した。ペンダントには金属の質感を持つ親指サイズの筒が吊るされていた。明悟は言葉を呑んだ。それが何を意味するのか、察せられてしまったからだ。
「薙乃さんと栄美ちゃんはわたしのシフト・ファイター能力を無くしたんじゃなくて白紙の状態に戻しただけなんでしょ? だからこれはさっきの能力とは違う、別の新しい能力」
「新しい……、能力?」
口に出したのは曳山。明悟程ではないが驚きを含んだ表情を浮かべている。一方、隣のウィンドウの磯垣は逆に落ち着いた表情をしており、唇を結び眉間に皺を寄せ、結良の在り様を見定めようとしているようだった。
「今度の能力は前のみたいに身体を作り変える様な能力ではありません。変身しただけで身体に後遺症が残る様な能力じゃないから」
後半は明悟の目を見ながら、射抜く様に明悟に言い聞かせる。
「その……」
明悟は、どうにかして彼女を止めねば、どうにかして説得しなければならないと考えを巡らせた。しかし『今の』自分は彼女を押し留める立場に無かった。正に自分が、結良を助けるために単身でこんな場所までやって来たばかりだからだ。
「君にそんな事をさせたくはない……」
それでも何とか止めさせなければならなかった。
「君を助けに来たのはそんな事をさせる為じゃないんだ。結良さんを安全に……」
「駄目だよ。そんな事言って、薙乃さんは独りで『拾い読み』を倒しに行くつもりなんでしょ?」
「……っ」
そう、それを言われてしまうとどうしようもないのだ。大人の理屈で結良を押さえ付ける事は出来ない。今の明悟は結良同様に女子高生の少女でしかないのだから。
明悟は助けを求める様にディスプレイの向こうの大人達に視線を寄越してしまった。寄越してしまわざるを得なかった。
「……我々に、悪い大人になる事を赦してもらえないだろうか?」
しかし磯垣が絞り出す様に明悟に発したのはそんな言葉だった。
「磯垣……さん?」
明悟は思わず部下の名前を呼ぶ。女子高生を辛うじて演じながら。
「自衛隊の爆撃機も先程の哨戒機への攻撃で飛行を中止した。半田崎市内のカサジゾウだけでは現状どうする事も出来ないだろう。君達に頼るのが一番確実性が高いという点は、主張せざるを得ない」
「薙乃君、君もわかっているんだろう?」
場違いにのんびりとした、そして柔らかな優しさを含んだ声で、磯垣の隣から駒木が現れて薙乃(明悟)を諭す様に発言する。
「君達二人でドッペルゲンガーを止めに行ってもらった方が成功率はぐっと上がる。我々大人としては君達二人に頼るしかないんだよ。我々大人の立場としては、原田君の厚意に甘えるしかない」
「……」
これは、駒木の気遣いである。磯垣が言うべきだが立場上口にし辛い苦言を、会長の友人である駒木が代弁したのだ。女子高生を諭す老人の様な立ち位置で。
わかっているのだ。膜を造った張本人であろうドッペルゲンガーは捨て置く事は出来ないし、戦いになるのなら『シフト・ファイター:原田結良』の力は大いに役立つだろう。本来、是が非でも結良の協力を取り付けるべき場面なのだろうけれど、今はむしろ結良が積極的に要らぬ苦労を請け負おうとしてくれているのに明悟がそれを止めようとしているのだ。ただ個人的な我儘が、どうしてもそれを拒んでいた。有角魔犬と戦っていた時の、結良の痛ましい姿が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「薙乃さん……、訊いて」
結良は寄せ合っていた頭を少し話して真っ直ぐ明悟の顔を見詰めた。彼女の瞳は揺るがない意志の籠った真摯な熱を帯びていた。心の底から思う、彼女がこんな瑞々しく鮮烈な熱意を向ける場所が地獄の窯の底のような場所でなければどんなに良かっただろうかと。
「あのドッペルゲンガー、『拾い読み』から今日、電話が掛かってきたの」
「『拾い読み』から……?」
「あの膜の事はなんにも言って無かったけど、ドッペルゲンガーが人間をコピーするのは獣が他の動物を捕まえて食べるのと同じ感覚だって言ってた。どんな気持ちでそんな事が言えるのかは私には理解出来ないけど、その『拾い読み』の気持ちというか食欲が、少しずつ膨れ上がっていったのは前からずっと感じていた。
『拾い読み』が魔法を使ったり何人もコピー出来るのはきっとわたしのシフト・ファイター能力を奪ったから。きっとわたしの能力が奪われなければこんな事にはならなかった」
「いやしかし、それで君が気負う必要は……」
「それはわかってるんだけど、でもそれでも『拾い読み』がわたしの能力を使ってまた人を傷付けようとしているのは変わらない。薙乃さんが、それに栄美ちゃんがわたしを心配してくれてるのはよくわかる。でもあのドッペルゲンガーはわたしが止めなきゃダメなの。あんなのを野放しにしたまま普通の女子高生の振りなんかもう出来ないよ。わたしが前に進めない……」
いつの間にか、明悟の小手型ディスプレイを身に付けていない方の右手に、結良の手が添えられていた。鶴城薙乃の手から伝わる熱に何かを求める様に、訴える様に。
「お願い、わたしに力を貸して……!」
……自分がもし本当の女子高生・鶴城薙乃だったなら。女子高生を演じている際に決断し難い命題にぶち当たった時、明悟はそのような視点を意識し問題を整理し、的確な判断のための助けとするようにしていた。今この時、自分が本当に女子高生・鶴城薙乃だったなら、このまま共に『拾い読み』を止めようとするのではないだろうか? だがその想像は、明悟に強い忌避感を抱かせるものだった。結良に、更に苦行を与える決断をしなければならない事に、どうしようもない拒否感で逃げ出したい程だった。しかし、結良の提案を受け入れる事が最適解だという事を理解している自分(明悟)も居て、自分の拘りは、只の老人の駄々/癇癪の様なものでもあるという理不尽な事実を否定したくても否定出来ずにいた。
「君の善意を都合良く利用しているようで怖いんだ……」
消え入るような声で明悟は口にした。自分一人では判断出来ない事を明悟は認めてしまい、弱音を吐いてしまった。そうせざるを得なかった。
「わたしのは全然善意じゃないよ。ただ『拾い読み』を倒したいついでに皆を助けるだけ」
結良は自らの頭を寄せ、明悟のこめかみに口元を埋め横顔を甲冑を模したバイザーに押し付けた。
「お互いに利用し合えばいいんじゃないかな? わたしが『拾い読み』を倒す為に薙乃さんを利用するみたいに、薙乃さんも、薙乃さんが助けたいものの為にわたしを利用すればいいんだよ。それならお互い遠慮する必要無いでしょ?」
その言葉は悪魔のように甘く、鮮烈な真摯さが込められていた。明悟の拘りが、罪悪感の残り香を微かに舞わせ、とろかされていくのを感じさせられた。
「……ついさっき、栄美さんにも似た様な事を言われたよ」
そう、結良の言葉で、先程の栄美とのやり取り、目覚めて掻き消える夢の記憶の様に忘れていた栄美の言葉を思い出した。
バイザーを押し付けない様に注意しつつ結良の頭の重さと仄かな熱を受け止めつつ、明悟は口にした。
「どんな事?」
「魔素体大禍の時、君達はお互いを自分の武器のひとつだと考えて、色々割り切っていたと言っていた。『
「うわー、それ凄い栄美ちゃん言いそう……」
「中々厳しい、いや、とんでもない子だったんだね、栄美さんは」
明悟は触れ合っていた頭を離して、結良の顔を見た。
「うん、凄く頼りになる友達だよ」
結良は力強い笑みで返した。
鶴城栄美は幼くして命を落とした。しかし彼女の残した足跡は結良の中に確実に力強く残されていた。そして結良や明悟は、彼女の歩んだ道を辿り更にその先を進む者である。栄美の人生は決して無意味なものではなかった。明悟は、それを証明し続けている結良の在り様にこれ以上無い程の感謝の念を抱いていたのだが、多分これは、一生結良には伝わる事は無いだろう。
「……わかった、絆されたよ。人々の命を守るために私に力を貸してほしい」
「もちろん」
笑顔で同意された。
孫娘の友人を死地に送らねばならない。栄美が辿り着けなかった世界のその先に行くために。
「いや~、でも」
不意に結良は、バツの悪い苦笑いを浮かべた。
「確かに、栄美ちゃんの言いそうなセリフで真似してみたんだけど、まさか栄美ちゃんが既に同じような手口を使っていたとは……。あー、なんかこれカッコ悪いな、恥ずかしい……」
緊張感の抜けた砕けた様子に明悟もつられて笑ってしまう。
ふと、視線の端に小手型ディスプレイの映像を捉えた。ディスプレイの向こう側には、三人の老人と中年男性がそれぞれ視線を泳がせながら居心地の悪そうな曖昧な笑みを浮かべていた。待て待て、そんな青春の一頁を見せられて居た堪れなくなっている様な表情は控えてくれ。こっちが身悶えしたくなってしまうではないか。
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