第六話:被覆される都市
39 -インターミッション-
「その空色の壁はドーム状の形をしていて、どうやら半田崎市全域をすっぽりと覆い尽くしているようだ」
明悟が手に持った小手型ディスプレイに映し出された磯垣司令官は、真剣な表情でとんでもない事を言い出した。
有角魔犬を撃破した直後に明悟と結良はその場を移動、今は無人の民家のリビングに身を潜めていた。明悟がバイクを乗り捨てた場所の近くだ。この民家に移動する間も西方面に突如現れた水色に輝く壁は暗い夕闇空に向かって伸び続けている様子が見られた。しかし、この壁が半田崎市全体を覆っているだと? 途方も無い、そして意味が解らない。
「画像を出そう。自衛隊が撮影したものが有る」
そう言いながら磯垣はキーボードを操作する。次の瞬間明悟と、隣でディスプレイを観る結良は息を飲んだ。
映像は地上から、それもかなり退いた場所から撮影された場所。夕闇が深まった開けた平地で地平線の方にカメラを向けて撮影された画像らしいが、地面の果てには夜空は無く、代わりに非常に巨大なドーム状の水色の物体が地平線いっぱいに鎮座している様が映し出されていた。手前の地面や傍の戦車などは薄暗い夜の闇に溶け込んでいるのに、遠くに見える空は空色の光に満ち溢れており、全く関係ない二つの写真をコラージュした様なちぐはぐな光景に思えた。
「蒲香の防衛ラインから撮った写真だそうだ」
小手の小さな画面に映し出された水色の輝きを明悟と結良は頬を寄せ合いながら喰い入るように凝視していた。
「この空色の、ドーム状の『膜』の高さはてっぺんまで約150メートル、半田崎市のほぼ全域に覆い被さる程の面積を有している」
『膜』という言い回しに明悟は妙な新鮮さを覚えた。しかし確かに、先程結良と見た水色に輝く壁が迫上がってくる光景は、街ひとつがゆっくりと膜に覆われる前段階と言えなくも無かった。
「膜の内側はどうなっているのですか?」
「……これも中々信じ難いんだが、膜の中は昼間になっている」
そう言いつつまたキーボードを操作する磯垣。闇に浮かぶ眩いドームの映像と入れ替わる様に映し出されたのは先程とはまた別種の明るい景色。そこに写っていたのは真昼の陽気に照らされた街並みだった。
「これ、半田崎中央駅……?」
結良が呟く。その通り、半田崎中央駅の風景だ。バイクに乗って結良の元へ向かう前に見せられた映像とほぼ同じものだ。恐らく駅前で静止したカサジゾウからの映像、周囲に魔犬数頭の姿も映し出されている。
「これは……、リアルタイムの映像ですよね?」
明悟は以前ほぼ同じ質問を全く違う立場で口にしたのを思い出しながら尋ねた。
「ああ、その通り。特徴的なのは、この膜の内側にも太陽が昇っているという点。これは勿論本物の太陽では無く、膜に太陽の姿が映し出されているだけなのだがね」
「……ただの光る膜では無く、膜の内側に空の景色が『再現』されているという事ですか?」
「『再現』……? そう、『再現』だ。曳山博士や駒木先生もその部分を嫌に強調していたよ」
明悟が直感的に選び取った『再現』という言い回しに、磯垣は予想外に喰い付いた。逆に明悟の方が内心戸惑った程だ。
「因みに魔犬の攻撃はまだ続いている。だがこちらは最初の頃と比べると随分疎らで、緩慢になっているな。『移動』するにしても、今なら比較的安全だろう」
ここで磯垣が『撤退』や『帰還』ではなく『移動』という単語を使った事にどういう意図があるのだろうか? という余計な勘繰りをしそうになった。変身能力を失った結良を抱えてここから何かアクションを起こすなど考えられない。
「あの膜が何なのか、現状では不明、という事ですね?」
だがそう勘繰った明悟自身がこんな質問をしてしまう。いやこれは、あくまでもリスク管理の一環だ。
「現状わかっているのは以上だ。今研究チームの面々がコンピューター越しに格闘しているからもう少しすれば纏まった情報が得られるかもしれないが……?」
「わかりました。取り敢えず、何よりも先に行わなければならない用事が有ります」
「と言うと?」
「結良さんのご両親への連絡です」
明悟のこの言葉に、当の結良本人が「ふえ?」と間抜けな声を上げて訊き返した。
……暫く後、結良はバイクのバッグに納めていた携帯電話で電話を始めていた。自分の携帯電話は多那橋駅のコインロッカーに預けて来たと言うので、念のために用意していた会社の携帯電話を貸したのだ。電話番号も、既に小岩井によって調査済みだ。結良が電話越しに自分の名を名乗ると驚きの籠った悲痛な声が明悟の方にも聴こえて来た。
魔犬の侵攻を知らされた後、真っ直ぐ帰ってくるはずだった自分達の娘が最寄駅からの電話を最後に、帰宅せずしかも数時間以上連絡が取れなかったのだ。結良の両親からすれば生きた心地がしなかっただろう。しかも結良には、魔素体大禍の際に一週間近く行方不明になっていた『前科』もある。親御さんの心配を想像すると明悟自身が身を切られるような苦痛を感じさせられた。ある程度の安全を確保出来た段階で必ず結良のご両親に電話をさせようと心に決めていた。
結良が電話で口にする内容は、事前にある程度話し合われ決めておいた。
「うん、駅で身動きが取れなかった時に偶然学校の友達に会って、その娘(こ)の親の会社の車で途中まで送ってくれるって言ってくれたから送って貰って。……、うん、あの、鶴城さん、なんだけど。……、えと、鶴城薙乃さん、栄美ちゃんの親戚みたいなもので。……、うん、そう、仲良くなって。……、それで多那橋駅から移動したんだけど、途中で自衛隊と魔犬の交戦が始まって、安全の為に出来るだけ遠くに移動しなければならないって話になって、今、浜松の方に居るの。……、うん、ちょっと電話する余裕が無くて。……、お母さん達は今どこに居るの?……、えー、わたしが帰らなかったら先に逃げててって言ったじゃん」
電話越しに淀み無い嘘を吐く結良と明悟は眼が合った。シフト・ファイターに変身した時に仮面を無くしたらしく、制服姿の結良は素顔だった。平然と親に作り話をする結良の表情は落ち着いており、淡々と親を騙す結良の眼遣いに蠱惑的な空気を見て取り明悟は内心ドキリとさせられる。……微かに浮かんだ馬鹿馬鹿しい感情を押し殺しつつ明悟は電話を自分に差し出すよう手で促す。
「……お電話替わりました。わたくし、鶴城薙乃と申します」
明悟は、学校で教師達に接する様な落ち着いた態度を意識して学友の母親に挨拶をした。電話口の結良の母親は少し驚いたような様子で自己紹介をし返した。
「この度は、娘がお世話になっています」
結良の母親は柔らかだが恐縮したような態度でそんな事を言って来る。つい先程までの結良の様子を鑑みると、決してそんな感謝をしてもらえるような状態では無かったのだが、演技は続ける。
「いえ、寧ろ差し出がましく結良さんを送り届けようとしてしまったせいでそちらにご心配をお掛けしてしまいまして、本当に申し訳ありませんでした」
明悟が恐縮した態度でそう言うと、結良の母親は努めて明るく無事がわかって何よりだ、という様な返答をしてくれた。
その後明悟は(多分あちらも把握しているだろうが)『薙乃』の父親の身分を明かし、会社の大人達は皆忙しく、安全も十分確保出来ない状態なので今日一晩は取り敢えず浜松の会社で結良を預かる旨を伝え、母親もそれに同意した。何やら全幅の信頼を寄せられているようで、都合は良かったが内心居た堪れない気持ちにさせられた。
「あなたは、鶴城栄美さんとはどういう関係なの……?」
結良の母親がそんな質問を投げ掛けて来た。
「……わたしは栄美さんの祖父の養子で、一応栄美さんの義理の叔母という立場になります。栄美さんの事は……、義父と結良さんから聞きました」
「結良とは仲良くしてくれているのね」
「はい」
素直に返事してしまったが、返事した後に、その言葉の重さに自分で驚いてしまった。
「これからも結良を宜しくね」
結良の母親のその言葉に明悟は言葉を一瞬失ってしまったが、何とか「いえ、こちらこそ」という様な言葉を返せた。
電話をまた結良に替わる。
どうやら父親との会話を始めたらしい結良を尻目に、明悟は小手型のディスプレイ端末を操作して、現在の魔犬の分布状況を確認しようとした。……この小手と同化したディスプレイは明悟がシフト・ファイターの『第二段階』に変身した際に他の服同様に瑠璃色の小手に変身してしまったのだが、通信手段確保の為に瑠璃色の小手だけ外して身体から離すと、速やかに黒い魔素を噴き出し、本来の小手の姿に戻った。衣服は、明悟の肉体との繋がりを断たれると、即座に魔素の収束を失って、元の形状に戻ってしまうらしい。そしてまたそれを腕に付け直しても小手は瑠璃色の西洋甲冑のような形状に変身する事無く、ディスプレイ付きの情報端末のままだ。このディスプレイ端末の小手に『
……やれやれ、研究者達が喜びそうな案件が満載ではないか。しかしそんな『戦後』の事に思いを巡らすのは時期尚早も甚だしい。取り敢えず結良を無事保護出来たのは良いが、あの巨大な空色の『膜』の事もあり、事態が好転しているのか悪化しているのかまだよくわからない。
そのような考えを巡らせながらディスプレイに目を遣る。そしてその表示はすぐさま明悟の目に飛び込んだ。ディスプレイに下部に見慣れない黄色のバーが表示されている。そこには異様にハッキリした文字でこう書かれていた。
異常脳波検知:ドッペルゲンガーにコピーされている可能性が有ります。
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