序章:魔犬捕獲

1  -少女と老人-




 五月上旬、雲一つない晴天だった。


 山間の拓けたその土地には一本の、町と町を幹線道路が太く長く東西に伸びており、その両サイドにはまばらな民家と、農地が平地を囲む山の尾根まで広がっている。

 だがそれら四角形の区画で整然と並ぶ田畑の全てには、雑草が無秩序に生い茂り作物が育てられてはいないと一目でわかる有様だった。広がる農道、農家には人の気配が無く、打ち捨てられた田畑にはただ突き抜けるような高い空と虚無なる時間が鎮座しているだけだった。

 

 そんな中、幹線道路と農家を支配する静寂を引き裂くような駆動音が響く。


 それは東側から列を成して走る車軸の集団。

 先頭は八輪走行で亀甲の様な厳つい鋼板で覆われた装輪式装甲車。天井に機銃を装備した物々しい車体は市街地での運用を意識してか白黒のモノトーンの迷彩色で塗装されている。

 後方に続くのはやはりモノトーンの迷彩色の、荷台に幌が張られたトラックが二台。その次には荷台がシートで覆われた白の塗装のクレーン付きの四tトラック(唯一迷彩色で塗られておらず、一段の中で妙に浮いている)。そして殿には先頭のモノと同じ機種の装甲車が続いている。


 計五両から成る仰々しい一団はゆっくりと上下車線両方をめいいっぱい使い、誰も居ない、何の気配も感じられない沈黙の田畑を真っ直ぐ走り抜けていく。




「……しかし、詮無い事なのだろうけど」


 前から三番目の車両、車列の中心を走る幌付きのトラックの荷台から、この威圧感溢れる車列に似つかわしくない、どこか緊張感の無い老人の声が響いた。


「窓ひとつ無いトラックに長時間乗っていると、ちょっと手持ち無沙汰になるよね」

 幌が張られた荷台の両サイドには横長のベンチが取り付けられており、二人の人物が、本来なら兵員が一杯に並ぶであろう広いスペースを持て余し気味に向かい合って腰掛けていた。


「景色が見えない中を何キロも移動するというのは中々退屈なものだね」 

 向かい合う二人の人物の片方、老人の男性がお道化るようにぼやく。年令の程は六十代後半から七十代前半、痩身で温和そうな表情の彼の服装は青と白のチェックの長袖シャツと紺のベスト、トレッキング用の黒のズボンという登山者か何かのような格好で、膝にヘルメットと、白い仮面を乗せている。


「ああ……」

 向かいのもう一人の人物はそれを受け、曖昧に呻き、思考を研ぎ澄ませるように目を細めた。


 もう一人の人物は長身の美しい少女である。年の頃は恐らく十代中盤から後半といった所、端正な目鼻立ち、淡い薄紅色の唇、肩に流れる艶やかな黒髪は洗練された女性の美しさと少女の無垢を両立させた非常に魅力的な容姿である。しかし軽口を叩く向かいの老人に向ける眼差しは異様に鋭い。そこに含まれている感情は老人を咎める怒気と言うよりもこれまで少女自身が『視て』きた苦渋が眼付きとして出力されている様な深く重々しい物。年頃の少女が本来持ち得ないはずの眼差しだ。服装は全身、水色に灰色を含めた色の、厚手の綿製作業着のような上下を着込んでいる。そして目の前の老人と同様に、膝にはヘルメットと白い仮面を乗せていた。


「一応、窓枠が開いていてカーテン状の垂れ幕を上げ下げするタイプや透明なビニールを張ってある幌も存在する」

 鋭く怜悧な眼差しの少女は自身の背後の幌を掌で示しながら言う。その声はややアルトで落ち着いており、口調は淡々としていてどこか横柄ですらある。年の差が有る老人相手の喋り方としてはひどく違和感がある。

「しかしそれを採用しなかったのには理由がある」

「へぇ、どんな?」

 明らかに不遜な態度の少女に対して老人は何も疑問を挟む風も無く、少女の話に聞き入る。

「窓で外が見えてしまうとドッペルゲンガーと目を合わせてしまう可能性がある」

 感情の起伏が乏しい口調で少女がそう言うと、老人は一瞬ハッとした表情を見せた後、バツが悪そうに笑った。最も基本的な脅威に対して考えが至らなかった事を恥じているらしい。


「まぁ、言われてみるとそうだよねぇ……。

いやね、昔の映画のイメージだけど、幌を張った狭くて暗いトラックの荷台に兵隊さんがぎゅうぎゅうに押し込められて長い距離を移動する、みたいなシーンがあるじゃない? あれ見るたびに窓ぐらい有ればもうちょっとしんどくないんじゃないのかなって思うんだけどね?」

「ああ……」

「実際あるんだね。窓がある軍用トラック」

「……いや、実際『魔素体大禍』以前の自衛隊のトラックの幌には窓が付いている物も多く採用されているが、なまじ窓が有ると開けるか開けないかという選択肢が発生してしまう。『ウチ』としては『魔素体』の相手が基本的な仕事なのでな、最初から窓が無い幌を採用している。万が一窓を開けている時にドッペルゲンガーの群れになど遭遇してしまうのは非常に拙い」

「不必要な機能はスポイルされる訳だね」

 老人の方は何故かしみじみと納得する。


「ふむ。しかし……、こういうトラックに押し込まれた兵隊さんは長時間の移動で何をして時間を潰しているのだろうね?」

「ああ……」

 少女がまた低く呻き、しばし考えを巡らせたが

「考えた事も無いな」

と無感情に返した。

「コンセントレーションを高めているといった所じゃないのか?」

「それこそ映画の中でだと」

 老人の方が楽しげに思い付いた事を口にする。

「誰かが懐から家族の写真を取り出して眺めていて隣の相手と身の上話で盛り上がるシーンなんてよく見掛けるよね」

「……人物の肉付けにしばしば観られるくだりではあるが。その後写真を持っていた兵士は大概死ぬか、酷い目に遭うかというのがお決まりの流れだな」

「そうそう。『この戦争が終わったら、家族に会いに行くんじゃなかったのか!?』とか言われながら」

 そんな演技をしながら老人は虚空に倒れる透明な兵士の身体を激しく揺すった。それに少女は「ふふふ……」と小さな笑いで応えた。


「……ところで、話は変わるんだが」

 少女は静かに居住いを正して老人に対して少し身を乗り出し顔を寄せた。

「ん、なんだい?」

「いや、そう言えば駒木こまきの孫の顔を見た事が無いと思ってな。写真が有れば見せてくれないか?」

 少女が真面目腐った顔でそう言うと、駒木と呼ばれた老人は一瞬きょとんとした顔をしてから後、大爆笑した。

「ふう、ははは、酷い事を言うじゃないか、君も」

 ひとしきり笑い終えてから駒木老人は返す。

「生憎だけどね、孫や家族の写真は持ち合わせていないんだ」

「ふむ」

「いや、そもそも僕みたいな奴は家族や孫の写真を持ち歩く資格は無い、持ち歩くべきじゃ無いと思うんだよね」

「ん、何故だ?」

「勝手に危険な場所に行って勝手にくたばる様なジジイが家族の写真なんて持つべきじゃないね。もし死んだときに懐に後生大事に子供や孫の写真なんて隠していたら遺された者を余計に悲しませる。老い先短い馬鹿な老人が好き勝手にやって一人で死んだと思ってもらう方が賢明だよ」

 予想外の言葉に少女は一瞬眼を見開いて驚いた後

「なるほど」

鋭く美しい眼差しを細め、神妙に頷いた。


「斯く在るべき、だな」




 その後も、トラックに於いて祖父と孫ほどの年の差の二人は長い沈黙と単発的な会話を繰り返しながらも車に揺られていた。


 ある時、トラックがゆっくりと速度を落とし、やがて停止した。

「自衛隊の検問だ」

 おや? という表情を浮かべた駒木に少女は端的に教えた。


 トラックが完全に停止した直後、トラックの運転席側の助手席の扉が開き、少女のそれとほぼ同じデザインのユニフォームと白い仮面を身に付けたがっちりした体格の男性が降り、足早に掛けていった。彼はこの『輸送』部隊の隊長である。


 程無くして手続きを済ませたらしい隊長は足早にトラックに戻り、助手席に乗り込み無線で手短に指示を出すと、最前列の装甲車から順番に車列は再び動き始めた。

「……積み荷を検査するとか、そういうのは無いんだね」

 走行再開後、停止地点から十分な距離が取られたであろう辺りで老人の方がおずおずと口にする。

「彼らの目的は東側から民間人が迷い込むのを防ぐ事と『魔素体』出現時の即時対応だ。我々を調べる事は任務に含まれていない」

「なら当然帰り道の『積み荷』も調べられる事は無い?」

「無論だよ」

 駒木老人は微妙に釈然としないといった風に顔を顰める。


「疑問に思ったりしないもんかね、検問の自衛官は?」

「積み荷の正体をか?」

 と質問に質問を返しながら少女は自分自身を指差した。

「表向きはいつものモニタリングポストと戦闘ロボットカサジゾウのメンテナンスという事になっている。事前にそう連絡もしているし疑問を持たれないのだろう」

「……ああ、信頼されているんだね」

「……どうした? 怖気づいたのか?」

 駒木の顔を覗き込み、微かに慮るようなニュアンスを含みつつ少女が問い掛けると、駒木は半笑いしつついやいやいやいやと手の平を振りかざす。

「余りにもあっさりだったから疑問に思っただけだよ。

 なるほどねぇ、真実の中にほんの少しだけ嘘を混ぜるとバレないみたいな、って、うおっと!?」

 会話中、突如として襲ってきた激しい車体の揺れに、駒木老人は素っ頓狂な悲鳴を上げつつ身体を揺らし、幌とベンチに両手を突いて身体のバランスを安定させた。少女も足の間を少し開けて座りながら踏ん張る。

「急に揺れるねぇ」

「谷間の山道だ。しばらく揺れるぞ」

 落ち着いた少女の宣言通り、車体はしばらく左右に大きく振れながら進んだ。それに併せて荷台の二人も身体を傾ける。


「後ろのトラックは、この道大変だろうね?」

 そう言いながら駒木は荷台の出入り口の幕の向こう側について来ているであろうクレーン付きトラックを顎で指し示した。

「……『大禍』以前は毎日この道を大型トラックが何台も行き交っていた。かつての大自動車工場地帯と多那橋(たなはし)市にあった部品工場や湾港を結ぶ最短ルート、バイパスになっていたからな」

「外は見えないけれど道幅もそんなに広くないでしょ? こんな道をトラックですれ違うなんて考えただけでも怖気が走る」

「私も御免被る」

「プロは凄いんだねぇ」

「……この道を抜けさえすればすぐ半田崎はんだざきに出る。移動はもう少しだ」




 渓間に沿って敷かれた道路を抜けた車列はしばらくまた荒れた田畑が広がる平坦な道をしばらく進むと、まばらな家屋の割合が少しずつ増え、やがて市街地と呼んで差支え無い街並みの中を突き進んでいた。差し支えは無い、のだがその街の中も非常に閑散としており、人の気配が一切感じられない。よく観察すれば道路や歩道はしばしばひび割れており、そこから雑草が顔を出している。

 道幅が広い道路が二本交差した地点で車列は二手に分かれた。先頭の装甲車と駒木と少女が乗るトラックはそのまま幹線道路を真っ直ぐ西へ、残りの三台は十字路を曲がり南の道を進んだ。


「そろそろ目的地です」

 二手に分かれてからしばらく進んだ後、運転席側から隊長が内窓を開いて荷台の二人に告げた。少女は凛とした口調で「わかりました」とそれに答えた。


 少女はゴムバンドを取り出して長い髪を後ろに纏め、その上からヘルメットを被る。

 その後、指先を露出させたグローブと深緑色の小手が一体になった様な器具を左腕に身に付け、ベルトで固定させた。手の甲の部分に小さなディスプレイが取り付けられており、少女がそれに指で触れると、ディスプレイには灯が点り、地図らしき映像を表示させた。

 

 やがて装甲車とトラックの二台は道路の途中で停車した。


 停車を見計って少女は立ち上がりヘルメットと共に膝に乗せていた白い仮面を被る。プラスチックの質感の仮面は顔の曲線に併せてカーブを描いているだけのシンプルかつ無機質なモノで、口と鼻の部分にメッシュ状の空気穴が有り、眼の部分はガラス状のプレートになっており視界は確保されているが、外からは真っ黒になっており中の表情は判断できない。顔面が完全に覆い隠される構造だ。仮面のこめかみの上部辺りの両サイドに、ゴーグルのような太い蔓が伸びており、蔓の根元の螺子を回すことで蔓が頭部を咥え込むように締め付け仮面が外れない様に固定する。締め付けた後、少女は仮面を引っ張って固定を確認する。

それが済むと少女は、座席の下から大きなケースを取り出し、蓋を開けた。


 中に入っていたのは一挺のアサルトライフル。

 少女は躊躇無くケースからそれを取り出すと、一緒に入っていたマガジンを銃身に差し込み鋭い動作でコッキングレバーを引く。

 

 アサルトライフルの負い紐を肩に掛け、白い仮面に覆われた顔を駒木に向け「それでは、行ってきます」と改まった口調で言う。駒木は少女の口調の変化に目を剥いてきょとんとした表情を見せるが、少女が仮面越しの視線と指差しで素早く運転席側を示したので、駒木は「うん、ああ、そうだね、気を付けて」と慌てて取り繕う。……トラックは停車している。なので二人の会話は走行音で掻き消えない。


「荷物をお預かりします」 

 少女が努めて生真面目な口調で、駒木の隣に置かれたスポーツバッグに手を伸ばす。そして駒木の「ああ、うん、よろしく頼むよ」と言う返答を聞き終らない内にスポーツバッグをアサルトライフルとは反対の肩に掛けた。


「じゃあ、行っておいで、薙乃なぎの君」

 薙乃と呼ばれた少女がトラックを降りようとしたその時、ややわざとらしいニュアンスで送り出す言葉を口にしたので、少女は老人を一瞥した。駒木は目元の皺を深く曲げて面白がるような表情をしており、薙乃は表情の隠された仮面の下で顔を顰めた。



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