立ち止まる影

逢雲千生

立ち止まる影

 

 これは、小学校時代の友人から聞いた話なのだが、少し変わった怖い話だった。


 たつなかは小学五年生の終わり、自宅のが大嫌いだったと言った。

 彼の実家はらくのうをしていて、牛に与える干し草の管理を、彼は任されていた。

 管理といっても、保管場所の納屋で雨漏りはしていないか、動物が入り込んでいないかなどを調べ、毎日、夕方に掃除をするのが仕事だったらしい。


 納屋の広さはそれほどでもないが、干し草の保管のために設けられた二階が広く、四階はあろうかという高さを、ほぼまるごと、区切りなしで使用していたという。

 二階へは、木のはしごで上がり、二階の床は干し草を下ろしやすいようにと、三分の一ほど床板が取り払われていて、下から天井までが丸見えだった。


 彼は毎日、朝晩の見回りをして、学校から帰宅すると真っ先に掃除をするほど、この仕事が好きだったという。

 今の固められた干し草と違い、昔ながらの柔らかい干し草が大好きだったそうだ。

 毎日こっそりと干し草の上に寝転がっては、密かな幸せにひたっていたというが、そんな彼が納屋に行くのを嫌がるようになったのは、五年生に進級してからだった。


 いつも通り掃除をして帰ろうとすると、背後から視線を感じた。

 気のせいだろうが、念のためにと振り返るが誰も居ない。

 また帰ろうと背を向けると、やはり視線を感じるが、振り返っても誰も居なかった。


 それが何日も続き、だんだんと怖くなった彼は、家族に納屋の中を見てもらったが、人の気配も動物がいた痕跡も見つからず、嘘をつくなと怒られてしまったという。

 それでも仕事は続けていて、不思議と二階に上がると視線は感じなかった。


 早く掃除を終わらせて、干し草の上で横になろう。

 そうすれば、嫌なことも忘れられる。


 それだけを楽しみに、見回りと掃除をしていたのだが、ある日もう一つ気がついた。

 視線を感じるのは必ず夕方で、それも掃除をしている時だけだ。

 もしかして、と時間を調べると、毎日、決まって午後の四時前後に掃除をしていたことがわかり、もしかして、とさらに調べると、午後四時ちょうどに視線を感じることがわかった。


 これはどういうことなのだろうか。

 立中は急に怖くなり、納屋の管理をしていた祖父に聞いてみたが、午後の四時頃に来る客はいないと言われ、嫌な予感がした。


 何日もかけて調べた視線の時間は、間違いなく午後の四時で、その時間は誰も納屋に近づかない。

 このままでは掃除ができなくなるし、唯一の楽しみもなくなってしまうと思った彼は、ある日、学校が終わるとまっすぐ家に帰り、掃除を急いで終わらせて二階に上がると、午後四時になるのを待った。


 いつもは時間がかかって四時を過ぎてしまうため、視線に気がついた時にはもう、視線を感じる方向を見られなかった。

 ならば、視線を感じない二階で、四時になるのを待とうと決め、彼は念のためにと、ほうきを握って息を潜めていたのだ。


 納屋の一階にある壁掛け時計が四時になった。

 そろそろだ、と箒を握る手に力を込めると、三分の一ほど空いた空間に人影が見た。


 ゆっくりと奥から来る人影に、泥棒かと思って箒を両手で握りしめたが、いっこうに姿が見えない。

 人影は動いて近づいているのに、人の気配がしなかったのだ。


 これはおかしいと、床に這いつくばって下を覗きこんで驚いた。

 人影だと思っていた影の持ち主は、全身真っ黒の何かだったからだ。


 思わず悲鳴を上げそうになったが、こらえて頭を上げると、あれは何だとパニックになりかけた。

 人であれば、薄暗くても人に見える。

 だがあれは、本当に真っ黒だったのだ。


 もう一度ゆっくり下を覗きこむと、黒い何かは影のように見えた。

 これが幽霊なのだろうか、と考えてじっと見つめると、影はゆっくりと出口に向かって歩き出した。


 のっそり、のっそりと、重たい感じに動く影は遅く、お世辞にも怖いとは思えない。

 それでも不気味に感じて、声を出してはまずいと口を手で押さえると、閉まっている出入り口の前まで来た影は、立ち止まって動かなくなってしまった。


 どうしたのだろうかと、口から手を離した時、影はすうっと消えてしまった。

 後には何も残らず、恐る恐る下りて一階を確認しても、あの黒い影はどこにもいなかった。


 次の日も、また次の日も、同じように二階で待っているが、黒い影は閉まったままの出入り口の前で止まり消えていく。


 ここまでを自分に話し、彼はどうしたらいいのかと、同級生の自分に自分に相談してきたのだと言った。

 正直、ほとんど覚えていなかったのだが、彼は気にせず続きを話してくれた。


 話を聞いた自分は、彼にこう助言したという。


 まず、影が現れる前に姿を隠し、出入り口は開けておく。

 そして影が外へ出たら、すぐに扉を閉めて外からひらけなくし、何があっても絶対に開けてはいけない。


 聞いたその日に実行した彼だったが、やはり影は開いた出入り口の前で止まり、消えてしまったらしい。

 その事で彼は嘘つきと自分のことを責めたらしいが、その答えは後日わかったという。


 その日は先生と話があって帰宅が遅れ、四時少し前に掃除を始めたという。

 嫌な気持ちを抱えながら掃除をしていると、また視線を感じてしまい、掃除の手を止めた。


 怖い怖いと震えながら振り返ると、いつもならば誰も居ないはずなのに、その日に限って、あの影が立っていたのだ。

 影は納屋の奥からゆっくりと彼に向かって歩いてきて、彼は恐怖で動けなくなってしまった。


 助言をした自分への悪口を心の中で言っていたらしいが、影は一定の早さで出入り口へと歩いて行く。

 彼の横を通り過ぎ、出入り口の前まで影が来た時、彼はふと、自分の助言を思い出したという。


 すぐに出入り口を開けると、影は消えず、しばらく立ち止まっていた。

 そこで彼は、怖い気持ちを我慢して、

「どうぞ」

 とだけ言ったという。


 すると影は動き出し、彼の横を通り過ぎる時に再び止まると、彼に向かって頭を動かすのがわかって、慌ててうつむいてしまった。

 視線の先に黒い影の足下が見え、影からの視線を感じたまま、動かない影に恐怖を感じる。


 間違えてしまったのだろうか、と焦り、顔を上げてしまった。

 こちらを向く真っ黒い顔を見上げてしまったのだ。


 このまま死んでしまうのだろうか。


 そんな考えが頭をよぎったが、影は何もせずに前を向くと、またゆっくり歩いて外へ出て行った。


 助言通りに扉を閉めて、かんぬきをかけると、それから母親が心配して扉を叩くまで、少しも動けなかったという。


 今考えてみると、あれは何だったのかというよりも、どうしてあんなところにいたのかと不思議に思っていて、ぜひとも教えてくれと言われた。

 だが、そもそも記憶に無いものを教えられるわけがないと答えると、彼は不満げに酒をあおった。


 立中とは時々飲みに行くが、彼も心霊系は好きなようで、会う度にたくさんの実体験を聞いてきたと話してくれる。

 酔っ払いながら聞いたままに話してくれる彼に、今日も自分は静かに耳を傾けていた。 



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立ち止まる影 逢雲千生 @houn_itsuki

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