立ち止まる影
逢雲千生
立ち止まる影
これは、小学校時代の友人から聞いた話なのだが、少し変わった怖い話だった。
彼の実家は
管理といっても、保管場所の納屋で雨漏りはしていないか、動物が入り込んでいないかなどを調べ、毎日、夕方に掃除をするのが仕事だったらしい。
納屋の広さはそれほどでもないが、干し草の保管のために設けられた二階が広く、四階はあろうかという高さを、ほぼまるごと、区切りなしで使用していたという。
二階へは、木のはしごで上がり、二階の床は干し草を下ろしやすいようにと、三分の一ほど床板が取り払われていて、下から天井までが丸見えだった。
彼は毎日、朝晩の見回りをして、学校から帰宅すると真っ先に掃除をするほど、この仕事が好きだったという。
今の固められた干し草と違い、昔ながらの柔らかい干し草が大好きだったそうだ。
毎日こっそりと干し草の上に寝転がっては、密かな幸せに
いつも通り掃除をして帰ろうとすると、背後から視線を感じた。
気のせいだろうが、念のためにと振り返るが誰も居ない。
また帰ろうと背を向けると、やはり視線を感じるが、振り返っても誰も居なかった。
それが何日も続き、だんだんと怖くなった彼は、家族に納屋の中を見てもらったが、人の気配も動物がいた痕跡も見つからず、嘘をつくなと怒られてしまったという。
それでも仕事は続けていて、不思議と二階に上がると視線は感じなかった。
早く掃除を終わらせて、干し草の上で横になろう。
そうすれば、嫌なことも忘れられる。
それだけを楽しみに、見回りと掃除をしていたのだが、ある日もう一つ気がついた。
視線を感じるのは必ず夕方で、それも掃除をしている時だけだ。
もしかして、と時間を調べると、毎日、決まって午後の四時前後に掃除をしていたことがわかり、もしかして、とさらに調べると、午後四時ちょうどに視線を感じることがわかった。
これはどういうことなのだろうか。
立中は急に怖くなり、納屋の管理をしていた祖父に聞いてみたが、午後の四時頃に来る客はいないと言われ、嫌な予感がした。
何日もかけて調べた視線の時間は、間違いなく午後の四時で、その時間は誰も納屋に近づかない。
このままでは掃除ができなくなるし、唯一の楽しみもなくなってしまうと思った彼は、ある日、学校が終わるとまっすぐ家に帰り、掃除を急いで終わらせて二階に上がると、午後四時になるのを待った。
いつもは時間がかかって四時を過ぎてしまうため、視線に気がついた時にはもう、視線を感じる方向を見られなかった。
ならば、視線を感じない二階で、四時になるのを待とうと決め、彼は念のためにと、
納屋の一階にある壁掛け時計が四時になった。
そろそろだ、と箒を握る手に力を込めると、三分の一ほど空いた空間に人影が見た。
ゆっくりと奥から来る人影に、泥棒かと思って箒を両手で握りしめたが、いっこうに姿が見えない。
人影は動いて近づいているのに、人の気配がしなかったのだ。
これはおかしいと、床に這いつくばって下を覗きこんで驚いた。
人影だと思っていた影の持ち主は、全身真っ黒の何かだったからだ。
思わず悲鳴を上げそうになったが、こらえて頭を上げると、あれは何だとパニックになりかけた。
人であれば、薄暗くても人に見える。
だがあれは、本当に真っ黒だったのだ。
もう一度ゆっくり下を覗きこむと、黒い何かは影のように見えた。
これが幽霊なのだろうか、と考えてじっと見つめると、影はゆっくりと出口に向かって歩き出した。
のっそり、のっそりと、重たい感じに動く影は遅く、お世辞にも怖いとは思えない。
それでも不気味に感じて、声を出してはまずいと口を手で押さえると、閉まっている出入り口の前まで来た影は、立ち止まって動かなくなってしまった。
どうしたのだろうかと、口から手を離した時、影はすうっと消えてしまった。
後には何も残らず、恐る恐る下りて一階を確認しても、あの黒い影はどこにもいなかった。
次の日も、また次の日も、同じように二階で待っているが、黒い影は閉まったままの出入り口の前で止まり消えていく。
ここまでを自分に話し、彼はどうしたらいいのかと、同級生の自分に自分に相談してきたのだと言った。
正直、ほとんど覚えていなかったのだが、彼は気にせず続きを話してくれた。
話を聞いた自分は、彼にこう助言したという。
まず、影が現れる前に姿を隠し、出入り口は開けておく。
そして影が外へ出たら、すぐに扉を閉めて外から
聞いたその日に実行した彼だったが、やはり影は開いた出入り口の前で止まり、消えてしまったらしい。
その事で彼は嘘つきと自分のことを責めたらしいが、その答えは後日わかったという。
その日は先生と話があって帰宅が遅れ、四時少し前に掃除を始めたという。
嫌な気持ちを抱えながら掃除をしていると、また視線を感じてしまい、掃除の手を止めた。
怖い怖いと震えながら振り返ると、いつもならば誰も居ないはずなのに、その日に限って、あの影が立っていたのだ。
影は納屋の奥からゆっくりと彼に向かって歩いてきて、彼は恐怖で動けなくなってしまった。
助言をした自分への悪口を心の中で言っていたらしいが、影は一定の早さで出入り口へと歩いて行く。
彼の横を通り過ぎ、出入り口の前まで影が来た時、彼はふと、自分の助言を思い出したという。
すぐに出入り口を開けると、影は消えず、しばらく立ち止まっていた。
そこで彼は、怖い気持ちを我慢して、
「どうぞ」
とだけ言ったという。
すると影は動き出し、彼の横を通り過ぎる時に再び止まると、彼に向かって頭を動かすのがわかって、慌ててうつむいてしまった。
視線の先に黒い影の足下が見え、影からの視線を感じたまま、動かない影に恐怖を感じる。
間違えてしまったのだろうか、と焦り、顔を上げてしまった。
こちらを向く真っ黒い顔を見上げてしまったのだ。
このまま死んでしまうのだろうか。
そんな考えが頭をよぎったが、影は何もせずに前を向くと、またゆっくり歩いて外へ出て行った。
助言通りに扉を閉めて、かんぬきをかけると、それから母親が心配して扉を叩くまで、少しも動けなかったという。
今考えてみると、あれは何だったのかというよりも、どうしてあんなところにいたのかと不思議に思っていて、ぜひとも教えてくれと言われた。
だが、そもそも記憶に無いものを教えられるわけがないと答えると、彼は不満げに酒をあおった。
立中とは時々飲みに行くが、彼も心霊系は好きなようで、会う度にたくさんの実体験を聞いてきたと話してくれる。
酔っ払いながら聞いたままに話してくれる彼に、今日も自分は静かに耳を傾けていた。
立ち止まる影 逢雲千生 @houn_itsuki
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