望月乙女冒険隊(ルナティック・トラベラーズ)!

風刻

プロローグ

00:「世界最期の日」


 それは、煌々とした満月の輝く夜のことだった。


 遠くの街並み、林立する高層ビル群を、夜の闇より黒く禍々しい奔流が瞬く間に飲み込んでいった。

 ほんの数秒前まで雑多に蠢いていた生体反応は、一つ残らず全て消滅。数百・数千もの命が、一瞬にしてこの世界から喪失されたのだと理解する。

 悲鳴、怒号。そして訪れる静寂――届くはずのないそれらが、この屋上庭園ガーデンドームまで包み込んでいるような、そんな錯覚さえ覚えそうになるほどに、衝撃的な光景だった。


「あちゃー、『審判』が始まったのか。思ったよりも早かったなぁ」


 その様を隣で見ていた白衣の女性が、参ったなぁ、と頭を掻いた。


「見えているかい、アリス。これがこの世界の終わりの始まりさ」

「……はい、ドクター」


 どこか投げやりな白衣の女性ドクターの言葉に、ブロンドの髪の少女――アリスはゆっくりと頷く。

 この世界の終わりの始まり。突拍子もない言葉にも聞こえるそれは、紛れもなく今この瞬間に起こっている現実であり、最早変えようがない運命だった。


 この世界は、もう間もなく滅びを迎える。


「本当は、こうなる前にキミを送り出したかったんだが……仕方がないか」

「ドクター……私は」

「安心したまえ、キミのミッションに変わりはないよ。まぁ、多少の回り道はするかもしれないがね」


 そんな話をしている間に、黒の奔流にまた一つ街の灯が飲まれる。遠からず、この場所も同じ運命を辿るであろうことは、演算をするまでもなく明白に予測が出来た。


「……ふむ、感傷に浸っている時間も無さそうだな」

『非常用防壁を展開します』


 ドクターが呼び出した仮想端末パネルを操作した瞬間、屋上庭園から見えていた景色の一切が無機質な灰色で埋め尽くされる。


「気休めだが、何もしないよりはマシだろう。ついてきたまえ、アリス」

「はい、ドクター」




 庭園を後にした二人は、昇降機に乗って地下へとやって来ていた。

 何重にも隔壁を隔てて、最後にたどり着く小部屋。

 子供一人がどうにか入るくらいの大きさの装置。

 その中に、アリスの姿はあった。


「……カプセルとの接続、完了しました。各機能、異常ありません」

「よーし、OK! こんなこともあろうかと、奥の手を用意しておいて良かったよ」


 満足げに頷くドクター。対するアリスの表情は暗い。

 アリスは言うか言うまいか逡巡し、ためらいがちに口を開く。


「あの……ドクター。やっぱり私、最後までドクターの」

「ストップだ。キミの存在意義を思い出せ、『ALIS』」

「……っ」


 ドクターの鋭い言葉が、何かを言いかけたアリスを制止する。

 制御装置を操作しつつ、ドクターは心なしか優しい声音で話を続けた。


「いいかい、アリス。キミは紛れもなく私の最高傑作で、そのミッションを無事に遂行することこそが、私の何よりの望みなんだ。わかるかい?」

「…………」

「……キミはこれから、そのカプセルの中で途方もない時間を過ごすことになる。次にキミが目覚める時、きっとそこはキミの見知った世界ではないだろう」


 淡々と装置の操作を続けるドクター。アリスはカプセルの中から、その様を見ていることしか出来ないでいた。

 遥か上の方から、何かが致命的に破壊されたような轟音が響く。


「だが目覚めた先がどんな世界であれ、キミのミッションは変わらない。改めて確認するまでもないことだが、キミの使命は『月』へ行くことだ。そして、そこで――」



 瞬間、地響きとともに部屋が警告灯の赤に染まった。


『緊急事態発生、緊急事態発生。非常用防壁に損壊を確認。研究所内の人員は、直ちに避難してください。緊急事態発生、緊急事態発生――』


 繰り返されるアラートが、最早一刻の猶予もないことを告げていた。

 ドクターは長く大きなため息を一つ吐くと、カプセルの上からアリスの顔を覗き込む。


「本当はもっと色々伝えておくべきことがあるんだろうけど……アリス。名残惜しいが、そろそろ時間のようだ」

「ドクター……?」

「じきにここにもあの黒い奔流が到達する。そうなる前に、キミにお別れを言いたい」


 特殊強化アクリル越しに、ドクターの手がアリスに触れる。

 ――それが、切っ掛けとなったのだろう。


「私……私っ、やっぱり嫌っ! 嫌ですっ! ドクターを残して行くなんて、そんなの嫌ぁっ!」


 堰を切ったかのように溢れ出す、少女の叫び。

 もっと一緒にいたい。あなたに生きていてほしい。

 そんな想いの吐露は、今度は制止されることは無かった。

 彼女の生みの親たる女性は、ただ慈愛の眼差しを向けるだけ。


「アリス、私の可愛いアリス。どうか、キミが無事に使命を果たせますように」

「ドクターっ! ドクターぁっ!!」


 隔壁が破られる音が聞こえる。

 最期の時が、すぐそこまで迫っている。


 装置のレバーに、手がかかった。


「そして……どうか、幸せに」



「――――っ!!!」



 黒い奔流に飲まれゆく、最愛の微笑み。

 それが、少女が見た「この世界」最後の姿だった。








 永い時が過ぎた。


 地表を覆い尽くした死の呪いは消え去った。

 野には草木が芽吹き、獣の息遣いが聞こえだす。

 夜の闇に最初の光が灯り、新たな時代の始まりを伝える。

 やがて村が生まれ、街が造られ、大地には轍が刻まれた。

 いくつもの国が栄え、滅んだ。

 いくつもの物語が生まれ、消えていった。




 そして――――



 やわらかな月明かりの下、赤子が安らかに寝息を立てていた。


 薄れゆく意識の中、娘は月夜を焦がす炎の鳥に目を見開く。


 月光の射す静謐の闘技場で、己の手を茫然と見つめる少女がいた。


 旧世界の忘れ形見は、未だ知らぬ月を夢見て孤独に眠り続ける。



 ――――彼女たちの物語は、ここから始まる。



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