向日葵と灯籠
揣 仁希(低浮上)
第1話 8月13日
8月13日 木曜日 晴
縁側から庭に出て僕は青空を見上げる。
どこまでも澄み切った青と庭に咲く向日葵の黄色と緑は今日も変わることはない。
そんな彼らに水をあげながら僕はきつい日差しを避けるように手を翳し目を細める。
油蝉とミンミンゼミがけたゝましくも、どこか寂しげに鳴くのを背に僕は軒下へと入る。
風鈴がちりんちりんと涼やかな
縁側の廊下には氷も溶けてしまった
そう言えば氷室の氷も少なくなっていたことを思い出して氷屋に行こうかと思いたった僕の耳に玄関がかららと開く音と久しぶりに聞く声が飛び込んできた。
「ただいま〜」
勝手知ったる我が家というには些か久しぶりすぎではあるが、彼女はそんなことお構いなしに縁側の僕の元へとやってくる。
「やあ、おかえり」
「うん、ただいま」
凡そ一年ぶりに会うにしては素っ気なくもあり味気なくもある挨拶だが、僕と彼女からすればこれで十二分だろう。
なにせ荷物のひとつも持たずに帰ってくるのだから。
「あ、西瓜」
「そろそろ着く頃だと思って冷やしてたんだけど、今日は思ったより暑くてね」
「ああ、そっか、氷……溶けちゃったんだね」
「うん」
盥に手を入れて苦笑いをする僕に彼女は満面の笑みを返してくれる。
白地に庭に咲く向日葵の様な大輪が描かれた彼女お気に入りのワンピースに少し大きめの麦わら帽子。
何年前かは忘れたけど僕が彼女にプレゼントしたものだ。
昨年帰ってきたときも彼女はこの格好だった。
だって好きなんだもん、と帽子のツバを下げて上目遣いに僕を見上げる姿は何年たってもあの時のままだ。
「温くなっちゃったからさ、氷屋さんに行こうかと思ってたんだけど。いく?」
「うん、おじさんの顔も久しぶりに見たいし」
「じゃあ行こうか」
彼女の細っそりとして日焼けひとつない白い手をとり僕は縁側にあったゴム草履をひっかける。
「ふふふっ」
「ん?どうかした?」
「ううん、べっつにぃー」
僕より頭ひとつ分低い彼女は小さく含み笑いをして繋いだ手に力を入れた。
大きめの麦わら帽子が、ふわりと風に揺れる。
慌てて帽子を押さえると彼女はほんの少し恨めしそうに風が吹き抜ける裏山を見上げ歩を進めた。
今は緑に覆われた裏山の斜面には段々畑があり秋になれば林檎が赤く色付き、紅葉と相まって山全体が赤に染まる。
そう言えば彼女があの赤く染まった山を最後に見たのはいつだっただろうか。
僕は彼女にそれを聞こうとして……思いなおし口を噤んだ。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない」
「そう?」
「うん」
ふうん、となにか分かった様に緑の山を一瞥し、彼女はちょっとだけ帽子を深くかぶり直した。
繋いだ手のぬくもりはあの頃のままなのに僕の胸のどこか奥の方がちくりと痛んだ。
村の外れにある氷屋の前では主人と近所の男衆が立ち話をしていた。
僕と彼女を見ると主人は片手を上げ日に焼けた顔を綻ばせた。
「おじさん、久しぶり」
「おぅおう、久しぶりだなぁ。嬢ちゃんが帰ってるってこったぁもうそんな時期か」
「そんな時期かって……途中までおばさんとも一緒だったんだよ?」
「ん!?ウチのカカァとか?」
「うん、多分もう家の方に帰ってるんじゃないかな」
彼女が最後まで話す間もなく主人は僕達が歩いてきた道を駆け出していた。
「おい!おめえら!氷は適当に持ってけや!」
小さくなっていく主人の背を見送り僕と男衆は顔を見合わせて苦笑するしかなかったが、僕達にも主人の心情はよく分かっていた。
普段なら家の氷室に届けてもらうのだけど、あの調子ならそれも無理そうで、主人の言葉通り氷を適当に切り分け──これはかなりの重労働なのだが村の男衆が切り分けてくれた──ビニール袋を下げて家へと帰る。
然程遠くない距離にも関わらず家につく頃には、氷は溶けかかっていていくらかを西瓜の盥に放り込み、残った分は氷室に入れておく。
僕と彼女はそれから縁側で他愛のない話をして過ごした。
村での僕のこと、彼女のあっちでのこと。
一年の空白を埋めるには余りにも少な過ぎるけれど、今の僕達にはその僅かな時間で満足だった。
彼女の声、彼女の笑顔、ただそこに彼女がいるだけで。
僕は満たされるのだから。
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